3-1
アリスティドは大きく息を吐いて、座った椅子のひじ掛けに頬杖をつく。
金茶色の髪がさらりと揺れて視界を半ばふさぐ向こうで、ティーカップをテーブルに配した執事の気づかわし気な目つきが見えた。
オレリアは十七歳だ。学院生活はあと一年と半年を切った。ラコスト侯爵家によって卒業と同時に縁談をまとめられてしまうだろうと言っていた。
アリスティドの膝に置かれた調査書から鑑みるに、それが大げさだとは思えなかった。いや、事態はもっと深刻だと見るべきだ。
「フィリップ、縁談を進めるのであれば、なにも卒業を待たずとも良いと思わないか?」
「御意にございます」
「密かに調べておくれ。そして、仮に縁談が持ち上がっていれば潰すように」
「よろしいのですか?」
荒っぽいことをさらりと言ってのけたアリスティドに執事が尋ねる。常に穏やかなアリスティドには珍しい命令だった。
「ああ、構わない。父上にはわたしから報告しておく」
「ご当主さま以外にもレイモンさまたちにもご相談なさっては?」
アリスティドの本気度合いを改めて思い知った執事が提案する。
「そうだね。ちょっと照れくさいけれど、すべての力を使うと決めたんだ。師匠たちのお力もお借りすることにしよう」
執事は迅速に動き、ラコスト侯爵家の調査と並行してレイモン・ベクレルとアルカン子爵セドリックの所在を調べた。
「レイモンさまは幸いクールナン国内におられましたが、セドリックさまは他国においでになっています」
「ありがとう。では、レイモン師匠に連絡を取ろう」
アリスティドは忙しいセドリックを煩わせたくないという気持ちからだった。特に今は社交シーズンだ。
しかし、わざわざ学院にやって来たレイモンから「君、セドリックに知らせないなんて、どれだけ恨まれるか分からないぞ」と脅かされることとなった。
高身長のレイモンはまるで自分の敷地内のように堂々と廊下を歩いてきた。それもそのはず、ベクレル一族は学院に多額の寄付をしている。
空き教室でヴィスカントの演奏を聞いた後である。隣を歩いていたオレリアをちょうど良いとばかりに紹介する。
「オレリア嬢、こちらの方は父の学院時代からの友人であり、わたしの商取引きの師匠でもあるレイモン・ベクレル氏だよ」
「お初にお目にかかります。ラコスト侯爵家のオレリアと申します」
ヴィスカントの演奏時に自然とあふれ出てくる音を残しておこうと綴った譜を抱えたオレリアが挨拶する。中にはアリスティドがふと思い出したフレーズから一曲譜面起こししたものもある。ふたりでああでもないこうでもないと話し合って曲を辿っていくのはとても楽しいひとときだ。
「これはご丁寧に。アリスティドから手紙をもらって飛んできたので大したものは用意できなかったんですが、受け取ってください」
そう言って、差し出した箱にはうつくしくも華奢な靴が入っていた。
「ドレスはアリスティドがまず贈りたいだろうから、やめておいた」
ひと目で高価なものだと分かり、遠慮しようとするオレリアを他所に、レイモンはアリスティドに向けて言う。
「お気遣いありがとうございます。では、その靴に似合うドレスをプレゼントさせて?」
前者をレイモンに、後者をオレリアに告げる。そうすることで、アリスティドはまんまと愛しい女性にドレスをプレゼントするという機会を得た。それを見越したレイモンとの即時結ばれた連係プレーである。
ここにニコラがいれば、「君たち、本当に息が合っているねえ」とでも言っただろうか。
一国に打ち勝つ豪商である師とその国に自領のワインを普及させた弟子の連携に、一介の令嬢でしかないオレリアに太刀打ちできるはずもない。
渡された靴はもちろん、ドレスをプレゼントすることが決まってしまった。
「それで、師匠、どうしてセドリック師匠に恨まれるのでしょうか?」
出会い頭にレイモンに言われたことをアリスティドは尋ねる。
「当り前じゃないか。可愛がってやまない弟子の初めての恋愛沙汰だ。やつが関わらずにいられようか。躍起になって帰って来る」
「知らせてくださったのですね。ありがとうございます」
あれこれ言っているが、結論を読み取ったアリスティドが礼を言う。
「まあ、やつも君が気を遣ったのだということは分かっているだろうがな。手紙くらいは送っておけ」
「そうします」
気を遣ったとはいえ、不義理をしたと受け取られかねないところだったと教えられ、アリスティドは素直に受け入れた。
「レイモン師匠、この後、お時間が許しますなら、うちへおいでになりませんか?」
「ああ、そうさせてもらう。ラコスト侯爵令嬢もごいっしょにどうです? 明日は学院は休日でしょう?」
レイモンは主要都市に拠点を持っている。彼自身が持たなくてもベクレル一族の誰かが有している。だが、クールナンの王都に来た際にはカディオ伯爵家のタウンハウスに滞在することも多かった。
アリスティドの提案を受け入れたレイモンは自然な流れでオレリアも誘う。勝手知ったる他人の家であるが、アリスティドとしても歓迎するところだ。
「わ、わたくしは、その、」
「用事でもおありか?」
目を白黒させるオレリアに、重ねてレイモンが質問する。
「いえ、そういうわけではないのですが」
「では、ともに招待を受けよう」
ひとつ頷いて決めてしまった。
「さあ、作戦会議といくか」
にやりと笑った頼もしい師に、弟子も悠然と微笑んでみせた。




