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アリスティドが師匠たちの協力を得て仕掛けた結果、ぶどうの収穫を待たずしてラコルデールから打診があった。
「ずいぶん早いね」
ラコルデールの商人たちとの取引きが目標ではない。政府の役人との駆け引きだ。
安易に譲歩しなくてもいい。なぜなら、政府としても、この取引を必ず成功させたいからだ。役人はそれを重々申し付かっていることだろう。少しでも自分たちに有利な契約を締結したいと思っているから、長引かせるのだ。
飛びつかなくていい。じっくり慎重にやれというのが師匠であるレイモンの教えだ。
「最後には誠実さが物を言うよ」
と言ったのはニコラだ。
「粘り強く、慎重に。でも、最後に物を言うのは誠実さだ。君の父君が教えてくれたことなんだけれどね」
「当然、ラコルデールからのゴリ押しが考えられます。カディオ伯爵家はそれに譲歩した形を取ります。けれど、こちらが販売元です。レイモン師匠のように独占販売を許すことはありません」
「同時に、俺に独占販売を許すのも一年限りということだな。分かった、任せておけ。せいぜいやつらに地団太踏ませてやるように、盛大に売りさばいてやる。高値でな」
レイモンがこらえきれない笑みをこぼす。
「ワインの量は十分に用意してありますので」
父と祖父は運河建設と並行してワイン醸造も大車輪で行っている。
「クールナンの中央には売らないのか?」
「そちらも値打ちを出すために、セドリック師匠を通してのみ流通させようと思います」
「君、エゲツないことを考えるな! 面白い!」
レイモンが手を叩いて喜んだ。
これでセドリックの株も上がるというものだ。なにしろ、強国ラコルデールと豪商が一騎打ちした噂のカディオ・ワインを飲むにあたり、国内の伝手はセドリックを通じてのみなのだから。自国の貴族が手掛けているワインなのに、豪商ベクレルから以外はセドリックを頼らざるを得ないのだ。これは少々危険な手法であり、やり方を間違えると妬まれ危地に追い込まれかねない。
当然やっかまれ、荒っぽい手段に出ようとする者もいた。しかし、セドリックは身の処し方を知っていた。主に恋愛沙汰のあれこれによって慣れていたのだ。
「恋愛沙汰って流血騒ぎがつきものだけれどね。微笑みひとつで回避できるものなのさ」
「そんなの、君だけだ!」
平然と言ってのけるセドリックにレイモンが即答したものだ。
「アリスティドは聞いちゃだめだよ」
ニコラは苦笑してアリスティドの耳を両手でふさいだ。
セドリックは降りかかる火の粉を払うのに、貴婦人たちの力を借りた。
「とても困っているのです」
と眉尻を下げて見せれば、「わたくしにお任せあれ!」といってトラブルを解決してくれる。
「ありがたいものだね」
セドリックは婉然と微笑んだ。
「君、いつか刺されるぞ」
「そうならないように振る舞っているさ」
セドリックは社交界を渡ることにおいてたぐいまれな手腕の持ち主だ。
「弟子がくれたすばらしいワイルドカードなんだ。有効活用できないほど無能ではないつもりだよ」
あまりに強い手札であるから、心得がない者が使えば足元をすくわれる。けれど、セドリックは上手に使った。今や、セドリックは王族よりも催しに呼びたいとまで言われるほどの存在感を持つようになった。
「お師匠さまはカディオ・ワインをラコルデールに浸透させてくださった功労者ですから」
アリスティドはセドリックへの謝意を表すとともに、彼ならばカディオ・ワインの評判を貶めることはあるまいと見込んでいた。
「お役に立てたようでなによりだよ」
逸品のワインと社交界の華の取り合わせは歓呼の声をもって歓迎された。
セドリックは今日も国内外の社交界で引っ張りだことなっている。
「交易が盛んなこの時代、一国だけにとどまって考えるなんて、ナンセンスだよ」
そう言って片目をつぶってみせたセドリックに、アリスティドは自分は師匠のこの域に達することはできないであろうと思うのだった。
「そんなもん、目指さんでいい!」
「アリスティドは今のままで十分礼儀正しく麗しいよ」
レイモンとニコラが口々に言ったものだ。
「しばらく運河建設にかかりになっている間に、息子が友人たちを師と仰いですっかり懐いてしまった。お父さまのことを忘れないでくれよ」
そんな風に久々に会ったアリスティドに肩を落として見せる父は、祖父とともに運河の視察を頻繁に行った。視察など名ばかりで、いっしょになって建設を手掛けた。
「ストライキが起こる余地もありません」
ともに額に汗し、泥だらけになり、擦り傷を作る。仕事の後は泥を洗い流し、手当てを受け、同じ食事をする。たまに酒が出たら、両掌をこすり合わせて喜ぶ。
「これこれ!」
「伯爵、酒が目当てだったんですか!」
工人たちがどっと笑う。しまいにはほろ酔い加減になって肩を組んで歌いだす。
「仕事をもらえただけでもありがたいってのに、お偉い貴族さまがあんなだから、こっちだって励まないわけにはいかない」
「工期は順調です」
「少々の事故や器材トラブル、資材不足があっても現地で知恵を絞ってなんとでもやっています」
「伯爵夫人と伯爵子息夫人も食事の手配をしてくれるので、その差し入れを励みにして、士気は高いですよ」
工人たちも伯爵家の使用人たちも口々にそう言った通り、工期は滞るどころか、後世に語り継がれるほどの猛スピードで完成した。
レイモンはカディオ・ワイン一年独占販売契約の対価として造船所と船を提供した。
「船大工付きだ」
「設計図と器材を売ってください。木材はニコラおじさんのところから買い付けます」
アリスティドはすかさず言った。
「まあ、いい。設計図と器材もやろう」
片眉を跳ね上げたレイモンは太っ腹なところを見せる。
「では、お礼に逸品のワインを毎年お届けします」
「君、本当に分かっているなあ」
相手がなにを欲しているのか分かっていてそれを提供するから、喜ばれる。どんなに制度が整っても世の中は人が動く。だからこそ、歓心を持たれればそれだけ優遇される。
「毎年」はレイモンがこの世を去るまで続けられた。逆に言えば、アリスティドと師匠たちの交流はどちらかがこの世を去るまであったということだ。
さて、ラコルデールと大富豪が一騎打ちで争ったワインというのがカディオ伯爵領のものだと知った商人たちはこぞって契約を取り付けようとした。
ワイン自体を買うことができないとあっても、運搬や資材に関する取引きが見込めるものと考えたのだ。
船会社を探していたころとは雲泥の差である。
ところが、その手法はずさんなものだった。送られてきた書面の中で、事実無根の記載があり、事実確認や誤認を正す必要に追われた。
書面に目を走らせた使用人たちは渋い顔になる。
「簡単に煽られるんじゃないよ。こちらとしては証拠を残しておいてくれてありがたいくらいだ」
「なるほど、そうですね。短絡的で失礼しました」
アリスティドにたしなめられ、使用人たちは頭を冷やす。
「しかし、どうしてこんなことを?」
「馬鹿にしていたいのさ」
いたぶって愉悦に浸っていたい。お貴族様は自分たちに言われるがままに金を出しておけばいい。商売のことなんて分かりゃしないんだから。田舎貴族の、しかもまだ子供だ。適当に美辞麗句を連ねてやったら、いいだけ金を引っ張れるだろう。
そう考えていると読み取ったアリスティドは言う。
「相手に非があるときはそれを隙だとみて取り、攻撃する。だから、わたしたちは非を認めつつ、譲歩させられすぎないようにする。でも、今回の件は違う。立場を利用し、失態を挽回するという名の下にこちらに多大な損失を負わせようということにほかならない」
良いようにされないように冷静に見極める必要がある。
「自分の頭の良さを信じて疑わない人種だね。そして、不誠実だ。それは結局は目先の満足を得られるだけで、その先のより大きなものを育むには至らない。でも、こういったことは誰にだって起き得るんだ。特に特権階級であるわたしたちにはね。だから、気を付けよう」
使用人たちは相手の非を責めるのではなく、そこからなにかつかみ取ろうとする主人の姿に、自然と頭を下げるのだった。
「レイモン師匠はトラブルに対してどんな風に対処されますか?」
弟子の問いに、師匠は答えた。
いわく、金貨を積み上げて解決する、と。
「これがいちばん手っ取り早いからな」
きらびやかな衣服や宝石を買いあさることない豪商は、こういうときには惜しみなく積み上げる。
「これが金貨の小袋で頬を叩くってやつさ」
アリスティドはとっさに、にやにやと笑いながら小袋を相手の頬にひたひたと打ち付けるレイモンを想像する。空想上のレイモンはとても愉しそうである。
「いたいけな少年になんてことを教えるんだ!」
「撲、クロヴィスに顔向けできないよ」
うそぶくレイモンにセドリックが食って掛かり、ニコラが顔を手で覆う。
学院時代もこういう感じだったのかな、とアリスティドは微笑ましく思った。
※フィリップの解説および宣伝
「社交においてはセドリックさま、財をなすにはレイモンさま、そして徳や常識を身に付けるにはニコラさま」
「アリスティドさまの周囲には才能あふれる御仁がおいでです」
「そんな素晴らしき方々がこぞってアリスティドさまにご教授なさる」
「アリスティドさまも自ら学ぼうとなさる」
「ときに、アリスティドさまの聡明さにみなさま驚かれます」
「我ら使用人一同、アリスティドさまの支えになれるよう尽力する所存です」
「よろしければ、評価、ブックマーク、いいね、ご感想をいただけると幸いです」
 




