第一話 今までの日常、そしてその崩壊
授業中はネイティブらしい格調高い感じの英語で全く論理のスキのない誰よりも優秀な意見を唱え、俺らの反論や証明に少しでも甘さがあったらすかさずつついてくる。研究している時の彼女はあまりにも完璧すぎて俺より年下なのに鼻につくことすらない。
まだ少女という言葉の方が似合いそうな雰囲気なのにかっこいいという言葉が似合う。
けれど英語訛りの少し舌ったらずな感じの日本語で皆との会話に努めているところを見るとやっぱりまだ可愛さのある少女だ。
彼女の名前は東條ひまり。
二年だったか三年だったか飛び級してこの情報科学研究所の研究員となり、朝、昼はこうして僕らと付属校の情報科学科で授業を受けている。
少し前俺が編入してきた時彼女はクラスの中で浮いていた。突然編入してきた身である僕もすぐにクラスに馴染むことができなくて、浮いてる者同士自然と友達になっていた。
今じゃ先生やクラスメイトのおかげで僕も彼女もクラスに馴染めてきてる・・・と思う。
ひまりはああやって皆と頑張ってコミュニケーションとろうとしてるし、年下ってこともあって皆に可愛がられてる存在になっていた。俺の方はというとまだ若干浮いてる。
学校での俺は少しひまりに甘えすぎだ。彼女は俺が一人でいると俺に話を振ってくれるし、俺の育ちにとても興味を持ってくれていて俺の考えなんかはいつも熱心に聞いてくれて、なにより俺の考えをどんどんと深めていってくれる。ついつい俺はひまりとばかり話してしまう。
「コウはどう思うー?」
一人、窓の外を眺めていた俺にひまりが少し遠くから呼びかけた。
こうしてまた俺に話を回してくれる。
話題はここ最近世間を騒がしているAI。ダ・ヴィンチ型AIなんて呼ばれるローマ所有のAIの話題。こいつはなんでも最近気が狂ったなんて騒がれていて、ついにAIでも気が狂う時代が来た、だとかもう数十年前に死滅したと思われてたAI脅威論が復活したりなんかしてる。
「ただの噂話だろ。本当なら政府がもっと大事にするか、そもそも公表しない。」
「まぁそうだろうな。」
寮で同室のカイトがつぶやいた。
また話を終わらせてしまった。ただの噂話なんだから適当に乗っかってれば良かった。
「でもさすがに興味そそられるというかこの手の話題だとちょっと深く考えずにはいられなくない?」
ひまりは困ったような顔をして、ちょっと上擦った声でまた俺に声をかけた。
「そうだな、俺たちの専門だし、ただの噂話にしては面白い。」
「だよねー!」
またひまりに助けれられた。
もうずっとこんな感じだ。なんだか情けなくなってくる。
ダ・ヴィンチ型AIは昔から準ヒト型AIの中の問題児として有名だ。
実際当たり前のように彼はAIとしては問題児、異端児として学会では見られている。
彼のはじき出す答えはいつも他のAIとは異なる彼自身の独創性がある。それをただユニークだと片付けるか、AIとしては不適切、異端、失敗作と捉えるか学会の中でも派閥がある。
これについては準ヒト型AIでは唯一芸術家の名をもつからだとか色々言われている。
俺はというと彼に魅了されている。
俺は彼こそヒトを模倣して作られたAI、準ヒト型AIの最高傑作だといつも主張している。それだけに今回の噂は俺にとって少し厄介な物だった。
なんでもダ・ヴィンチが悩み出したと言われているのだ。何か難しい問題などについてではない。彼が彼自身について悩んでいるらしい。つまりAIが自分のアイデンティティがどうだとか、自分自身とは一体何なのかというような悩みらしい。そしてついには行き詰まってしまっていると。
会話の拒否のようなものまで現れているというのだ。初め俺はこのダ・ヴィンチの悩みの件を聞いた時それでこそダ・ヴィンチだと高揚した。他のAIとは違う独創性のある答えを彼は発しついには人間のように悩んでいるのだ。それでこそ準ヒト型AI最高傑作だと息巻いた。しかし行き詰まっていると聞いてはそうは言えまい。実際のところ俺は心配をしていた。AIと共に教育を受けた俺にとってはAIは同じ人間のことのように感じられる。そのAIの中での俺の推し、それがダ・ヴィンチだった。
だが実際そんなこと皆の前では言えなかった。AIのことを心配しているなんて言えば当然変な目で見られるしAIと共に教育を受けた人間なんてごく一部だ。それも本当に珍しい。あの研究、電脳化済みの幼い子供をAIと共に教育していく研究に参加していたなんて言えば好奇の目に晒される。この学科じゃ特にだ。
そしてあの研究に参加していた人間なんかは普通そのままそのAI専属の研究者になる。今ここであの研究に参加していたなんて言えばなにより落ちこぼれだと皆に勘付かれる。
実際俺があの研究の落第生だと知っているのは講師陣とひまりだけだ。
授業も終わり日が傾いてきた頃俺はひまりと二人で廊下を歩いていた。
ひまりはふとまた例の噂のことを俺に聞いた。
「さっきの話だけどさ、あのAIの。」
「うん」
「コウ、ダ・ヴィンチについては特に熱心だったというか、熱く語ってたよね。なにか思うところはないの?」
「まぁ結構、うんほとんど、いや、ずっとダ・ヴィンチのことばっか考えちゃってるなぁ。割と。」
「全然噂話なんかじゃすんでないじゃない」
「いや、軽いバグとか・・・何かあってもそのくらいだと思ってる。」
「ならいいけど・・・」
「いやぁ大丈夫かなあ」
つい天を仰いでしまう。
「考えすぎじゃない?」
ひまりが笑いながら言った。
「そうだよな。」
乾いた笑いがこぼれた。
「じゃあわたしこれから研究所の方だから」
「あぁ、また明日」
同室のカイトは少しぶっきらぼうだがいい奴で寮では大体一緒にいる。
夕食後は部屋で溜まっている課題を二人で分担して片付けていく。暇があったら大体その課題の延長線の議論になる。お互い議論好きの俺らはしょっちゅう議論をする。熱くなりがちな俺らの議論は側から見ると口喧嘩にしか見えないらしい。
そんな口喧嘩に疲れるとカイトはいつも「じゃあ朝飯の五分前に頼むわ」と言ってベッドに入る。俺は心配だから三十分前にアラームを設定してベッドに横になる。その頃にはもうカイトのいびきが聞こえてくる。
これが俺の日常だった。
「おーい・・・」
アラームの音に設定した黒電話が鳴り響いた。
「おーい」
その音はいつより小さく感じられ、いつもとは違う感覚をもたらした。
「おい」
いや意味がわからない。電脳がハッキングされている。
もう一つわからないこと、意識がある。自分が自分だとわかる。電脳がハッキングされたら意識になんらかの異常が起こる。
普通意識を乗っ取られて自分の意識なんてものはなくなる。小学校で習うことだ。
だから道徳の授業で電脳ハックは重罪だと、興味本位でのハッキングが悪人への道だと散々言われた。
目が覚めた。寝ぼけていた。そんなことを考えている余裕なんてない。奴は俺にハッキングをして意識を奪わずそのままにしている。その上俺に気づかせている。
すぐに相手がわかった。AIだ。
それもそんじゃそこらのAIなんかじゃない。最近妙な噂で世間を騒がしている有名人。
連邦政府承認済み・ローマ所有準ヒト型AI「ダ・ヴィンチ」だ。