第1話「プロローグ」
土砂降りの雨の中を男が1人、のんびりと夜道を歩く。
「あ~、折りたたみ傘じゃちとキツイな…」
安物の携帯傘は早くも限界のサインを発していた。だが男は気にしない。むしろ壊れた方が面白くなるかもしれないと半ば思い始めていた。
(突然の雨は非日常の始まりっとな。…ああ嫌だ。いつから俺はこんなロマンチストになっちまったんだかね)
男は変化を求めていた。延々と続く、この退屈な日常を変えてくれる何かをだ。
(…ん?)
男のポケットがブルブルと振動する。
(…何だ?このタイミングでメッセージ?…いや、「依頼人」からのクレームって線もあるか」
「……」
「…あ?なんだこれ」
仕事先からの連絡だと決めつけていた男の手がフリーズする。そこにはデカデカとした謎のメッセージが表示されていたからだ。
<退屈を嫌うお前へのプレゼントだ。せいぜい楽しめ>
そのメッセージの下部には見覚えがないURLへのリンクが記載されていた。
「おいおい勘弁してくれよ。スパムか何かか?」
今時小学生でもこんなものに引っかからないだろうという愚痴と共に、男の指が削除のボタンに触れようとした。
(……)
だが、そこで男の指が止まる。
(…気になるな)
退屈というキーワードが男の心を捕らえて離さなかった。
「…まあ、こういうのも悪くはないか」
ほんの少しの思考の後に、男はリンクをタップした。それから一瞬でスマートフォンのメイン画面にアプリが追加される。
「…アプリゲーム?」
(アプリ名は…「孤独の栽培人」ねぇ……なんかヤバい名前だな)
「まったく、随分と俺をワクワクさせてくれるじゃないか……頼むからつまらないイタズラって結末だけは勘弁してくれよ」
男は久しく感じる事がなかった「高揚感」そして未知の「可能性」を感じていた。
「ただいま~」
パチッと手慣れた手つきで「男」が電灯のスイッチを入れる。1R、家賃3万5千円のこのボロアパート。この場所が「金本大助」の生活拠点だ。当然のことながら返事をするような同居人など存在しない。これは大助が昔から続けている習慣のようなものだ。
1Rと言えば狭いという考えが一般的ではあるが、実際は物件により様々だ。大助が暮らすこの部屋は風呂、トイレ、シンク、洗面所が完備されている。独り身ならば不便は感じないと言ったところだろう。
安物のソファーに横になり、大助が謎のアプリを起動する。
「…ふむ」
何度目の「初めて」という感覚だろうか。この時、このタイミングだけは大助の心を強く揺さぶる。場面が黒い画面から小さな箱庭のような世界へと変化した。
「お…?フルクラフト系のゲームか。中々本格的だな」
殺風景な映像だけが大助のスマホに流れる。それから1分程経過。映像の光景に変化はない。
(こういう場合は…そうだな……これが怪しいか)
画面左上に表示されたヘルプのメッセージ。これが怪しいのだ。大助がヘルプメッセージをタップする。すると、突然音声が再生された。
「あ~あ~テステス!…どうですか?ちゃんと音声は入っていますか?」
「えっ!?もう収録始まってるんですか!?…あ、じゃなかった。もう始まってるのっ!?」
「あ…あははは。えっと、は、初めまして?……あの、この部分だけカットとかできないですよね……」
(……)
その後も声の主とアシスタントらしき人物の会話が続く。大助は耳を澄ましその会話を聞き取ろうとしていた。
(ノイズが酷くて聞き取れないな…何か揉めてるのか?…断定はできないか)
そしてようやく声の主は本題を話し始めた。
「んんっ…!!…初めまして。私があなたのサポートを担当するガイドちゃんよ。右も左も分かっていないあなたの為に色々と教えてあげるから感謝しなさい」
「とは言ったものの、この音声が流れる場面だとあなたは本当に何も知らない状態だと思うのよね…何がネタバレになるのか分からないし、アプリの事は自分で色々と試すことをオススメするわ」
「え~と、…ああそうそう!初回特典でこの3つの薬草の中から1つを選べるんだった。忘れずに受け取っておくこと。…とりあえず初回に伝える事はこんなところかな」
音声の再生が終わり、アプリのメインメニュー画面にメール型の四角いアイコンが追加された。
(ふむ…プレゼントね……)
「まあ、貰えるもんは貰っておくか」
メール画面を開く。そこには3つの植物が表示されていた。
・タンポポ
・ドクダミ
・ミツバ
「どれもこれもよ~く聞いた事があるような植物なんだが」
薬草という表現はあながち間違いではない。実際にドクダミなどは簡易的な漢方薬としても重宝されている。当然そんな事は大助もよくよく理解はしているが。
「あえてこの中から選ぶとすれば…まあ、これ一択だよな」
大助は迷う事無くタンポポを選択した。
<タンポポを1つ獲得しました。畑に植えますか?>
「おお?」
大助に選択肢が提示される。当然、大助は植えるを選択した。画面が切り替わり、地面に何かの芽が出ている状態が確認できるアングルに変化した。そして画面に再びヘルプの文字が表示される。
「押してみるか…ポチッと」
「どうやらタンポポを選択したようね。良いセンスだと褒めておこうかしら。それじゃちょっとだけアドバイス。植えたタンポポをタップしてみなさい。面白い事が起きるわよ」
「…タッチだと?」
大助が試しに何度か画面をタップしてみる。すると、少しずつだがタンポポの芽が成長を始めた。
「おお…!? いいね。こういうの嫌いじゃないんだよな~」
それから大助はひたすら画面をタップし続ける。3分が経過。小さな芽はごく普通のタンポポの姿になった。
<植物が完全に育ちました。収穫しますか?>
画面にそう文字が表示される。
「…収穫?」
収穫可能という文字と共に、画面にタンポポをスワイプするようなモーションが表示される。指示に従いつつ大助がタンポポをスワイプした。すると、回収完了という文字と共にタンポポがどこかに消えてしまう。
「あれ? 俺のタンポポはどこに行ったんだ?」
そして画面が自動的に切り替わる。その新しい画面の右上には「倉庫」と表示されていた。
<倉庫メニューが解禁されました。収穫された物はここに自動的に収納されます>
「ふむ…倉庫ねぇ……」
(これはつまり、育てた植物を備蓄できるってことだな。まあありきたりの要素ではあるか)
<収納された物は「現実世界」に取り出すことができます。取り出しますか?>
「……何だって?」
聞き逃す事など出来ないその言葉に大助が反応する。
「取り出しだと?……どういう事だ?」
(「現実」ってのはいったい……いや、ひょっとしてそういう事なのか?)
「まあ、可能性としては現金とかギフトカードとかに交換できるってことだろうな…それとも…いや、まさかな……」
「……」
大助の心臓の心拍数が上がっていく。
「…物は試しとも言うしな」
(試して見るか?)
大助が取り出しを選択し、その選択を確定させる為に指を動かす。
「……」
(…妙な気分だ)
ボタンを押す。これはただそれだけの行為。だというのに、何故、これ程までに大助の心はかつて無いほど踊り狂っているのか。
あるいはもう、この時点で大助は理解していたのかもしれない。そのアプリに宿った「魔性」の力を。
___大助の指が「取り出し」ボタンを確かにタップする。
___そして、目の前のスマートフォンから「何か」が飛び出してきた。
「……え?」
反射的に掴んでいたその物体を大助は注意深く観察する。
「…タンポポ…だよな…?」
大助が手元のタンポポと思わしき雑草を何度も何度も触り感触を確かめる。大助の目も、その指先も。その草が確かに「存在」している事を確信していた。
「間違いない。これは、本物だ」
大助の心臓がバクバクと鳴り始める。ゾワゾワとした高揚感が全身を包み始めた。大助は確信していた。これは始まりだと。大助が待ち望んでいた「退屈」からの脱却。その足掛かりは今、間違いなくその手の中にあるのだ。
<チュートリアル「偉大なる一歩」を達成。経験値を獲得しました>
<おめでとうございます。栽培レベルが2に上がりました。栽培可能メニューに「異世界の植物」が追加されます>
「……」
画面に次々とメッセージが表示される。そして最後に自動的にチュートリアルメッセージが起動した。
「…もう分かってると思うけど、このアプリは普通のゲームじゃない。この力をどう使うかは全てあなた次第よ。…あなたがこの瞬間を楽しんでくれている事を祈るわ。それじゃまた縁があれば会いましょう」
ブッ!という音と共にメッセージが終了し、画面は何もない地面に切り替わった。
「あ~……」
大助はしばらくその場から動くことができなかった。そして3分後、ようやく大助の脳味噌がこの現実に適応を始める。その口から吐き出される満足気な言葉と共にだ。
「いいね。…素晴らしい。…本当に素晴らしくてワクワクしている。…ああ。俺は間違いなく楽しんでいる。今、この瞬間をな」




