8 折り入った話
8 折り入った話
斉藤裕也
「斉藤せんせ、土曜日のことなんですけどね」
とある日、昼の休憩時間に母屋でお昼をいただいてると、奥さんに話しかけられた。
「はい」
「午前の診察が終わった後、ちょっと折り入ってお話ししたいことがあって」
「はぁ」
「お時間いただけません?」
「構いませんけど、何の話ですか?」
「あ、ここではちょっと……」
ほほほと笑いながら濁された。
「花月庵、予約したんで、遅いお昼をいただきながら」
「え?」
驚いた。花月庵は料亭です。ここら辺では一番高い店。
「院長も一緒ですか?」
「ええ、もちろん」
「……」
なんで院長からでなく奥さんから言われるのだろう?仕事の話ならまず、奥さんから言われることはない。
一体何の話だろう?
「院長と僕と2人とも出てしまって大丈夫ですか?」
産院の方に急に産気づいて運ばれる人がいたら大変だ。
「何かあったら電話するように言っておけば、大丈夫ですよ」
そして、当日、花月庵の個室で院長と奥様と向かい合って座る。なぜか院長は珍しく機嫌が悪い。そして、奥様は対照的にめちゃくちゃ機嫌がいい。意味がわからない。意味がわからないで向き合ってるうちに料理が運ばれてくる。
「さ、いただきましょ」
むすっとした男と、たじたじとしている男の間で、女性の声が弾ける。しょうがなく箸をつけた。なんだか味がよくわからないのです。
この雰囲気に耐えきれず、僕は口を開いた。
「あの、今日、折り入って話というのは」
「あ、それね。軽い気持ちで聞いて欲しいんだけど」
「お前、その言い方はないだろ」
「え?」
不意に不機嫌な顔で黙っていた院長が口を挟んでくる。
「でも、気を遣わせないでってあの子も言ってたし」
「大事な娘の話を軽い気持ちってなぁ」
娘?娘って言った?娘って……、どっちの?
不意に脈拍が早くなってきた。
「玲香のことなんですけど」
「え……」
この時点で自分の心臓はもう早鐘のように打ち出した。
「斉藤先生が良ければ、お嫁にもらっていただけませんか?」
「……」
「先生?聞こえてます?」
はっと気づくと、奥さんがちょっと身を乗り出しながら僕の方を見てる。
「僕、夢を見てんですかね?」
「え?」
奥さんがどちらかと言えば素っ頓狂な声を出し、不意にバリバリと横から音が……。見ると院長が膳の上の香の物を噛んでいる。ぼんやりそれを見てるうちに、我に返った。
「でも、こんなこと本人の、玲香さんのいないとこで勝手に決めちゃ……」
「あら、違うわよ。先生」
「違うって、何が?」
「玲ちゃんが言い出したことなの。斉藤先生さえ良ければって」
「え……」
ぽーっとして、鏡を見なくても自分の顔が赤くなってんのがわかる。
バリバリバリ、ズズズー
院長が香の物を齧り、吸い物を啜ってる。2人でしばしその不機嫌な顔を眺める。
「ちょっとあなた、音立てて食べないでくださいよ」
「ふん」
困った人ねというふうにこちらを見て微笑む。
「で、どうです?先生」
「あ、あの……」
ちゃんと言わなきゃ、言わなきゃと思うほどに胸がいっぱいで言葉が出てきませんでした。その僕の様子を見ながら奥さんは助け舟を出した。
「京ちゃんから聞いたんだけど先生、前からうちの玲香のこと好きだったって」
「……」
僕はちらっと院長の方を見た。真っ直ぐにぎろりと僕を睨んでました。
「その通りです。どうもすみません」
白状して箸を置いて頭下げました。
「あ、いや、先生。謝らないでいいから。ちょっとあなたもそんな顔するのよしてくださいよ」
「ふん」
「僕なんかではお気に召さないと思いますが……」
「いや、そんなことないんです。娘を持った男親なんてどんな男の人相手だって満足なんかしやしないのよ。全く」
バシッと奥さんが肩のあたりを叩いている。叩かれて不服そうに院長が奥さんを見る。
「産院を継ぐなんて僕にできるかどうかはっきり言って自信なんかありませんが、一生懸命頑張ります。だから、玲香さんを僕にください」
僕は食卓から後ろに下がると畳の上で頭を下げました。
院長がため息をつくのが聞こえた。
「京香の男に頭下げられてまもないのに……」
奥さんが今度はぽんぽんと院長の肩を叩いてる。
「立て続けにこんな目にあうなんて。京香も玲香もまだ若いのに」
「あら、わたしがあなたとお見合いした時も今の玲香と同じ歳でしたよ」
「そうだっけ?」
「ま、忘れたんですか?」
恐る恐ると顔を上げ、2人の様子を眺めてると奥さんが僕を見た。
「そうそう先生」
「はい」
「玲香は先生の気持ち、知りませんから」
「え?」
「随分心配してたのよ。先生に断られるかもって」
「……」
「あ、でも、わたしは伝言みたいなことはしませんからね。ただ了承いただけたってだけ伝えますから」
「なんで?」
「なんでって……」
奥さんは呆れた。
「そういう大事なことは本人から聞いたほうがいいに決まってんでしょ」
「……」
「多分あの子はね、先生が承諾したのはわたし達に恩義があるとかどうとかそんな風に思うと思いますよ。まさか先生が玲ちゃんのこと……」
院長が咳払いをする。奥方は横を見る。
「さ、冷めないうちにいただきましょ。本当はあの子も一緒でも良かったのかもしれないけどね」
ふふふと笑いながら、奥さんはお吸い物に口をつけた。