7 ふさわしい人
7 ふさわしい人
文月玲香
婚活パーティーなるものに出て、散々な目にあい、わたしにしては珍しく結構落ち込んでいた日、妹の京香に妙なことを言われた。
お見合いや紹介で探す前に、斉藤君にしたらと言うのだ。
斉藤君はわたしがまだ小学生だった頃に前働いていたおじいちゃん先生が辞めて交替で入ってきたお医者さん。
来たばかりの頃はまだ若かったけど、自分はあの頃小学生だった。斉藤君は小学生女子でも思わずポーッとしてしまうようなすごい素敵なお医者さん……というわけではなく、普通の人でした。話しかけやすい歳の離れたお兄ちゃんみたいな人だった。従姉妹の律よりもうちょっと上だったし。男として見たことなんてない。向こうだってわたしを女として見たことなんてないだろう。
だから、そんなふうに考えてみたことなんて一度もなかった。
それを京香に言われて、初めて考えてみた。
ちょっと歳が離れている。でも、それ以外は、結構条件が合うのだ。
長年うちで働いていて、患者さんの信頼も得ている。変な医者だとかここが足りないと父が言っていたこともない。父に恩義を感じているから、今までの文月医院の方針を無理に変えようとすることもないと思うし、父やみんなの意見を汲んでくれるだろう。それに、斉藤先生のお父さんは結構有力な人なのだ。今はとある病院の院長先生をされてて、2人のお兄さんもそれぞれ優秀なお医者さんだったはずだ。うちのような小さな産院にとって、そういう大きい病院と繋がれるような機会というのは滅多にない。
打算的だな……
ここまで考えて、ちょっと自分が怖くなる。この前婚活パーティーで目の色変えてわたしに名刺を渡そうとしてきた人たちと、50歩100歩。わたしだって、本人よりどちらかというと条件に惹かれてる。若干の罪悪感がありました。だけど……
背に腹は変えられないんです。
言ってみて断られたらしょうがないけど、産院を守るためにはこの前婚活パーティーであったようなお医者さん達より斉藤君の方が考えれば考えるほどいい気がしてきた。灯台下暗し。実は斉藤先生は結構好条件の相手でした。
思い立ったら吉日
1人で考えるのはやめて母に相談してみることにした。週末に野田へ帰りました。
お風呂に入って上がってくると母が同じく寝巻きでテレビの前に座ってた。妹はいませんでした。
「京香は?」
「寝ちゃったわ。眠くてたまらないって」
「お父さんは」
「陣痛始まってる患者さんいるから、宿直室で休んでる」
「田中君は?」
「田中君1人でできるわけないでしょ?」
田中君は律が抜けた後にバイトで入ってるインターンの子です。
「ふうん」
その後、爪を切っている母の様子を見ながら、つけっぱなしのテレビを眺める。
「もうそろそろだね。京香」
「ほんとね」
「まさか、追い越されるとは思わなかったな」
「全くよ、もう」
パチンパチンと爪を切る音がする。
「あのね、お母さん、ちょっと相談したいことがあって」
わたしがそういうと母が顔を上げてわたしを見ました。
「真面目な話?」
「うん」
「じゃ、ちょっと爪全部切るまで待ってね」
パチンパチン、母が俯いて新聞広げて爪を切ってるのを見ながら、ドキドキしてきた。母相手にドキドキするなんてと驚いてる自分もいたのだけれど、でも、ドキドキしてました。母は切り終えた爪をゴミ箱に捨てると、爪切りをいつもの場所にパタンとしまった。
「はい、なあに?」
「いや、そんな改まらなくても」
「でも、真面目な話なんでしょ?」
「でも、なんか話しにくいな……」
わたしが言葉を濁しているのを、母は頬杖をついて珍しい物でもみるような顔で眺めてた。
「あのね」
「うん」
「どっから話せばいいんだろう?」
「うん」
「その……」
「……」
「わたしの、結婚についてなんだけど」
そう言いながらやや俯きがちになっていた目を上げて母の顔を見たら、いつもとおんなじ様子の母がいた。
「あんたの結婚がどうしたって?」
「その相手が……」
ここでちょっと深呼吸した。
「例えばよ。例えばなんだけど」
「うん」
「斉藤……先生だったりしたら、どうかな?」
母は何も言わずにじっとわたしを見た。顔色を変えず、表情も変えずに至極あっさり言われた。
「いいんじゃない」
拍子抜けした。
「そんなあっさり?」
「あんたがやじゃなければ、全然いいんじゃない。よく知ってる人だし、お家もきちんとした人だしね」
「でも、向こうがなんていうかわからないよね?」
「うん。ま、聞いてみる」
ちょっとぽかんとした。
「そんなあっさり?」
「え?でも、断らないと思うけどな」
「どうして?」
「だって、あんたみたいな若い子と結婚できんだよ」
「いや、でも、斉藤君は他にも結婚の話、出てたけど断ってんじゃん」
「そうだっけ?」
母はとぼけた。
「長く付き合った彼女とも別れてるし、その後のお見合いとかも断ってんじゃん」
「よく知ってるわね」
「看護師の人たちがなんでも教えてくれるんだって」
「だから?」
「わたしが若いってだけで飛びついては来ないんじゃない?産院継ぐのも責任あるしさ。色々面倒じゃない。斉藤君って野心家って方でもないしさ」
母はじっとわたしを見る。
「ま、でも、聞いてみるわよ」
「ね、軽々しく聞いて、妙に気を遣わせたりして後から気まずいことなんない?」
「気まずいこと?」
「縁談断っても顔は合わせなきゃいけないじゃない」
「そんなんうまくやるから大丈夫大丈夫」
母は手をひらひらとさせた。妙に自信満々だな。
「それよか、あんたは本当に斉藤君でいいの?」
「いや、よく考えたけど、考えれば考えるほど、うちの産院にはちょうどいい人な気がして……」
「産院がどうこうじゃなくてさ。夫になるんだよ。何十年も寄り添える?」
「……わかんない」
母は笑った。
「斉藤先生に話して受けてくれた後に、あんたがやっぱり嫌だとか言い出したら困るんだけど」
「そんなんしないよ」
「本当?」
「ほんとほんと」
母はまだ疑わしい顔でわたしを見てる。
「無理してない?」
その時、やだなぁ。彼の声が蘇りました。玲ちゃんと優しく呼ぶ声が。
「してない」
どんなに時間をかけて探しても、彼を超える人は現れない。産院のためにあきらめたのだから、せめて産院のためにもっともふさわしい人と結婚したい。
「お願いします」
わたしは両手をついて母に頭を下げました。
「わかりましたよ。じゃあ、お父さんにも話して近いうちに斉藤先生に話してみるから」
ふっと力が抜けた。自分が身体を硬くしてたことにその時気づいた。
「ねぇ、おかーさん」
「んー?」
話が終わってのんびりとテレビを見てる母の横顔に呼びかける。
「お母さんがお父さんと結婚した時ってどうだったの?」
「なに?急に」
「お見合いだったんでしょ?」
「そうよー」
「会った瞬間から好きだったの?」
「ばかね」
母が珍しく照れている。照れて笑った。
「ね、なんでお父さんと結婚したの?決めては何?」
「えー」
ちょっと天井を見上げて母は昔を振り返る。
「あん時さー、お母さん結構引くてあまただったのよ」
「うわっ、自分で言う?」
「ばかね。お母さんにだって若い頃はあったのよ。それに、ほら、おじいちゃん、校長先生やってたからここら辺の名士というかさ」
そう、祖父は中学校で校長にまでなった人で、母はその三女で末っ子だった。
「ここら辺りのちょっと家柄のいいお家から次から次へとお声がかかってお見合いしたの。でも、お母さん、結婚っていまいちピンとこなくって。今のあんたと同じくらいの年だったのよ。短大卒業間近でね。結婚なんてしたくないなと思いながら、その次から次へとしてたお見合いで難癖つけて片っ端からこっちから断ってやってたの」
「へー」
「で、お父さんとお見合いした時なんだけど。お見合いの前にね。前評判を聞いてて。文月産婦人科って言ったらここらじゃ有名じゃない。あの頃、おじいちゃんがすごい周りの尊敬を集めててさ。それに比べて息子の京二郎はだらしない。文月産婦人科も3代目で終わりだなって言われてたのよ」
「ふうん」
「そういう噂を聞いてたもんだから、どれどれ本人は評判通りのやつかとちょっと興味があったの」
「でも、評判と違って素敵だったわけだ」
「いいや。評判通りだったのよ」
「なんだそりゃ」
母はキラキラした目で話を続ける。わたしは母の言葉を聞きながら、若い2人が向かい合って座る様子を想像してみた。
「で、ほら、お母さん、可愛かったからさ」
「はいはい」
「少し恥ずかしそうにしながら、嬉しそうにしながらお母さんの前にいるの。それを、評判通りのちょっと頼りなさそうな男の人がいるなぁと思ってみてたわけ」
「うん」
「お見合いが終わって断ってやろうと思うんだけど、なんか気の毒になっちゃって」
「え?」
「顔が嫌いとか、話し方が嫌いとか、ちょっと暗そうとか、何か理由を言って断ってやろうと思うんだけど、わたしが言ったことが本人にも伝わってがっかりさせたらやだなぁって、それまでにも何度かお見合いしてたけど初めて思ったのよね」
「うん」
「それで、ああでもないこうでもないと断る理由を考えあぐねてるうちに、うちの親にそんなに断りづらいならもう一度会ってみろと言われてさ」
「それで?」
母は目尻に皺を寄せていい顔で笑った。
「もいっかい会ったら、お父さんもっと喜んじゃって、それで、お母さんはもっと断りづらくなっちゃったの。不思議よね。それまでにはズバズバひどいこと言って何人も断ってたけど、全然平気だったのに」
なんだか可愛らしいいい話だった。照れくさそうに笑ってる若い父の様子が目に浮かんだ気がした。
結婚ってどんなもんなんだろう?
ほんというとさっぱりわかりません。
だけど、わたしの結婚は恋愛とはちょっと違うのだと思うんです。お見合いのようなものだから。
お見合いから始まったけど仲良くやっている父と母のように、わたしもなれるでしょうか?
ほんというと少し心細い。