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   文月京香












   

「京香〜。お昼〜」


 母に呼ばれてダイニングに行くと、斉藤先生がいた。あ、と思う。焼きそばを大人しく食べてた。自分の分の焼きそばを持ってわざわざ隣に座った。母は自分の分をよそって振り返り、娘が斉藤先生の横に勝手に席替えをしているのを見て、ちょっと怪訝な顔をした。そして、自分は向かいに座る。


「あ、お母さん、ほら、連ドラ始まるよ。再放送。朝、見逃してたでしょ」

「ああ……」


 焼きそばの皿を置いて立ち上がって居間へテレビをつけにいく。その隙に聞いた。


「どうでした?」

「え?」

「昨日、お姉ちゃん誕生日だったでしょ?」

「ちょっ、京香ちゃん、近い……」

「何やってんの?京香」


 はっと気づくと、母がリモコン片手に我々をみている。


「いや、別に。何でもありません」


 そろそろと姿勢を元に戻した。それからもそもそと3人で黙りがちにそばを食べる。


「あら、やだ。もう……」


 母が中年のおばさんらしく、テレビを見ながらテレビにツッコミを入れてる。


「すみませーん」


 すると、玄関先で声がする。


「あら、何かしら?こんな時に」

「宅配便じゃない?」

「京香行ってきてよ」

「やだ。こんなお腹で」

「もうっ!」


 スタスタと母が箸を置いて玄関へ……。


「ごちそうさまでした」

「ちょっと待った」


 さりげなく逃げようとする斉藤先生を捕まえた。


「何ですか。ちょっ、痛い」

「どうだったんですか?」

「どうだったって?」

「とぼけないでくださいよ。昨日」

「何やってんの?京香」


 母が小包を抱えて、若干怖い顔をして立っている。先生の服を引っ張りすぎて、シャツの裾がズボンからはみ出してしまっていた。見ようによってはわたしが襲っているようにも見えなくもない。


「いや、何でもありません。京香ちゃん、ちょっと手が滑って」


 自分の食べ終わった食器をシンクに置いて、はみ出したシャツをそそとズボンに入れ直して、去っていく。斉藤先生。母はその背中を小包片手に無言で見送った後に、信じられないものを見るような目でわたしを見た。


「いや、違うって」

「あんた……」

「そんなんじゃないって」

「1人だけじゃ飽き足らず……っていうか、ああいう人が好みなの?」

「いや、だから、違うんだって」

「じゃ、なんなのよ」

「あー」


 言っちゃっていいのかな?座ってもそもそとそばを食べる。


「斉藤先生が……」

「斉藤先生が?」

「お姉ちゃんのこと好きだって言うからさ……」


 ボソボソと小さな声で呟いた。


「え?何?聞こえない」

「お姉ちゃんのこと好きだって」

「え……」


 つけっぱなしにしていたテレビの音をしばし2人で聴く。


「ええっ」

「大丈夫?お母さん」

「ああ〜驚いた」


 あまりに興奮して、小娘のように頬が薔薇色に染まったぞ。ずるずる。焼きそばを食べる。


「こうしちゃいられない」


 不意に椅子から立ち上がり、エプロンを外してどっか行こうとする。


「やめときなって」

「なによ。わたしが何をしようとしてるかわかってんの?」

「わかってるわよ。生まれた時からの付き合いだからさ」


 お母さんの手首捕まえた。


「どうせ、また、お仏壇とこ行って報告するつもりでしょ?」

「なんだ。バレてたか」

「やめな。こんな中途半端な報告」

「だって、斉藤先生がこのままこの家継いでくれたらみんな万々歳じゃない」

「お姉ちゃんの方がどうかわかんないでしょ?」

「ええっ?先生、言ってないの?」

「言うも何も……」


 いや、言ったのかな?でも、あの逃げ方みてたらな。首尾良く伝えたとは思えないなぁ。


「まぁ、座りなって」

「はい」


 母はおとなしく座った。


「なんか前から好きだったみたいだよ。やっぱり」

「あんた、どうやって聞いたのよ」

「いや、なんかお正月に撮った写真あるじゃん。家族で」

「うん」

「あれをじっと見てるからさ。お姉ちゃんの着物の写真」

「うん」

「お姉ちゃんのこと好きなのってストレートに聞いてみた」

「あら。それで?そうですって言ったの?」

「いや、最初はね。認めなかったの。だけど、後からやっぱり写真が欲しいっていうからさ。やっぱり好きなんでしょ?って言ったら認めたわ」

「へ〜!あの斉藤君がねぇ」

「そうよ。あの斉藤君が」


 ふふふふふと2人で忍び笑いした。


「あー、よかった。長年の悩みが解決した」

「いやいやいやいや」

「なに?」

「安心するのはまだ早いって」

「なんで?だって、ちゃんと斉藤先生が玲香に申し込んだら、玲香だってそれが一番いいって思うでしょ?嫌だって言うかしら?あの子」

「でも当の斉藤君が好きだなんて言えないって」

「なんで?」

「気持ち悪いって思われるって」

「はぁ?」


 母を無視して、すっかり冷めた焼きそばをずるずる食べる。

 母は眉間に皺を寄せて、何やら色々考えている。


「ね、京香、斉藤君って気持ち悪いと思う?」

「お母さんはどうなのよ」

「はぁ?わたしは夫のいる身ですから」

「わたしだって夫はいます。そういうのちょっと横において、想像してみてよ。斉藤君とできる?」

「あー!やめてやめてやめて!一瞬だけど想像しちゃった」

「だめ?生理的に受け付けない?」

「そういう問題じゃなくて、もう、母親にそんなこと聞かないのっ!」


 バシッと頭はたかれた。


「いったいな」

「けがらわしい」


 わたしを産んだ人にけがらわしいと言われてしまったわ。


「ね、もう、斉藤君とお姉ちゃん任せにするのはやめてさ。サクッと親同士で決めちゃえば?」

「はぁ?いつの時代の話よ」

「じゃなきゃ、お姉ちゃんほっといて、お父さんとお母さんと斉藤君で決めちゃえばいいじゃん」

「なんて言ってよ」

「君さえよければうちの娘を差し上げますってさ」

「玲香を無視して?」

「ほら。夏目漱石のこころって小説でも、お嬢さんを無視して先生がお母さんに直接申し込んで即オッケーだったじゃん?」

「あれは明治時代の話だって」

「でも、斉藤君に任せていたら、まとまるもんも、まとまらんよ?」

「だからって、玲香がなんというかわからないのにさ」


 母はすっかり昼食を食べるのを忘れて、没頭している。


「京香、さりげなく玲ちゃんに聞いてみなよ」

「なんて?」

「斉藤君とか男としてどうよ。気持ち悪いとか思う?って」

「気持ち悪いって言われたらどうするの?」

「我々の夢もついえるね」


 しばし思いはせる。病院の後継問題が解決し、皆が喜ぶ様を。それはフェスティバルであった。産院の問題が解決して喜ぶのは家族だけではないのである。


「何かの条件反射でさ。特にお姉ちゃんなんかはその時の思いつきで生きてる人だから。ぽろっと気持ち悪いとか簡単に言いかねないって。でも、一回言ったらそれは消せない事実になるって。うっかり聞けないよ」

「だからって、お父さんとお母さんが勝手に決めて持ってっても、玲ちゃんは自分が気に入らなかったらやだって言うって」

「……」

「デリケートな問題だし、失敗したら斉藤君傷ついてやめちゃうかも。それも大問題。何とかうまくまとめろ。京香」

「はぁ?わたし?」


 母はじろりとわたしを睨む。


「あんた、どんだけ家族に迷惑かけたと思ってる?」

「いや、迷惑って……」

「お腹の子に罪はないけどさ。でも、どんだけドタバタした?あんたのことで」

「……」

「自分だけ収まってそれでよしとなるな。お姉ちゃんの幸せのために一肌脱ぎなさいよ」


 幸せ、か……。


「ほんとに2人うまくいけばいいのにな」


 お姉ちゃんに幸せになってもらいたい人はたくさんいる。それに、途中から我々に加わった斉藤君のこともみんな長い間気にかけてきた。もし、その2人が一緒になって、そして2人とも幸せになったら……、それは、みんなの幸せでもあるのである。


 フェスティバルだ。フェスティバル。祭り。

 その日は間違いなくこの文月産婦人科医院のお祭りの日になるだろう。


 それにしても昨日の首尾はどうだったんであろうか?

 この日の午後、外来の患者さんが引き、先生が院内を一周して手が空きそうな時を狙って再び襲ってみた。


「京香ちゃん」


 診察室に行くと露骨にいやーな顔をされた。


「あなたの診察は今日ではないし、今は診察を受ける時間ではありません」

「いや、診察受けに来たんじゃないよ」

「妊娠中は自分のことに集中して、あまり気を揉まない方がいいよ」

「でも、お姉ちゃんのことはほっとけないんだって」


 そう言って、患者さんが座る椅子に座るとガシッと先生の片腕を両手で掴んだ。


「だから、近いっ」

「ね、先生、どうだったの?」

「……」


 また、いやーな顔をされた。


「うまくいったなんてはなから思ってないからさ。正直に話してみ?」


 怯えてる子羊をどうどうと落ち着かせる要領でした。最初眉間に皺を寄せ、機械的な顔をしていた先生。ふっとため息が漏れて、頭抱えました。


「何があったのだよ。話してごらん」

「……」

「ちゃんと気持ち伝えられたの?」

「いや」

「でも、ご飯は食べにいったんでしょ?その雰囲気で何となく伝わったとかは?」

「いや。玲香ちゃんは全くそういう誘いだとは思ってなかった」

「ん?」

「やっぱりこんだけ年の差あるし、玲香ちゃんは僕のことを男としては見てないんだよ」

「プレゼントとか渡さなかったの?」


 とりあえずめんどくさい話は後において、別のことを聞いてみた。


「用意してたけど、渡せなかった」

「どんなもの買ったの?」


 先生は不意に机の引き出しがらっと開けて、包みをポンと机の上に置いた。

 有名な……、宝石店のものではないですか?これ。


「あの、失礼して中身拝見してよろしいですか?」

「どうぞ」


 相変わらず俯いております。さてさて、ぱか。おお……。シンプルなゴールドのネックレスでした。有名なデザイン。

 これって……。自分で買おうとか贈ってもらいたいと思ったことないから知らないけど、結構するんじゃ。


「これってちなみにおいくら?」

「そんなんどうでもいいよね。渡せないんだから」

「でも、結構するよね。これ、お姉ちゃんにはちょっともったいないんじゃない?」


 むくって顔を上げた。


「別に自分は社会人だし、玲ちゃんにあげるのなら、このくらい勿体無くないよ」

「あー、どうもすみません。余計なことを申しました」


 ちょっと、じいっと見る。いいなぁ。綺麗だなぁ。わたしも欲しいなぁ。

 でも、責任とって結婚してもらうだけで御の字なのに、こんなん買ってもらうことは流石にないな。

 何年か後にはあるだろうか……。


 はっ!思わず思考がどうでもいい方に流れてたではないか。先生が更にぶつぶつとつぶやく。


「玲ちゃん、なんか婚活パーティー行くんだってよ」

「え?パーティー?」

「独身の医者ばっか集めてやるパーティーだって」

「へー」


 先生は机にうつ伏せになってしまった。


「そんなとこうろうろしてるやつに、本当に玲ちゃんのこと幸せにできる奴がいるのかなぁ」


 ああああああ、うざい!消極的な男め。


「ね、しっかりしなよ。まだ、負けたと決まったわけじゃないでしょ。わたしとお母さんは先生の味方なんだからさ」

「は?」

「ん?」

「お母さんって……」


 顔がみるみる青くなってきた。


「いや、わたしのお母さんって言ったら、ほら、あの」


 もちろん、知ってるっしょ?毎日顔合わせてる、あの。


「言ってしまったんですか?奥さんに」

「言いました」


 絶句しました。斉藤君。


「いや、でもさ。ほら、外堀からさ。攻めた方がいいって。お母さんだって言ってたよ。斉藤先生が娶ってくれたら全部丸く収まるって」

「京ちゃん、声が大きいです」

「へ?」

「この産院は壁に耳あり障子に目ありなんだから」


 お化け屋敷みたいだな。


「ま、でも、お母さんが落ちたら、もうかなり落ちてるよ。文月医院は」


 なぜか、城攻めの話になっている。


「まさかとは思いますが……」

「ん?」

「院長には言ってないでしょうね?」

「ん?それはまだ」


 ため息をついた。冷や汗かいてるな。この人。


「いや、でも、お父さんとお母さんが落ちたら、文月医院は……」

「絶対やめてください」

「でも、そっちの方が内堀より完全確実……」


 かなりいけそうなんですが。勝利がわたしには見えている。


「肝心の玲ちゃんそっちのけでそんな話」

「……」


 だから、そこはお前がしっかりやれよ。


「だから、先生が気持ちを伝えてだな」

「やです」


 チーン


「じゃ、別の男に取られちゃうよ」

「それもやです」


 おいおいおいおいおい

 ゴジラのようなものになって、この男に火炎を放射してやろうかと思いました。一瞬。

 しかし、うまくまとめろと言われたではないか。この歳で腹をデカくして、家族をハラハラさせた罰として。あたしだってね。これでも母親になるんだ。このくらいやってやろうじゃないの。


「じゃあ、あれだ」

「ん?」

「先生がどーしても、お姉ちゃんに直接言うのが嫌だと言うのなら、わたしからそれとなく脈がありそうかどうか聞いてみてあげるから」

「え?」


 先生の目が期待とあと、疑惑の半々で輝いている。

 おいおいおい、味方を信用しろよ。


「なんでそんなに僕のためによくしてくれるんですか?」

「先生、どういう育ち方したらそんなに疑り深くなるの?」

「……」

「そりゃ、この生まれ育った文月医院の未来のためにだよ」


 パァッと両手を広げて言った。しかし、本当は母親に腹デカくして周りをひやひやさせた分の借りを返せと言われたからだけどな。

 斉藤君は相変わらず疑惑の目でわたしを見ている。


「なんすか?先生、ノリ悪い。ここ、感動するところだから」

「……」


 疲れるな。わたし、臨月なんだけど……。よっこらしょっと。


「じゃ、いらないの?」

「え?」

「このまま、何もせず、お姉ちゃんがお見合いやら婚活パーティーやら出かけてどこぞの誰かを捕まえてくるのを指を咥えてみているか」

「いや、それはやです」

「じゃ、どうすんだよ」

「……」


 わたしはガシッと斉藤君の両肩を捕まえた。


「何すんの」

「いいから、黙ってきけ」

「……」

「幼稚園でさ。ま、先生が行ったような高級幼稚園がわたしが行った庶民的な幼稚園と同じかどうかは知らんけど」

「はぁ」

「人に何かお願いするときは、なんて言うって教わった?」

「……」

「覚えてないんすか?」

「いや」

「じゃあ、それを今、言ってみようか」

「よろしく……」

「うむ」

「お願いします」

「どうぞが抜けてるよねぇ〜」

「どうぞよろしくお願いします」

「おーおー、ちゃんと言えるじゃねえか」


 ぽんぽんと肩を叩いた。はっと気づく。今、自分、ゴジラまでいかないけど、何か違うキャラになっていたような。


「じゃ、大船に乗った気で待ってな。悪いようにはしねえよ」

「かたじけない。恩にきます」


 やったろうじゃねえか。臨月だけど。姉ちゃんの一つや二つ。

 ん?まだキャラがおかしいな。


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