2 手の届かないもの
2 手の届かないもの
斉藤裕也
そんな経緯があって自分は千葉県野田市にある文月産婦人科医院の医師となりました。
レトロな建物は落武者の落ち着き先にふさわしいなと思いながら、僕はそこで黙々と働き始めた。
最初は……、そのうちに黙々ともいかなくなった。
「先生ってほんと大人しいねぇ」
「そうでしょうか」
「一日何語話してる?」
「……」
診察の最中になぜか全く関係のないことを聞いてくる人たち。
「1日何語話しているか数えている人を僕は知りません」
「あ、しゃべった。いつもより多く」
「特に問題はありません。順調です。次の方」
「また、機械的に終わらせようとするね」
「……」
「そんなんで生きてて楽しいか?」
流石になんか言い返そうかと思うと、既に2人産んでいるベテランと言っていいのか3人目の妊婦はよっこらせっと立ち上がって去っていく。
ここの患者は、なんだか……
こう言っていいのかどうかわかりませんが、家族か親戚のようだった。
医者というのは上の立場の人間で、医者と患者のコミュニケーションというのは、一方的なものだとどこかで思ってました。だけど、ここでは、患者もまた医者に対して何か言ってくる。双方向でした。
この参院が現院長の祖父から始まり既に3代続けてここでやっているからでしょうか。そして、この規模だからだろうか。地域に根ざした産院だった。みんなが顔見知りで、親も子もここで生まれたという人がたくさんいた。
「院長先生、ありがとうございました」
退院の日、ご主人と奥さんと生まれたばかりの赤ちゃんを抱えてみんなで揃って院長先生に挨拶に来る。そういう光景を働き始めて間もなく見かけるようになりました。そして、どのぐらい経った頃だろう。
「斉藤先生もありがとう」
ついでに言われた。嬉しそうな笑顔。ご主人も奥さんも幸せそうに笑ってる。産婦人科というのは、最近なり手が少なくて、というのは少子化というのもあるし……。だから限られた人数での現場は働く側から見れば過酷。だけど、一部の不幸な場合を除けば、笑顔を向けられる職業です。妊娠は病気ではないから。基本的には死に向かう或いは刃向かう医師という職業の中で、産婦人科医は生に向かうことができる。
ありがとう
人は本当はこの言葉をもらうために生きているのではないかとその時に思った。
ありがとうと言われたくて生きている。そのくらい、ありがとうという言葉には人に前を向かせる力があるのだと思いました。
人はありがとうと言われるために働いていて、そして、産婦人科医というのはありがとうと言ってもらえる仕事なのだと思った。
自分が頑張ればありがとうと言ってもらえる仕事なのだと思った。
何を当たり前のことを言っているのだと言われても仕方ありません。ただ、自分は一度かなり参ってしまいました。追い詰められてしまったので、そして、落武者になったので、そんな自分だからそんな当たり前のことがいまさらに大切に思えたのだと思うんです。
僕はこの醤油の香りのする野田市に居場所を見つけた。
「斉藤君」
「斉藤先生でしょ」
「でも、お父さんは斉藤君と呼んでるよ」
「……」
あの日、応接間を覗いていた女の子、玲香ちゃんと京香ちゃん。2人は常日頃敷地内の母家から自由に産院に出入りしていて、僕が暇そうにしているとちょっかいをかけてくる。
「院長先生は偉い人だから斉藤君と呼んでもいいんです」
「ふうん」
「玲香ちゃんは、斉藤先生と呼んでください。他の人たちもそう呼んでくれるんだし」
「ふうん」
僕の机の横にくっついて離れないのをほっておいて、事務作業をする。
「斉藤先生の下の名前って何?」
「そんなことを聞いてどうするの?」
「別にいいじゃん。わたしは玲香」
言われなくても知ってる。
「わたしの知ってるんだからいいでしょ?」
「……裕也」
「裕也先生」
「玲香ちゃん、普通は下の名前は簡単に使いません」
「そうなの?じゃあ誰なら使っていいの?」
「親とか」
「親とか?」
そこで玲香ちゃん、変な顔をした。
「学校ではクラスの子達みんな下の名前で呼び合ってるけど」
玲香ちゃんは馬鹿な子ではなかった。
「ええっと、子供の時は友達同士でも使うけど、大人になったら違うの」
「じゃあ、誰なら使っていいの?」
「だから、親とか家族とかいい友達」
「ふうん」
するとカラカラと診察室の引き戸が開く。
「あ、玲香!やっぱり声がすると思ったら」
院長夫人でした。
「斉藤先生の邪魔しちゃだめって何回言ったらわかるの」
「ごめんなさーい」
キャハハハ、笑いながら逃げていく。
「先生、いつもすみませんね」
持ってきたお茶をことんと置いてくれた。
「前の先生がお年寄りだったから、若い先生が珍しくってあの子達」
「子供に好かれるような性分じゃないんですが」
「あら、そう?」
そう言って夫人は持ってきたお盆で口元を隠しながら笑いました。
「あの子達だって若い人だからって誰でも寄ってくわけじゃないですよ」
「ええ?」
「先生、話しかけやすいもの」
「そうですか?」
驚いた。人に好かれるような性質ではないとずっと思ってました。僕はどちらかというと大人しい人間だから。
「あの子達だけじゃないでしょ?患者さんも皆さん言ってますよ。斉藤先生は話しかけやすいって」
それだけ言うと、夫人はカラカラと出ていった。
そして、野田で落ち着いた生活を続けるうちに、今までになかったような不思議なことが起こり始めました。
簡単にいうと、なんだか女の人にモテるようになった。人づてに紹介されたりする機会が増えました。
学生時代もそういうことに奥手だった自分にはそういう機会もなく、それに勉強に必死でした。そして働き出してからはああいう大変なことがあり、心に余裕もなかった。自分は別に家が医者ばかり出してる家だから医者になったわけで、だからうっかりしていた。
医者というのはわりとモテるんです。モテるために医者になったわけではないので知らなかった。
僕は大学病院も辞めてしまったし、今はこう言っては院長に悪いですが、小さな産院の通いの医者なわけで、医者としてはたいしたことない。
しかし、でも、医者なわけです。世間一般の人から見たらそれでもよく映るらしい。
紹介された何人かの中からお付き合いする人ができた。それが……、悪い人ではなかったのだけれど……、何かピンと来ないものがあった。
ピンとくるものがないままに、かといって別れる理由もないままにずるずると付き合ってました。しばらくするとやたらと結婚を仄めかすようになってきた。このまま、この人と結婚して一生を過ごすのか?やっぱりピンとこない。
ワクワクしたものなんて何もない。ま、でも、もしかしたらこういうものなのかもしれないと思う気持ちもある。
めんどくさいからこのままそうなってもいいのだろうかと思ったこともある。だけど、踏ん切りつかずにいずれはという言葉で誤魔化してた。
すると、見切りをつけられて振られた。ホッとしている自分がいた。1人で暮らす毎日は悪くなかった。気が楽だったんです。
「ね、裕也先生」
「だから、玲香ちゃん、下の名前は使わないんだって」
「でも、お友達は使っていいんでしょ?」
「……」
そして、その後、彼女はどこから聞いてきたのか突然言う。
「ね、裕也先生、振られたんだって?」
「は?」
「落ち込んでるって聞いた」
「誰に?」
「いろんな人が言ってる」
「……」
僕の行動はその時、複数の人間に監視されていて、筒抜けでした。
「人生いろんなことがあるよ。気にするな」
そして、ぽんぽんと肩を叩かれた。
「いや、そんなに落ち込んでるわけじゃないから、心配しないでいいよ」
その後、彼女はこう言いました。
「わたしが大人になるまでもし先生に縁がなかったら、わたしがお嫁さんになってあげる」
その時、彼女は小学校6年生だった。
「え?」
「約束するよ。だから、元気出して」
そして、いなくなった。
しばらくぼーっとしました。小学校6年生の他愛もない冗談だとわかってます。だけど、そういう経験の少ない自分には衝撃的な出来事だった。相手が子供だけど、反対に相手が子供だけに忘れられなかった。
本人は忘れたと思う。
そして、年月は瞬く間に過ぎました。
僕は、相変わらずあの産院で働いていた。いろいろな知り合いができて、自分もまた街の一部となって歳を取っていった。あれからも何度か僕は女の人を紹介される機会があって、付き合うまでいった人もいたのだけれど、なんとなく結婚まで踏み切れないという前と同じような経験をしていた。
その2人目の人は、本当にいい人だったんです。
もしも何かが少し違えば、僕は彼女と家庭を持ったかもしれない。だけど、本当にそれでいいのかとふとした瞬間に呼びかけてくる自分がいる。
自分はいつの間にか、欲張りになっていました。
あの、医者を辞めようと思っていた自分とは比べものにならないくらい欲張りになってました。人生の中で何か一つは自分が自分で身分不相応だと思うものに手を伸ばしたいと思うようになった。
一度だけ、手を伸ばしたい。
手に入るか入らないかわからないものに手を伸ばしてみたい。