少女闘争 その1 vs殺し屋 (怪力王女)
路地裏に男が立っていた。黒いコートに皮のグローブ。
小柄でも大柄でもない体格。
だが引き締まった身体のラインと、その立ち方から、ただ者ではないことが窺えた。
時刻は夜の10時を回ったところ。この街を歩くのに、安全な時間とは言えない。
しかし、だからこそ男はこの路地裏にいたのだった。
「今宵のお相手は女で。」
暗がりからもう一人の男が姿を表す。
路地裏に似つかわしくない、背広を着た小柄な男。
撫でつけられた髪、丸眼鏡、執事然とした初老の男であった。
「関係ない。性別がなんであろうと。もとより、性別に目が曇り、見誤った奴を、俺はたくさん知っている。」
獣人、魔術師、超能力者、強化人間。
性別や見かけからは判断することができない。
「良いショーを。今宵はギャラリーが多い故。」
初老の男がしゃべり終わる頃、足音が聞こえてくる。
タッタッタッ、と軽い音。
どうやら足音の主は急いでいるようだ。
やがてその主は、路地裏の角から姿を現した。
「すみません、遅れましたっ!」
制服姿の女子高生だった。
肩にかかる黒髪に、大人しそうな顔立ち。
制定鞄を肩にかけた少女は、路地裏の光景から明らかに浮いていた。
「対戦者が揃いました故」
頭上でブーンという、微かな振動音。
男の視界の端に小さなカメラが映った。
(20を超えるカメラで俺たちを追うか。)
この対戦は記録され、またリアルタイムでネット配信されている。
それを有料(とんでもなく高価な)アカウントで視聴する事ができる。
道楽だ。
生々しい、勝敗のわからない戦い。
否、殺し合い。
それは需要が高く、多くの利益を生み出すビッグビジネスだった。
男には関係がないが。
(昔磨いた技術、こんな使い方しかないなんてな。)
「では、」
初老の男が、開始の合図を。
「はじめてください」
告げた。
「!!」
少女が驚愕の表情を浮かべる。
その原因は男が投げたコートであった。
一瞬、少女の視界が塞がれる。
払おうと突き出した手。
空いた少女の無防備な胴体に、男は蹴りを放った。
コート越しに伝わる手応え。
さらに男は連続して拳を叩き込む。
うめく声を上げる暇さえ許さない連打。
数秒続いたラッシュの後、男の強力な蹴りで、少女の体は文字通り吹っ飛んだ。
男の体は強化骨格と電磁筋肉で構成されている。
いわば、サイボーグだ。
トラックをも吹き飛ばす打撃を連続して打ち出す事ができる。
それを生身の人間に向けるとどうなるか。
(ミンチだな)
男は心の中でつぶやく。
通常であれば、勝敗は決したも同然だ。
だが、構えは解かない。
男は知っている。
この手の類は二種類。
一つは借金などで首が回らなくなった一般人を嬲り殺しにして、その様子を楽しむもの。
悪趣味が過ぎる。男の嫌いなパターンであった。
仕事でなければ、やらない。
今回もそれだと思い、手早く済ますつもりであったが・・・。
(どうやら今回は後者か。)
倒れた少女の体が起き上がった。
連打した手足から伝わってきた手応えは、人体を破壊する感覚ではなかった。
例えるなら、それは分厚いタイヤ。
「び、びっくりしました!」
乱れた黒髪を整えながら、少女は言った。
「おまえ、人間じゃないな。」
男が問いかける。
「えっと、一応人間です。正真正銘の。」
少女が答える。
相手が正直に言うとは限らないため、問い自体が無意味であったが、男の信条として問いかけざるをえなかった。
人間でなければ、気にせずにやれる。
「そうか。」
口にした言葉で一瞬場が停滞する。
次の瞬間、男の体がバネのように駆ける。
拳を振り上げ、少女は反射的にガードしようと手を出す。
しかし男の拳はフェイント。
男は、少女がガードしようとして突き出した手を、掴んだ。
(威力が殺された可能性がある。今度は逃がさない。)
仮説を立て、対策を講じ、実行する。
男のやり方は常にそうであった。
少女の顔に一瞬動揺が浮かぶ。
男は拳を叩き込んだ。
少女は防御しようとするが、構わない。
重い一撃を叩き込み続ける。
回避しようと少女が一歩、体を引こうとする。
しかし、男の掴んだ手がそれを許さない。
(逃すか・・・!)
男は引き寄せるために、腕に力を込める。
しかし、次の瞬間違和感を感じていた。
(なっ、重・・・っ!)
まるで巨木を相手に綱引きでもしているかのような、絶望的な感覚。
同時に目の前が真っ白に光った。
目の前に星のない夜空が見えて、男は自身の顔面が天を向いていることを知った。
瞬時に脳内に直結した制御部品が、三半規管の揺れをコントロールする。
次いで脳天に残った残滓から、男はとてつもない一撃を受けた事を理解した。
「っ!」
本能的に、男は少女を掴んでいた手を離す。
そして、距離を取るために後ろに跳んだ。
同時に視界を前に向け、目の前の状況を把握する。
少女がいた。
拳を前に突き出していた。
なるほど、殴られたのか。
だがそのフォームが少しおかしい。
腰を入れた一撃を放った後には見えない。
そして理解する。
少女は腕のみの力で、手打ちで男を叩いたのだ。
冷や汗が湧き出る。
状況は理解できた。
だが、理屈が全く理解できなかった。
(手打ちで?あの衝撃を?なんだ?何が起こっている?)
その後、少女の取った動作はごく単純だった。
踏み出して男との距離をつめ、拳を振りかぶり、男の身体に打ち込んだ。
達人の技でもなく、ごくごく素人の人間の動きであった。
一連の動作が亜音速で行われた事を除けば。
男は自分に何が起こったか、反応すらできずに、壁に叩きつけられた。
静寂が裏路地に満ちる。
カメラの奥から、見る者の混乱に似た感情が漏れてくる。
「お、終わりですかね?」
少女が初老の男に問いかける。
「はい。」
その男だけが冷静に、戦いの終わりを告げた。
「じ、じゃあ、私は帰っていいんですか?なんか、書いたりしなくていいんですか?ほら、記帳的な・・・」
「ありません。」
もじもじと、年相応な表情で少女はしばらく立ち尽くしていたが、
「では、すみません、失礼します。」
ペコリとお辞儀をすると、元来た道を帰ろうとした。
そして、何かを思い出したようで振り返る。
「あの、手加減したんで、たぶんその人大丈夫だと思うんですけど、体に何か仕込んでそうですし・・・、ほら鉄板?とか。病院には連れてった方がいいと思ってて・・・。救急車、呼んだ方がいいですか?」
「勝っちゃったねぇ。まあ、当然か。しかし、過程は予想外か。」
薄暗い部屋でモニターを眺めながら、男は呟いた。
デスクの上の書類を手に取る。
そこにはモニターに映る少女の情報が書いてある。
少女の名前は、神山紗希。16歳。
ごく普通の家庭に生まれ、父はサラリーマン、母は専業主婦。
普通に生まれ、普通に育ち、不自由なく生きてきた。
黒髪、黒目にある程度整った顔立ちの少女は、飛び抜けた美人ではないものの、明るい性格でクラスの男子には人気があるとか、ないとか。
見た目も細身な、ごく普通の体格の少女は、異常なのがその中身。
身長160センチ、体重200キロ。
視力、聴力、握力等の筋力、測定不能。
「よかったねぇ、神山さん。君は生きることができる。」
男は書類をデスクに放ると、タバコに火をつけると呟いたのだった。
この後、少女はコンビニに寄り、運動をしたという名目でスイーツ(ふんわりたまごのカスタードのシュー:期間限定)を手に入れ、ホクホク顔で帰路についた。