ゴッドハンド わたし
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふーむ、これまたなかなかいい、にんにくを使っているなあ。
わたし、にんにくの臭いってけっこう好きなんですよね。こう、嗅いでいるだけでも、ほんのり元気が湧いてくる気がしません? 実際に二かけ、三かけ、それ以上かじることができたなら、最高なんですけどね……変な奴ですか? 先輩からしたら。
先輩にもおそらく、好きな香りとかあると思いますよ。ついつい足を向けて、ふらふらと近寄ってしまいかねないほどのものが。
……ああ、いまの先輩だったら新鮮なネタですかね。最近、行き詰っていると聞きましたから、何にでも食いつきたくなるんじゃないですか?
――もったいぶらずに、話すことがあるなら話してほしい?
ははは、分かりやすいですね先輩は。それじゃわたしの昔話なんですけど、耳に入れてみますか?
ゴッドハンド……と聞いたら、先輩は何を思い出します?
ゲームですか? サッカーですか? それとも社会の教科書内容を揺るがした、かの事件ですか?
わたしもですね、持っていたんですよ。ゴッドハンド。
――よくある、電波系の妄言が進化したのか?
それならまだ可愛いものですね。被害はせいぜい、相手にする人の正気度くらいでしょう。
ですが、わたしの手に降ってくる神様は、もうちょっとやっかいな手合いなんです。
異変に気が付いたのは、トイレの個室から出たときですね。学校のトイレと聞くと、便器に触りたくない。友達にからかわれたくないとかの、もろもろの理由で敬遠する子も多いと思います。
わたしはその点、抵抗はありませんでしたね。なにせ「近い」人ですから。教室内でしでかしたときには、何をされるか分かったものじゃありません。
そのわたしが、またも授業中に席を立って、個室にこもったんです。
なあに、ちろちろとおばあちゃんみたいな、勢いのない用足し。ものの十数秒で腰をあげて、さっとドアから出たんですね。
とたん、強烈なにんにくの臭いが飛び込んできたんですね。いくら好きなものとはいえ、わたしが鼻をつまんでしまうくらいだから、相当です。
――絶対、誰かがこの近くでにんにくをおろしたか、何かしてる!
わたしは床や掃除用具入れはもちろん、ドアの開け放たれた個室や、洗面台の下まで探ってみましたが、にんにくの「に」の字もなく。
手当たり次第に、掃除用具入れに入っていた消臭剤をトイレ内にばら撒いて、その場は撤収しました。
無駄でした。
教室へ戻っても、わたしの鼻を潰さんばかりのにんにくの臭いはやみません。それどころか、ますます強まっている気がしたんです。
トイレへ行く前には、こんなことにはなっていません。それはトイレ自体もしかりで、わたしが個室へ籠るより前には、何の異変もなかったはず。
考えられるのは、わたし自身からの発生。昨日食べたつまみにんにくが、ここにきて消化間近の最後っ屁でもかましてきたのかと、内心でびくびくしながら席へ戻りました。きっとみんながこちらをにらみつけ、そうでなくとも鼻をつまむようなしぐさを見せてくるだろうと思って。
それがありません。わたしの臭いはいささかも弱まる気配はないというのに、隣の席に座っている生徒は、こちらをちらりとも見ず、授業に集中しています。
その後の休み時間も、掃除の時間も、帰りのホームルームも。臭いは変わらず、わたしの中を漂い続けているのです。友達と話すとき、あえて息を大きく吐き出すようにして反応を見ましたが、その表情は変わらず。
下校際でもみんなは変な顔ひとつせず、わたしとおしゃべりをし、やがて各々の家へ帰っていきます。
冷遇されているわけじゃない。むしろ好ましさの方があふれているのに、当のわたしが腑に落ちず、気味悪さを覚えました。もしやみんなは、本当は気づいていて、わたしをかつごうとしているんじゃなかろうかと。
家に帰った私ですが、母親もまた、顔に不審のしわひとつ浮かべることなく、夕飯の買い物をしてくれと頼んできます。
さすがにスーパーへ着くころには、もうわたしも落ち着いていましたよ。
臭いを気にしないように努め、ぐうぐう鳴り出すお腹を試食コーナーで黙らせながら、メモのものを買って行きます。
すでに母親へ叩きこまれましたからね。賞味期限の長いものを探せ、と。立ち並ぶ一リットル牛乳パックの林の中から、一日でも先の日付が記されているものを探し、買い物かごを置いて、パックを指触れ数えながら、奥へ奥へ手を伸ばしたときでした。
パチリと、静電気が走って思わず手を引っ込めてしまいます。
てっきり、このコーナーを冷やしている機械の、どこかへ触ってしまったかと思いました。でも明かりは消えず、冷気もなくならず。
同時に、わたしの中でにんにくの臭いが、つつと移っていくんです。顔の真ん中から、すっと肩を下って指先へ。そうして爪の間がじんわり熱くなり、にわかににじみ出したかのように思いました。
膨らませたばかりのお腹が、またも「ぐうう」と根をあげます。一瞬、ひざを折りそうになるほどの強烈な空腹に襲われ、やむなく手近なお菓子もカゴの中へ。ささっと会計を済ませると食べ歩きながら、家へと帰りました。
母親の指示通り、買ってきたものを冷蔵庫へ入れ終わったときにはもう、苦しめられていたにんにくの臭いがなくなっていました。
キツネにつままれたような気持ちで、わたしは自分の部屋へ戻ります。ところが、30分ほど経つと母の悲鳴が階下から響いてきたんです。
駆けつけてすぐ、悲鳴をあげさせた主が分かりました。
開けっ放しの冷蔵庫。食器棚へ背中を預けるようにひっつき、おののく母親。そしてその机の上には、真っ白い体色を持つバッタがいたんです。
ハンドボールほどはありました。わたしがこれまで見てきた中でも、ダントツの図体もち。
わたしは虫にビビりません。すぐさま台所口に引っ掛けてあったハエたたきを握り、バッタへ打ち付けたんです。
バッタはぴょんと跳び、直撃を避けました。けれどもハエたたきにかすった後脚が一本、ぽろりと取れたかと思うと、そこから血にしては白すぎる液体がこぼれ出したんです。
牛乳と、にんにくの入り混じった臭いが、一気にその場所からあふれました。不意打ちにひるむわたしたちを置いて、バッタはどこかへ消えてしまいます。
母親のおびえは抜けませんが、わたしは別の意味で戦慄しましたよ。もし、あのにんにくの臭いが漏れ出してから触れたものに、同じことが起こっていたら……。
ビニール袋をしまっている場所での物音を皮切りに、多数のバッタが姿を現わしました。
母親は戦力に数えられず、わたしが戦うよりありません。バッタたちはすばしこく、私の致命の一打はかわしていくのですが、やはりかすったところから血とは呼べないものが、披露されていきます。
油だったり、豆腐だったり、しらたきだったり、ひき肉だったり……いずれも、私が先ほどの買い物で購入したものばかりだったんです。そして、彼らはことごとく姿を消していたんですね。
にんにくの香り漂う、身体の一部を残してね。
私の体重は、その一日で6キロほどやせていました。そして翌日、私が買い物にいったスーパーは、牛乳売り場の付近で大量にバッタが出たとかで、少し騒ぎになったと聞きました。にんにくの臭いに関しても、ちらっと。
きっとあのときの私の手は、命を生み出す神様の手になっていたんでしょうね。