誘拐
私は今、帰りの馬車に揺られている。隣にはレインさんが剣を抱えて座る。
ユリアン先生は急用が入ったとかで一足先に帰られた。
夢みたいな時間だったお城での演奏。
あの広い会場で開催されたコンサートの光景が目に浮かぶ。
大勢の観客の前で大きな声で歌う。私の声にリュカのフルートの音色が重なり広がる世界。
始まりの曲『エターナルオーシャン』から終わりの曲『愛の歌』まで、とても楽しく歌えて私は幸せだなあと思う。
人間の世界で、それも王様の前で歌うことになるなんて思ってもみなかったけれど、リュカが一緒に居てくれたからとても安心できたし二人で演奏するのはやっぱり最高。
それに、アンコール曲の『あいの海 星の願い』も、大歓声でいつまでも拍手が鳴り止まなかった。
その後のリュカのスピーチがとても良かったんだ。
内容を要約すると私達の演奏は王族や貴族などの身分にとらわれずに、誰もが楽しめる物にしたいというものだった。
次の演奏会はもっと大勢の人が参加できる所で開催するんだって。
そして、リュカ主導でこの国を音楽の都にする計画を立てており、貴族の皆さんにはこちらの支援を頼んでいたの。知らない間に色々考えていたんだ。
何だか楽しみだよね。
私もリュカの役に立ちたいな。といっても私には歌うことしかできないけれど。
ああ。
リュカ、早く帰って来ないかな。
本格的に戻って来るのはもう暫くかかるけれど、明日は都合を付けて家に帰ってくるんだって!
嬉しくてついついにんまりと笑ってしまう。
「おい、マリン。顔がにやけすぎ」
「えっ、そうですか?」
私は慌てて緩みまくった頬を両手で押さえた。
「まあ、しょうがないか。お前、リュカたんの正体分かったんだろ?」
「王子様だった···」
「驚いただろ!黙ってるのも辛かったんだよ」
「そうなんだ···教えてくれても良かったのに」
「だめだめ。そんなことをしたら面白くないだろ?」
「ええっ!?」
面白くないってどういうこと!?
もしかして、シノンさんも知ってて面白がってた?!
もーっ!
私は少しむくれてレインさんを見る。
レインさんはゲラゲラと笑って私の頭をポンポンと叩く。
「もう内緒はなしですよ」
「ああ。もう秘密はないよ」
そうだよね。リュカが王子様ってこと以上に驚く事なんてまずないよ。
だけど、王子様があの家で今までのように生活してもいいのかな?
これからどうなるんだろう···。
リュカが戻ってきたら聞いてみよう。
私が物思いに耽っていると、急にガタンと馬車が止まった。
なんだろう?
隣のレインさんは険しい顔になって剣に手をかけた。
「マリン、ここで大人しく待ってろ。外の様子を見てくる。いいって言うまで外に出るなよ」
「は、はい」
レインさんが馬車から出てから暫くして、外からは金属がぶつかり合うような激しい物音が聞こえてきた。
やだ、なんなの?
レインさんは大丈夫なのかな···。
私は心配になって馬車の車窓から外を見た。でも、外は暗くて良く見えないよ。
どうしよう、大人しく待っているように言われたけれど、このままここにいていいのかな?
凄く長い時間に感じる。
何か嫌な汗が流れる。
カタッと馬車の扉が開いたので、私は扉の方を見て声をかける。
「レインさん?」
「やっぱりこの馬車だった」
「え?」
私は固まった。
入ってきたのはレインさんではなくて、良く見知った顔だったから。
なぜ彼がここにいるの?
銀髪の青年は息を切らして入ってきて、おもむろに私の手を取った。
「ノア、どうしてここに?」
「マリン、君を迎えに来たんだ。オレと一緒に行こう」
「一緒に行こうってどこに?」
「お城だよ。竜宮に案内する約束だったろう?」
「や、私は約束してないよ。行かないからね。そんなことよりもレインさんはどこ?探しに行かなきゃ」
何か変だ。
いつものノアじゃない。
様子の違う彼の表情に不安を覚える。
私はノアの手を振りほどいて馬車から出ようとしたけれど、更に強く手首を捕まれて身動きが取れなくなってしまった。
「マリン、君の連れはここにはいないよ」
「···どういうこと?」
ノアは目を細めてうっすらと笑い私を引き寄せた。
「もう海に帰るんだ。そんな些末な事を気にする必要はない」
「ノア!何を言っているの?私は帰らないから、離してっ!」
抵抗するけれど、強い力で抱き締められて逃げられない。
いや、怖い!
「離さないよ。オレの花嫁」
「え?」
私が驚いてノアを見上げるのと同時に周りがキラキラと輝きだした。
確か今までは馬車の中にいたはず。
でもここは潮の匂いがする。そして静かな波の打ち寄せる音が聞こえる。
ノアは転移魔法を使ったの?
一瞬でここに戻ってくるなんて。
ここはイアルマの入江。
リュカと出逢った思い出の場所。
このままだと本当に海に連れていかれちゃう!
どうにかしてノアから距離を取らないと。
「離して」
私はノアから離れようと試みるけど、力が強くてどうしても離れられない。
「もう逃げられないよ」
「ノア、急にどうしたの!花嫁ってなんのことなの?私、全然わからないよ」
「わからない?そうだよね。オレは聞いてしまったんだ。君の歌を」
「私の、歌?」
「ああ、君は歌の一族だったんだね。それもとんでもない能力の持ち主だ。その力を知ってしまった今、君を野放しにできる訳がない。オレの為だけにその力を使ってもらう。オレの物になれよ」
「私は物じゃないのよ。ノアの花嫁にはならない。私には好きな人がいるの」
「···あの金髪の王子か···。そんなに人間が好きなのか?」
「そうよ。だから早く帰して」
「人魚と人間が愛し合って上手くいった試しはないんだ。正体を知られてはいないんだろ?」
「······」
「ほらな。人魚ってバレたらそれでお仕舞い。傷つく前に止めておくことだ。人魚は人魚と共にいるのが幸せなんだよ。それにオレに嫁ぐということは海の王妃になれる。城で贅沢三昧できるなんて良いと思わないか?」
「私、お城とか贅沢には興味がないの。それに海には帰らないって決めてるから」
「オレはマリンを連れて帰るって決めたんだ。オレに従ってもらう」
「それは貴方の決めることじゃない。どこにいるのかは自分で決めるの」
「これ以上話しても平行線のままだ。そもそも話し合いなんて必要ないし。そろそろ行こうか」
ノアは強引に私を引っ張って行く。
私が何を言っても通じない。
私の意思は無視される。
どうしよう。
リュカ!
心で叫んでみてもどうにもならない。
他に何か····。
そうだ!私にはピアスがあった。
今は不測の事態。
この力を使おう。
私は左耳に飾られた赤い珊瑚のピアスに触れて強く念じた。
助けて!!
お兄ちゃん!
ピアスは赤い光を発して輝き、その力を解放した。
輝きと共に衝撃波が発生し、ノアに向かって放たれた。
完全に油断していたノアは、もろに衝撃波を食らって吹っ飛び砂浜に倒れこんだ。
今だ!
その隙に私は逃げ出した。
砂浜は走り難くてハイヒールも邪魔になる。靴を脱ぎ捨ててドレスの裾をたくしあげ全力で走る。薄暗い浜辺は月明かりだけが頼りだ。後方でノアが動いたのを感じるけれど、振り向いたら捕まってしまう。
どうしてこんな事になっているんだろう?ノアは人が変わってしまった。もっと優しい人だと思っていたけど、ホントは違ってたんだ。
怖いよ、リュカ。助けて···。
走り続けて息が上がる。でも止まることは出来ない。
砂に足を取られながらも必死に走ると前方に輝きが見えた。
え?
目の前にノアが現れた。
転移魔法を使ったノアは腰に手を当ててうすら笑いを浮かべている。
先程の衝撃波でもダメージはたいして無かったようで、右頬が少し切れて血を滲ませている程度だ。
私は慌てて踏みとどまり、ノアと距離を取る。
これではどこに逃げても同じですぐに捕まってしまう。
こうなったら···。
私は『子守歌』を歌い始めた。
お願い。
これで眠って!
「ねえ、マリン。オレをなめすぎてないか?」
「え、眠らない?」
歌の効果が無いなんて初めてで、動揺した私は大きく目を見開いた。
ノアは左腕を目の前にかざし、手首に巻かれたブレスレットを撫でて見せた。
「このアイテム、一部の魔法を無効化するようだ」
「······」
そうか···。
『子守歌』もそれで効果が無かったんだ。
もう私にはなんの手もない。
後ずさる私にノアは歩み寄り、すかさず右手首を掴んだ。
「遊びはもう終わりだ」
そう言うと、私を無理矢理引っ張って海へと歩いて行く。
穏やかに波が打ち寄せる砂浜からすぐに深みに入り、私の腰ぐらいまで海水に浸かっている。
海の水の音がする。懐かしいという思いもあるけれど、今はそんな水の音も厭わしい気持ちの方が強い。
着ているドレスに海水が滲みこんで重く感じる。
情けない。
自分の力がいかに小さいか、何もできずに海へ連れていかれる事の悔しさで一杯になってしまった。
涙が浮かんでポロポロと頬を伝う。
海水はいつしか私を頭から覆った。
結い上げた髪は海水の中でほどけて広がる。
ドレスは更に重く身にまとわりつく。
「人間の衣裳は海には相応しくない。人魚に戻ることだしそろそろ着替えよう」
ノアは右手の人差し指をくるっと回し海流を起こして、そこからできた泡が私とノアを包む。
気がつけばドレスは羽衣に変化していた。
そしてノアは人魚に戻っている。
「マリン、どう?水の羽衣は。とても似合っているよ」
「······」
返事が出来ない、というよりさっきから息が出来ない。
どうして?
苦しい···。
「···どうした、何故人魚に戻らない?」
自分の足が人魚に戻っていないことを見て安堵した。そして愛しい彼の笑顔を思い浮かべて意識を失った。




