初めての地上
昔むかし、海底に住んでいた人魚は地上に憧れました。
人間に恋をした者は、魔女と取引をして秘薬を手に入ました。
秘薬は人間の姿になれます。
但し副作用があり、歩くと足に刺されるような激痛を伴ったり、声が出なかったり、人間との恋に破れると海の泡と消えるなど、リスクの高いものでした。
今時の秘薬はというと。
魔女と取引をして手に入れた秘薬を研究し、徹底的に副作用を減らして量産出来るようになりました。
魔女に頼らずとも割りと簡単に秘薬は手に入り地上で暮らすことが可能になりました。
そんなことで、今は海底の人魚で地上に憧れる者は地上に向かい、人間に混じり暮らしています。
ただ、人間と見分けるために左耳に珊瑚のピアスをする事を義務付けられました。
私はマリン。ピンクパールの髪色とエメラルドグリーンの瞳の女の子。
私は歌うことが大好きで、いつも海で歌っているの。
地上には色んな種類の楽器があって素晴らしい音楽が沢山あるんだって!?
そんな地上の音楽にずっと憧れて、成人したら地上の音楽に触れるのが夢だったの。
明日は十六歳の誕生日。ついに成人です。私は夢だった地上に向かいます。
「おーい。マリン。お前、荷物はこれだけ?」
「あ、カイトお兄ちゃん。ん、そうよ」
カイトお兄ちゃんは私の三つ歳上で、紺色の髪に切れ長の黒い瞳で、格好いいから結構もてる。
育ての両親は既に他界していて、今はお兄ちゃんと二人暮らし。
「ねえお兄ちゃん、必要な物は地上でお世話になる人魚のクレアさんが色々準備してくれているんでしょ?」
「ああ、そうだな」
「だから荷物は肩掛けバックに秘薬、タオルと着替えとサンダル、あとはもしもの為に換金用のパールと珊瑚が少し入っているのよ。これだけあれば大丈夫よね」
「まあ、それだけあれば何とかなるか······。なあ、マリン。ホントに行くのか?」
「もちろん!ずっと夢だったのよ。落ち着いたらお兄ちゃんも遊びに来てよね」
「ああ。でも、心配だな。やっぱり一緒に行こうか?」
「駄目よ。お兄ちゃんは大事な仕事があるでしょう。すぐに休暇は取れないはずよ」
心配性なお兄ちゃんは王様の警護をしてるので、そうそう国を離れられない。
「なあ、マリン。地上に行くのはいいとしよう。でも、人間の王侯貴族に関わっちゃいけないよ」
「どうして?」
「人魚の歴史のなかで見ても、人間の王侯貴族と関わって幸せになった人魚はいないよ。あの人達は権力が一番なんだ。マリンをマリンとして見てはくれないだろう」
「そうなの?」
「ああ。だからくれぐれも気を付けるんだ。絶対に人魚ってばれてはいけない」
「ん、わかったわ」
「それと地上に着いたら、クレアが迎えに来るはずだから、イアルマの入り江で合流して。もしも会えない時は住所を人間に聞いて訪ねるんだ。メモはここにあるから」
「お兄ちゃん、ありがとう。私、楽しんでくるね」
「ああ。そうだ。お前にと思って用意していたんだった」
お兄ちゃんは小箱を取り出して蓋を開けた。
「ほら、珊瑚のピアスだよ。これを付けて」
左耳にピアスを飾る。
赤い珊瑚のピアスは仄かに光り輝く。
「わあ!綺麗~」
「そうだろう。魔力を込めておいた。何か不測の事態が起こったらピアスを触って念じるんだ。こいつが助けてくれるから」
「もしかして、お兄ちゃんが作ってくれたの?」
「ああ。そうだよ」
「嬉しい。ありがとう。私、大事にするね」
お兄ちゃんは目を細めて私の頭をグリグリ撫でる。
「じゃあ明日は早いからもう休むね」
「ああ。お休み」
「お休み。お兄ちゃん」
∴∴∴∴∴
····心配だ。
俺は血の繋がりのない妹の地上行きを止めることは出来なかった。
あのホワンとした世間知らずが、ましてや馴染みのない地上で上手くやっていけるのだろうか?
悪い人間に騙されやしないか?
近くに面倒を見てくれる人魚がいるからまだ送り出せるというものの、たまに様子を見に行ったほうがいいだろう。
本当ならずっと手元に置いておきたい。
いや、あともう少しだ。
ある程度仕事に区切りがついたら、マリンを追って地上へ行こう。
∴∴∴∴∴∴
「お兄ちゃん、もう、大丈夫だから」
「そうか?」
朝からお兄ちゃんは過保護過ぎる。
「そうだよ。これから一人でやっていくのよ。そんなに甘えていられないわよ」
「そうだな。忘れ物ないようにな」
「もう···」
大きな肩掛けバッグの中身を確認した。
「よし、大丈夫!忘れ物なし。じゃあ行ってきます」
「気をつけて行けよ」
お兄ちゃんは私をギュっと抱きしめた。
はいはい。またすぐに会えるでしょ。
背中をポンポンして微笑む。
途中まで送るというのを固辞して海流に乗って旅立った。
珊瑚の中にある家は既に見えない。海底のキラキラしたこの景色も見納めだ。
良く見ておこう。
小魚たちの群れを追い越し、イルカたちと戯れながら海面に顔を出した。
水面に日の光が反射し輝いている。
目が慣れず、まばたきを繰り返す。
「あ、あっちがイアルマの入り江かな?」
入り江までイルカたちが付いてきてくれる。
そんなにかからずに入り江にたどり着いた。
遠目に見て、人影はないようにみえる。
どこか、隠れる所はないかな?
めぼしい岩影を見つけたのでそこで秘薬を飲むことにする。
肩掛けバッグから薬の瓶を取り出す。虹色の薬液は甘い香りがする。
私は一気に飲み干す。
「甘いな、この秘薬」
尾びれの先から光の渦が立ち昇る。全身が光輝いたかと思うと、下半身は二本の足に別れていた。
「うわぁ、これが人間の足!!」
ばしゃばしゃと水面を蹴る。
にこっと笑顔がこぼれる。面白い!
「そうだ。衣装を着けないとダメだったのね」
肩掛けバッグから人間用のタオル、白いワンピースと下着、サンダルを取り出す。
クレアさんが送って来てくれたもので、バッグもそうだけど濡れないように魔法がかかっているみたい。
タオルで体の水気を拭いて衣類を身に付ける。
岩の上に登って、周りを見渡すが、人魚のクレアさんらしき人の姿は見えない。
何しろ知らない人だし、左耳のピアスだけが目印なのだ。
入り江の近くでは先ほどのイルカたちが『キュイキュイー』と言っている。
『歌が聞きたいの?いいわよ!』と返事をした。時間もあるしリクエストに答えて歌を唄おうかな。
「ランララランラララーン」
「ランララランララランラン」
メロディーは潮風に乗って辺りに鳴り響く。
イルカたちもご機嫌に曲に合わせてジャンプし踊る。
ふふ。楽しい。
一曲歌い終えると、パチパチパチと拍手が聞こえた。
クレアさんが来たのかな?後ろを振り向くと若い男性が立っていた。
耳にピアスはない。
ということは人間だ!初めての人間!
私は慌てて岩の上から飛び降りた。
「綺麗な声だね。聞き惚れたよ」
「あ、ありがとう」
「君、この辺の子?」
「ううん、ちょっと遠くから来たの。人と待ち合わせをしてるんだけど、まだ来ないみたい」
「ふーん。君、名前は?ああ、ごめん。僕から名乗るよ。僕はリュカ。よろしく」
「私は、えーと、マリン。よろしく」
リュカは短めの金髪で紫色の大きな瞳に整った綺麗な顔立ち。白いシャツと紺色のスラックス姿をしていて細身で背も高いのね。
「ねぇマリン。まだ時間があるならもう一曲歌ってくれないかな?」
「いいわよ。待ち合わせの人もまだ来ないし、時間はあるから」
私は先ほどの曲とは違う、「愛の歌」を歌った。
リュカは目を瞑って聞き入っている。
一曲歌い終えると、リュカはまた拍手をくれる。
「さっきの曲と違う雰囲気だね。凄く良かったよ。とても美しいメロディーだね」
「私の国の曲なの。聞いてくれてありがとう」
「こちらこそ、ありがとう。ところで、待ち合わせの人はまだ来ないみたい?」
「ホントどうしたんだろう?もしここの入江で会えなければ、この住所を訪ねなさいって」
私はメモをリュカに渡した。
「ああ。ここならそんなに遠くないな。僕が案内出来るけどどうする?」
「お願いしてもいい?私、この辺は全くわからないの」
「わかった。じゃあ案内するから付いてきて」
私たちはクレアさんの住所を訪ねて一緒に歩き出した。