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 身の丈に合わぬ無茶の代償は重い。本来の身体能力に反する過剰な付与魔法(ドーピング)のツケとして、レイは三日ほど寝込むことになった。


「ファルディエッタ……。全身が、いたい……」

「フン。おまえが強化してくれと言ったのだろう。耐えろ」


 宿の硬いベッドに横たえた身体は、ほんの少し身じろぎするだけで激痛が襲い来る。哀れっぽく訴えた相手は、鼻を鳴らしてにべもない。

 身体能力増強の代償は、いまだかつて経験したことがないほどの筋肉痛だった。それとは別に、擦り傷やらやけどやらがじくじくと痛みを訴えるのがまた気力を削る。

 ぐずぐずと泣き言をもらしていると、古い廊下が盛大に軋む音がした。豪快に扉が開け放たられる。


「レイ! 見舞いに来たぞ!」

「大きな声出したらダメですよ! レイさん、お加減どうですか?」


 顔を出したのはともにダイヤモンドラビットを討伐したふたりだ。少女の手には果物籠が握られている。


「また来たのか。暇なのだな」

「ファルディエッタ! ありがとう、ふたりとも。だんだん良くなってきたよ」

「おまえも神殿で治してもらえばいいのによ」


 レイ以上に満身創痍だった男の言い分に、レイは苦笑した。彼がいまピンピンとしているのは、神力による治療の賜物だ。ギルド同様、冒険者と切っても切れない施設が神殿だ。

 そこに務めるのは、神力と呼ばれる能力を持った神官たち。魔力とは異なる神秘の力で、癒やしの術を専門としている。

 出会ってすぐの頃、ファルディエッタにそう説明すると、退屈な顔をされたことを思い出す。彼女は、「今はそういうことに(・・・・・・・)なっている(・・・・・)のか」と言っていたが、そういえばその真意を聞いていない。


「どうして神殿に行かないんですか? そうしたらすぐ楽になるのに」


 内側に沈みかけた思考が、少女の問いかけで呼び戻される。


「それは、えっと……」

「こいつが田舎の出だと言うことは知っているな? そこの信仰と神殿の教えが合わんのだ」


 言いよどんだレイに代わり、ファルディエッタがもっともらしい言い訳を並べる。少女は不思議そうに首を傾げながらも引き下がった。

 神殿の教えは広く知れ渡っているが、それ以外の宗教を許さないほど絶対的ではない。宗派に関係なく治療を受ける者がいるのなら、宗派を理由に治療を拒む者がいてもおかしくはないと納得したようだ。

 レイはファルディエッタに目顔で礼を述べる。実際は故郷の詳しい話をファルディエッタにしたことはないし、特別に信仰していた神もない。レイが神殿の治療を受けないのは、受けても意味がない(・・・・・・・・・)からだ。


「ま、なんにしろ、早く治せよ。祝勝会はまだかって、ギルドでみんなヤキモキしてるぜ!」


 冒険者は宴が好きなものである。自分の功績ではなくても、勝利の美酒というのは格別だ。低ランクの冒険者でありながら格上の魔物を斃した新人の勝利を祝おうと、ギルドにはたっぷりの酒が準備されているらしい。

 ファルディエッタと賭けをした獣人のパーティも、他の冒険者によって拘束されていると聞いた。なんでも、レイたちが帰ってきた晩にこそこそ逃げだそうとしていたとか。

 お祭り好きの面々であっても、さすがに主役なしでは始められない。レイだけの力ではないと主張したところで、一番の功労者はおまえだと、同期どころか先輩である猿の獣人にまで言われてしまった。

 それもあって、レイは今身体を治すことに専念しているのだ。あまり待たせすぎては、この部屋に乗り込んで酒盛りを始められかねない。


「あ、忘れるところでした! これ、お見舞いです」


 そっと差し出された果物籠から、ファルディエッタが真っ赤に熟れたリンゴを取り出した。そのままかじりつくのを、少女が咎めるような目で見ている。

 レイが寝込んでいるため、ファルディエッタは血液の摂取を我慢していた。レイのように無様に倒れたりはしないが、付与魔法を連発したためにガス欠寸前だ。それを補うのに血液が最も効率的な手段だが、さすがにこれほど弱った相手から血液を吸い上げるような無体は働けない。

 仕方なしにこうして、普通の食べ物を口にして糊口をしのいでいるのだ。少女の視線程度、気にかけることはない。

 しばし会話を楽しんでから、ふたりは去って行った。


「ほら、これを飲んでおけ」


 上体を支えられ、口元に瓶を押しつけられる。中身は回復薬だ。飲んですぐに健康になるような代物は近辺では入手できないが、痛み止めや自己治癒力の促進など、ある程度の効果は期待できる。それなりに値の張る物だが、ダイヤモンドラビット退治の報酬をもらえたために懐は温かい。


 ギルドが用意していたダイヤモンドラビット討伐の報酬のうち、五分の一は大量のにんじんや油の費用に充てられた。残額をレイは平等に分配するつもりだったのだが、貢献度を鑑みたふた組のパーティによって半分近い報酬を割り振られた。

 レイが宿で目覚めたときには分け前は決まっており、文句は受け付けられなかった。ファルディエッタに渡そうとしても金の管理はおまえの仕事だと受け取ってもらえず、結局レイひとりで大金を抱えることになったのだ。

 そのおかげで宿屋の代金を心配する必要がないのは正直ありがたかった。


「明日には、たぶん動けるようになると思うんだ」

「そうか」

「うん。だから、明日にはギルドに行こうね」

「ああ」


 静かな相づちにつられて、ぽつりぽつりと言葉を交わす。会話が弾みはしないが、そうやって時間を過ごしていると、徐々にまぶたが重くなってくる。やがてやってきた睡魔にあらがうことなく目を閉じた。


 *********************************


「ジャイアントキリングを成し遂げた勇気ある新人に! 乾杯!」


 ギルド内部に高らかに音頭が響いた。

 歩ける程度には回復したレイがギルドに顔を出すと、依頼の報告もそこそこに宴会が始まったのだ。

 見たことのある顔も、見慣れぬ顔も。誰もが酒杯を掲げて楽しそうに笑っている。

 ギルドの中央にある大きな卓上には、透明な輝きを放つ足が置かれていた。

 多くの者がそれを指さし、レイの肩を叩いては酒精を喉に流し込んでいく。


「これで少しはマシな味になったろうな」

「ファルディエッタのおかげだよ、ありがとう」


 三杯目となる酒杯を傾けるファルディエッタが上機嫌に告げる。中身は麦酒ではなくワインだ。こちらはミルクで満たされた器を抱えてレイが柔らかく微笑んだ。

 酒は入っていないはずだが、場の雰囲気に当てられたのか頬が赤く染まっている。

 血色の良い顔を見るとどうにも食欲が刺激されるが、なにもいま吸血する必要はないだろう。今夜の主役はこの人間なのだ。


「おら、賭けの賞品だぞ!」


 卓上の料理を押しのけ、雑多な装備が積み上げられる。獣人から取り上げたものだ。元の持ち主は、部屋の隅に集まり、射殺しそうな目でこちらをにらんでいる。

 いまにも飛びかかってきそうな形相だが、周囲を冒険者が固めているせいでうかつな動きができないようだ。

 戦利品を受け取ったレイはというと、目を白黒させている。


「いや、あの。僕、受け取れません」


 両手を顔の前でせわしなく振り、受け取りを拒否している。だがこれは賭けの報償であり、賭けが成立したところをあまたの冒険者が目撃していたのだ。いらないからと突っ返せるものでもない。


「なぁに言ってんだ!! おまえが賭けたんだろーが!」

「それは僕じゃなくて彼女が」

「あの娘はおまえのパーティの一員なんだろ? じゃあおまえのもんだ!」


 がははと笑って肩を組まれるレイを尻目に、ファルディエッタは積み上げられた装備品を手に取る。


「ま、予想通りだな」


 Dランク冒険者の肩書きにふさわしい装備だが、それだけだ。魔法の類いが付与されたアイテムはなく、品質がことさらいいわけでもない、ありふれた量産品。

 手持ちの装備よりは質がいいが、獣人用に作られた諸々は人間には扱いきれないだろう。


「となれば、これらは全部荷物だな」

「ファルディエッタ? 何するのさ」


 ガチャガチャと装備品を積み直し、隅に向かって輝く笑顔を向けてやる。


「おまえら、これらの装備を売ってやろう」


 さわやかな物言いに、レイが目をむいた。賭けの賞品として提出させた物を買い戻せとは、ずいぶんな言いぐさだ。


「な、ふざけんなよ、クソアマが!」

「売るだと!? どの口がそんなことほざきやがる」


 罵詈雑言。猛り狂う獣人にわずかばかりの哀れみの視線が向けられる。


「いやいや、あんたな、あいつらの有り金も全部ここにあるんだぜ。どうやって払わせる気だよ」


 無一文なのに。

 装備を持ってきてくれた男が笑いまじりに嗜める。確かに、じゃらりと重厚な音を奏でる袋も卓上に置かれている。中には彼らの全財産が入っているのだ。


「なに、金を払えとは言っておらん。私が望む物を奴らが差し出せばいいだけの話だ。おまえはこれらが不要なのだろう?」


 後半はレイに向けて確認する。眉を情けなく下げて、けれど受け取っても扱いに困るレイは素直にうなずいた。

 ぐるるるる、と獣性をむき出してうなる獣人に、ついと人差し指の先を向ける。仕草の一つ一つが見とれる艶を放っているのに、頬に刻まれた微笑はいたずらを仕掛ける子どものそれだ。


「私の要求は至極簡単だ」


 一度言葉を切る。表情から温度が消えた。


「謝れ」


 絶対零度の声音が突き刺さる。紅の視線は確かな質量をもって獣人達にのしかかった。


「貴様らはろくな情報収集もなく、鍛錬もしない腑抜けだ。そうしてこいつらを危険に追いやった。挙句いの一番に逃げるだと? 獣人としての気高さを失くしてごめんなさい、と。貴様らに流れる血脈に謝罪しろ。捕食者としての誇りを地に落とし踏みにじった(みずか)らの行いを、祖にわびるがいい」


 まさかかばってくれたのかと浮き足だった新人が、続く言葉に鼻白んだ。顔を見合わす。ファルディエッタは彼らの行動がよほど腹に据えかねたらしい。彼女の誇り高さを知るレイは、苦笑するしかなかった。

 果たして、装備一式を失うのと、衆人環視のなかで謝罪を要求されるのと、どちらがましなのやら。

 触らぬ神にたたりなし。レイはファルディエッタを止めるのを諦めた。彼女の酒杯が気づかぬ間に片手の指を超えていたのに気づいたからでもある。酔った姿を見るのは初めてだが、古今東西酔っ払いは面倒くさいものだと決まっている。

 周りには先輩も多くいるのだし、本当にまずくなったらきっと止めてくれるだろう。うん、そうに違いない。

 レイは静かに騒動に背を向けたのだった。


 *********************************


「奴らの顔は見物だったな! これに懲りたら、もう阿呆なことはせんだろう!」

「うん、いい先輩になってほしいね」


 ギルドマスターによって半年間の移動禁止を言い渡された獣人パーティは、あそこでストーンラビット狩りにいそしむ予定だ。

 そしてレイは、この町を離れようとしていた。誰も彼もが期待の新人だと持ち上げてくれるのが気恥ずかしかったのもあるが、ダイヤモンドラビット討伐によってEランクへと昇格したのだ。そうなれば、次なるダンジョンに向かいたくなるのが人情というもの。

 ひと月ともに行動したが、自分たちは正式にパーティを組んでいるわけではない。

 レイは、ファルディエッタとともに冒険がしたかった。


「あのね、ファルディエッタ。実は――」

「おい、その呼び方は改めろ」


 意を決して、冒険への同行をこいねがおうと思っていたレイは出鼻を挫かれる。


「え、なんで、急に、だって」

「おまえに名を呼ばれると“支配されている”感覚が強くてな。気分が悪い」


 初めて聞く情報にレイがまごつく。支配しているつもりは毛頭ないのに相手を不快にさせているとは。状況の改善を図りたいが、ではなんと呼ぶべきなのか。

 一瞬でめまぐるしく回転する思考を表情から読み取って、ファルディエッタが笑った。声を上げて、愉快そうに笑ったのだ。人を小馬鹿にする笑みではなく、力の抜けたような無邪気な笑顔は初めて見る。


「ルディだ。そう呼べ、おまえになら、かまわない」


 惚けて見とれていると、優しく告げられた。ルディ。愛称だ。しばし呆然としてから、レイの顔いっぱいに笑みが咲く。


「ルディ! わかったよ、ルディ」

「ふふ。それで?」

「?」

「次は何をして、おまえの血をうまくしようか」

「!! 次は、東方の街に行こうと思ってる! それで、えっと」


 言いよどんだのは一瞬。彼女の隣を許された悦びが口を動かす。


「ルディに一緒に来てほしい!」

「当然だ。おまえの血が私の糧なのだからな。期待しているぞ、レイ」


 初めて呼ばれた名前だ。頬に血が上る。心臓が激しく脈打ち、未知なる冒険への興奮と相まって、なにかがあふれ出しそうだった。

 もっとも脆弱な種族である人間と、不死を誇る吸血鬼。ふたりが視線を交わして笑い合う。

 新しい風が吹いていた。



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