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「これでも、喰らえやぁぁ!!」
ダイヤモンドラビットの頭で盛大に弾けた火球に続いて、雄叫びとともに、鮮やかなオレンジ色が投げつけられた。
「!!」
効果は絶大。無遠慮な魔法に食事を邪魔され、怒り心頭に発したダイヤモンドラビットだったが、脇目も振らずにオレンジ色に飛びついた。その顔にはもはや、攻撃を加えてきた冒険者への憤怒は見られない。
「おら、ウサ公! あっちにたくさん置いてきたから、好きなだけ食いに行けよ!!」
声の方を見ると、洞窟の入り口に向かって道しるべのようにオレンジ色が点在している。ダイヤモンドラビットはそれらを目にするやいなや、今までにない速度で跳びだした。
「? いや、それより――」
唖然としたのは一瞬。すぐさま我に返り、レイの元へと駆け寄る。すぐに増援も近寄ってきた。昨日ともに洞窟に連れ込まれた、ふたり組の新人冒険者だ。
「おまえ、まさか死んでないだろうな」
「レイ、大丈夫か!?」
「レイさん、かじられてませんか?」
伏せていた上体を起こし、あぐらをかいたレイは苦笑して後ろ頭を掻いた。三者三様の心配がこそばゆい。
「助けてくれてありがとう。死んでないし、かじられてもないよ。大丈夫」
いつも通り、気の抜けるような柔和な笑顔に、ふたりが大きく息を吐いた。冒険者といえば早死にするものだが、同年代の若い仲間を失いたくはない。
「助かったのは確かなんだけど、君たちはなんでここに?」
胸をなで下ろしている同僚に、レイは当然の疑問を投げかける。ダイヤモンドラビット退治は、無理無茶無謀の三拍子そろった仕事だ。ファルディエッタに促されたレイはともかく、新人のふたりが命をかける理由が見当たらない。
そう尋ねると、一度目配せした後に男が口火を切った。
「おまえらだけにいい顔させたくないからな!」
「レイさんにできるなら、私たちだってお力添えできるはずです」
心配だから助けに来た。そう言うのは簡単だが、それはレイへの侮辱だ。自分たちの実力で助けになれる保証もない。
「ありがとう」
「……ふん、世話をかけたな」
それでも、友人を心配し、恐怖を克服して駆けつけてくれたふたりに、ファルディエッタも感謝を述べる。事実、彼らがいなければレイは今頃ウサギの腹の中だった。
「ところで。先ほどおまえたちが投げたのは? ウサギがあれほど夢中になれるものがあるなら、事前に用意したんだが」
先ほどから気になっていたことを質問する。ファルディエッタの記憶する限り、ダイヤモンドラビットを夢中にさせるような道具は総じて高価だ。蓄えもないだろう新人が用意できるとは思えない。
「あれはな、にんじんだ」
得意げに口元をゆがめて、男が種明かしをする。
「以前、お弁当にしていたサンドイッチをストーンラビットにとられたことがあったんです」
にんじんの酢漬けを挟んだだけの質素なサンドイッチ。それを奪われた経験から、ダイヤモンドラビットもにんじんに興味を示すのではないかと考えたのだ。
「おまえたちは、そんな確証も根拠もなくにんじんを用意してここに来たのか」
呆れか、感嘆か。ちょうど中間のような声でファルディエッタが洩らした。効果があるか定かでないものを頼りにするのは早死にする者の共通点だ。
言葉にしなかった内心を察して、少女が慌てて首を振る。改めて見ても小柄な少女だ。身長はファルディエッタの胸にも満たない。おそらく地人の血を引いているのだろう。
「違います、違います! おじいさまに聞いたこともあったんです。ウサギの魔物はよくにんじん畑を襲ってたって」
「なるほどな」
「おし! それじゃ、改めて。ダイヤモンドラビット退治と行こうぜ!」
納得したファルディエッタを見て、男が手を打ち鳴らす。ウサギは地面に置かれたにんじんを追って出て行った。にんじんをまけばいくらでも隙は突けるだろうが、それだけで敵う相手ではない。
「何か策があるの?」
「応よ! まずはオレたちもここを出るぞ!」
レイにうなずき、男は先導するように駆け出した。ファルディエッタとレイは目を見交わし、後を追う。協力者が得られたのは幸運だった。策があるなら存分に活用させてもらおう。
洞窟を出るとダイヤモンドラビットの後ろ姿が見えた。落ちてあるにんじんを一つ残らず平らげて進んでいるようだ。ダンジョンさえ飛び出し一心不乱に走る姿からは、にんじんへの異常な執着が窺える。わかりやすい弱点に気づかなかったのはきっと、にんじんを投げつけようという猛者がいなかったからに違いない。
まっすぐに駆け抜けるダイヤモンドラビットに、男が会心の笑みを浮かべた。
ダイヤモンドラビットの退治の協力者は、実は自分たちだけではない。もうひと組の協力者がこの先で罠を張ってくれている。
一見してそうとわからぬように細工してある落とし穴。落ちたところに火をかければ、いくらCランクの魔物といえどひとたまりもないだろう。
「なっ!?」
勝利を確信していた笑みが、驚愕へと変わる。それまでまっすぐ進んでいたダイヤモンドラビットが突然横にはねたのだ。正面には大きな穴が開いている。穴には踏み込んだが、落ちる前によけられたのだ。
穴の底にも大量のオレンジ色が見え隠れしている。それが視界に入っているのだろう、ダイヤモンドラビットはいらただしげに穴を見ては足を踏みならしている。
後を追ってきた面々は立ち止まるしかない。洞窟より開けた場所だ。先ほどのように足を狙おうにも、たやすくよけられるだろう。策を講じたふたりの顔に焦燥が浮かぶ。
「あの穴に落とせばいいのだな」
「ああ。穴にさえ入れば、油で一気に燃やせるんだ……!」
「ファルディエッタ……」
確認するように口に出したファルディエッタに、レイが気遣わしげな目を向ける。レイはこの場所に見覚えがあった。ひと月前に落下したあの穴だ。つまり、穴の先はファルディエッタの眠っていた場所につながっている。燃やせばあの場所もただではすまないだろう。
目線だけで「かまわない」と制する。所詮は仮の寝床だ。食糧を得た今、もう戻る予定もない。
「僕が行くよ」
「おまえはもう限界だろ!? オレが行く」
ぎらぎらとこちらを見つめるウサギは、にんじんを気にしながらも冒険者への憎悪をたぎらせている。いつ飛びかかられてもおかしくない。
震える足で構える前衛ふたりを前にして、前傾になったダイヤモンドラビットの足下に矢が射かけられた。はっとして振り仰いだ先には、猿の獣人のふたり組。樹上で次の矢をつがえている。
「ぅおらっ!!」
ウサギの注意が矢に移ったと見て取るや、男が長剣を掲げて駆け出した。出遅れたレイは後を追えない。
「サポートするぞ、新人!」
上からの声に押され、男が体ごとぶつかるように剣を突き出す。しかし、正面からの馬鹿正直な攻撃が当たるはずもない。迎え撃つように跳躍したダイヤモンドラビットに、木っ端のようにはね飛ばされる。
「いやぁぁ!」
ウサギとの距離を保つファルディエッタの隣で、少女が悲鳴を上げる。あの勢いでぶつかられては命の保証はできない。
すぐにでも駆け出しそうな少女の肩をつかむ。恨みがましい目が向けられた。
「行って助けられるならそうしろ。無理ならここで機を待て」
底冷えのする声は、前者の選択を許さない。最初にダイヤモンドラビットに火球を当てたのはこの少女だ。後衛である魔法使いは接近戦ではただのお荷物にすぎない。仲間の安否が気にかかろうとも、不用意な行動は死者を増やすだけだ。
追撃のそぶりを見せたダイヤモンドラビットに矢が降りかかる。狙いは甘いが、牽制の役割は果たされた。
煩わしげに首を振ったウサギが後退する。場所は穴の真横。にんじんへの未練が透けて見える。
「ファルディエッタ。僕を強化することはできる?」
後衛ふたりを背にかばう形で短剣を構え、レイが囁くように問いかける。先ほどまでダイヤモンドラビットを弱体化していたように、自身を強化することができればあるいは。
ファルディエッタは傍らの少女を見やる。相方の男を心配するあまり、こちらの会話に意識を向ける余裕もないようだ。
「できることはできる。が、きついぞ」
声を落としてレイの質問に答える。身体能力強化の付与魔法をかけることは簡単だが、無理に身体を駆動させれば、負担がかかるのは自明の理。強化に耐えうる肉体がなければ、最悪の場合死に至る。
「……限界まで、僕を強化して」
危険性を伝えてもレイの返答は変わらない。ダイヤモンドラビット退治を持ちかけたのはファルディエッタで、レイがそれを承諾した。そもそも討伐のきっかけも、レイの血液の栄養価を上げるためだ。
ファルディエッタの利益のために、レイは命を張る覚悟をしている。
いや、とレイは内心で首を振る。相手がファルディエッタでなくてもかまわない。誰でもよかった。自分を必要としてくれるなら、誰だって。たまたまファルディエッタを起こしたのがレイで、他に食糧となる人間がいなかっただけ。もっと血液の状態が良くて、経験豊富な人間が現われれば、ファルディエッタはそちらを選ぶのかもしれない。
でも、それでも。いま、ファルディエッタに必要とされているのは自分で、ファルディエッタの希望に添うにはダイヤモンドラビットを討伐せねばならない。
闘志を宿して底光りする瞳を前に、ファルディエッタは口をつぐんだ。無理をおして、無茶を通して、無謀を貫かなくては勝てる見込みすらない相手に、自分が挑ませたのだ。ならばその覚悟に応えるのが責任というものだろう。
吹き飛ばされた男が長剣を支えに立ち上がろうとしている。それを見た少女が手にした杖を構えた。
ダイヤモンドラビットが、死に損ないを殺すために足に力を込める。力を加えられた左足が軋みをあげる。興奮した魔物は自身の変調に頓着しない。
何度も殴られ、全力で走った硬い足は、ほんの少しの亀裂で致命傷となる。それに気づけない冒険者は、この場にはいなかった。
男が這いずるような動きでダイヤモンドラビットの注意を引きつける。すぐには飛び出させないように矢が降り注ぎ、少女が魔法を放つべく魔力を練り上げる。
「魔法付与・身体能力増強」
心許ない魔力を丁寧に練り上げ、レイに付与する。基本の身体能力強化よりも一段高度で、負荷の大きい魔法。
もともとの身体能力を鑑みても長くは保たない。外せば次はない。
弓から放たれた矢のように駆け出したレイをあざ笑うように、ダイヤモンドラビットが跳躍のために身を沈める。跳ばれてはレイの攻撃は当たらず、男も今度こそ肉塊にされるだろう。
今にも飛び出しそうな一瞬を留めたのは、頭上より投げられたオレンジ色。
逃げるための非常手段として隠し持っていたにんじんを、猿の獣人がなげうったのだ。冒険者よりもにんじんを優先する魔物は、放物線を描く野菜に気を取られる。
わずかに上体を持ち上げ、不安定な姿勢になった足にレイが殴りかかった。
「われろっ!!」
理性ある怪物によって威力を高められた一撃が、先ほど軋みを上げた知性なき魔物の隙に、寸分違わず振り下ろされる。
「GYAAAAAA!!」
ガキン、と硬質な物がぶつかる音の後に響いた、確かに何かが砕ける音。
それをかき消すようにとどろくダイヤモンドラビットの絶叫を追って、血がしぶいた。割れ砕けた左足から吹き出す血に押されるように、大柄な体躯が傾く。
落ちる先は穴。冒険者によって用意された墓穴だ。
「火!!」
間髪入れずに少女の詠唱が空気を切り裂く。業火と呼ぶには物足りないささやかな火球は、しかし狙い過たずに魔物を追って穴へと飛び込む。
「GGYARAAAAA!!」
足を失ったときよりも濁った悲鳴が響き、穴が深紅に染まった。危うく熱にあぶられそうになったレイは、このひと月で慣れ親しんだ細腕に引き留められる。
「へへ、どうよ。穴の、底にはな。ガマの、油が、たぁっぷり、仕込んであんだ」
ダメージに顔をゆがめながらも、男が得意げに告げる。
「ガマ……。ギルド前のうさんくさい男か!」
何度もレイに壺を押しつけようとした男が思い出される。
「あのおっさん、粗悪品を高値で押し売ろうとしてたからな。ちょいとお願いして、油を安値でわけてもらったのさ」
樹上を見上げると、にやりと悪い顔が笑っていた。あくどい商売にはそれ相応の報いがあるということだ。同情の余地はない。
穴の底には大量の油壺があり、片足を失ったダイヤモンドラビットは容易に這い上がれない。
「……底には横穴もある。風が吹いていたから、よく燃える」
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燃えさかっていた炎が収まるにつれ、緊張していた空気が弛緩していく。穴から離れて休んでいた駆け出しの冒険者三人は、笑顔でお互いの無事を祝っていた。
男も治療の必要はもちろんあるが、幸いにして命に関わる怪我ではないようだ。日夜ストーンラビットの突撃を受けるなかで、衝撃の受け流し方が身についていたのが功を奏したらしい。
地上に残った左足はレイの借り受けた棍棒よりも大きい。耳は切り取れないかもしれないが、これをギルドに提出すれば十分な討伐の証拠になるだろう。
事態が終結したと見た獣人も、木から降りようとしている。念のため、と穴に視線をやると、底で黒い塊が動いた。
「……?! まだだ!!」
鋭く発された警告に全員が身を強ばらせる。少し動くだけでも全身に痛みが走る男は、恐怖に顔を染め上げ、それを支える少女は唇を噛みしめる。付与魔法の負荷による倦怠感に支配されながら、レイは立ち上がった。すかさずファルディエッタが横に付く。
「おい、レイ! おまえ、も、限界だろ」
「僕が、言い出したことだから。依頼は、最後まで、やり遂げなきゃ」
言い出したのはファルディエッタだが、誰もそんなことを指摘しない。受けた依頼を遂行するのは冒険者としての責務であり、誇りだ。
ゆっくりと前進し、ファルディエッタに支えられながら穴を覗き込む。暖かい空気が顔をなでた。
なかには全身を黒く炭化させた魔物が、壁に寄りかかるようにして立っている。前足を土の壁にかけ、ぼろぼろと体と土を崩しながら懸命に地上にあがろうともがいている。
憐憫と嫌悪を誘う光景にレイの表情がゆがむ。
「GYA、GYAGYA、AA」
弱々しく鳴くウサギの身体に、もはや透明な輝きはない。あるのは脆く崩れる炭の肉体と苦悶の声のみ。
力の入らない両手に棍棒は重すぎた。持てるのは手に馴染んだ自身の短剣だけ。最後の力を振り絞るように強く柄を握りこむ。哀れな魔物に引導を渡すため、頭めがけて地を蹴った。
「魔法付与・攻撃力増幅」
ファルディエッタはそれを支えるべく、底を突きそうな魔力を吸い上げ、レイの手にある短剣へと余さず注ぎ込んだ。
極限まで攻撃力を高められた量産品の短剣は、焼けて脆くなったダイヤモンドラビットの眉間に深々とその刀身を埋める。
最後に小さく何事かあえいでから、ダイヤモンドラビットは完全に沈黙した。短剣もまた、過剰な魔力による強化に耐えきれずに砕け散った。
駆け寄ってきた獣人に手を借りてレイを引き上げる。冒険者を震撼させたCランクの魔物は、いまや穴の底で静かに骸をさらすばかりだ。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「………………」
「………………」
誰も口を開かない。荒かったレイの呼吸が次第に静かになると、誰ともなく目を見交わし、立ち上がった。
もはや身体がろくに動かないレイはファルディエッタが背負い、満身創痍の男には猿の獣人が肩を貸した。耳の代わりに討伐の証拠となる足は少女の背中にくくりつけられた。
もう一人の獣人がストーンラビットを警戒して先導を務め、一行は帰路に就く。
ゆっくりと歩くなか、耳元で声が聞こえた。誰のものか、など考える余地もない。
「僕は、あのウサギを、苦しめた……」
後悔の言葉を吐き出すのは今回の功労者だ。ファルディエッタの提案にのり、危険な依頼に挑んで生還した。逃げ帰ったわけではなく、討伐依頼を達成しての帰還だ。加えて言えば誰も死んでいない。
上々どころか極上の結果に、されどレイは自責の念を滲ませる。一撃で殺すことは不可能だとわかっていた。だが、いくら相手が魔物といえど、いたずらに苦しめるのは残酷だと思う。生きたまま火にかけ、しかも殺しきれずに苦しめたことがレイの心をさいなんだ。
「魔物を憐れむな」、「苦しめたなどと思う必要はない」。言いたいことは山ほどあるが、レイには届かない。心優しく弱い少年は、魔物にすら同情してしまう。
泣いてはいない。だが、勝利の余韻に浸れるはずもない。
背中でダイヤモンドラビットへの後悔を募らせる人間に、吸血鬼はぽつりと返した。
「……強くなればいいだろう。楽に、殺してやれるように」
こくりとうなずく気配とともに、背中の重みが増す。疲弊した身体ではろくな考えも浮かばないものだ。今はただ、休めばいい。脆弱な人の子には休息が必要なのだから。