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 人外魔境(ダンジョン)。夢と希望、現実と絶望すべてを喰らって呑み込む洞窟が、目の前で口を開けていた。


「…………」


 ウサギの耳の原型を多分に残し、付け根に布が巻かれただけの至って簡素な作りの棍棒。キラキラと場違いなほどに輝くそれを握りしめる当人は、緊張を隠せていない。正面、(うろ)のごとき入り口を見据える顔は硬く強ばり、肩にも力が入っていた。

 普段は温厚な印象を振りまく瞳が不安に揺れるのを見て、ファルディエッタはため息を吐く。びくり、と過敏に反応するレイの背中をたたいてやる。


「力が入りすぎだ、バカモノ」

「う、だって……」


 情けなく八の字を描く眉毛の真ん中を弾く。咄嗟に額を抑えるレイに笑いかけた。


「案ずるな、私がサポートしてやる」


 強力な敵が相手であろうと、ファルディエッタが直接戦闘に参加することはない。魔物相手に命を張るのはレイの役目だ。それは彼女が目覚めたときから変わらない役割であり、不満はない。


「僕に、できると思う?」

「もちろんだ。そうでなければこんな魔物、捨て置くわ」


 自信満々にうなずく瞳に、わずかに自信を取り戻す。


「何も難しいことはない。とにかく殴ればいい。同じ場所を狙って棍棒を振り下ろすだけだ」


 さも簡単なことのように言われても、レイの不安は晴れない。ダイヤモンドラビットを相手取るのは、ファルディエッタが口にするほど容易ではないだろう。自分はまだ駆け出しの冒険者だ。ぺーぺーだ。ファルディエッタが優秀なサポーターだとしても、果たして自分の力はCランクの魔物に通用するのか。


「おまえは毎日ストーンラビットを狩っていただろう?」

「え? うん。町に入ってきたら危ないし、僕にもできる仕事だったから」


 唐突な確認に首を振る。害獣駆除の依頼は地味で報酬も厳しいが、町の住民の生活に直結している。おろそかにはできない。


「そうだな、そうやっておまえは『できること』を積み上げた。ダイヤモンドラビットも動きはストーンラビットと大差ない」


 違うのはサイズと、それによるスピードだけだ。結局のところ、恐るべきは強靱な脚力による突進であり、それはしっかりと相手を見れば回避が可能だ。


「おまえが重ねた時間は、おまえの力になる。おまえは強い。私が保証してやる」


 にぃ、とつり上がる真っ赤な唇から、とがった牙がわずかに見えた。彼女は強い。今や幻に等しい吸血鬼が保証してくれるなら、きっと自分も強いのだ。


「ファルディエッタ」


 ぐっと一度拳を握り、脱力する。余分な力が抜けた身体に、気力を充溢させていく。


「信じてるよ」

「ああ、任せておけ」


 共に過ごした時間は長くない。だが、ファルディエッタが自分を見捨てないという確証を持てる程度には時間を共にした。

 自分を呼んだ切羽詰まった声。力強く引かれた腕。

 ダイヤモンドラビットからかばってくれた瞬間を脳裏に映し出す。二の舞にはならない。彼女に血は流させない。

 腹をくくり、洞窟へと足を踏み出した。


 さほど奥へと進まぬうちに、目的の魔物と出くわした。身体を伏せて休んでいたのだろう魔物は、侵入者の気配に敵愾心をあらわにしている。頭部で石炭のように赤く光るのは、ファルディエッタが魔法を行使した目だ。

 狙うなら向かって左側。あの赤い目は器に見合わぬ魔力によって壊された。最低ランクの冒険者と、慣れぬ視界のダイヤモンドラビット。冒険者には強力なサポーターが付いている。これだけのハンデをもらってようやく五分五分といったところ。

 にらみ合ったのは一瞬。最初に動いたのはファルディエッタだ。

 跳躍しようと下肢に力を込めた魔物に手のひらを向け、言葉を紡ぐ。体内にある魔力を着火剤として、世界に干渉する。


魔法付与(エンチャント)身体能力低下(フィジカルダウン)


 ウサギが跳躍した。大きな身体に見合った筋力で地面を蹴り、目の前に立つ邪魔者を食い殺そうと口を開ける。

 レイはそれを見ていた。覚悟を決めたはずの足が震え、呼吸が浅く、速くなる。このまま突っ立っていては突進にはねられ、突き出た前歯に貫かれることは必定。そうなれば待つのは死だ。

 硬直してしまったレイの腕が軽い力で引かれた。強引に引っ張るのではなく、誘導するような自然さで促される。引き寄せられるまま動くと、目の前でウサギが突っ伏した。

 レイの立つ場所まで届いていない。ダイヤモンドラビットならひとっ飛びできる距離だというのに、魔物は無様に地面に突っ伏していた。跳躍どころか着地すら満足にできていない。


「臆するな。アレの能力は下げてやった。おまえでも充分に渡り合える」


 いけ、と背中を押された。

 覚悟を決めたはずだ。ファルディエッタにかばわれるような無様はさらさないと誓ったはずだ。自分ならできる、と。ファルディエッタが、美しく強い吸血鬼が認めてくれた以上、できないとは言えない。こんなにもお膳立てされて逃げ出したら、冒険者とは呼べない。


「うおおおお!」


 自分を鼓舞する意味を込めて腹から声を上げる。

 自分が跳べなかった理由がわからず、目を白黒させるウサギの左足に回り込む。両手で硬く握った棍棒を力の限り振り下ろした。

 ガキン、と硬質な音とともに手に伝わる衝撃。振り下ろした勢いのままに弾かれ、腕が跳ね上がる。レイの腕力ではダイヤモンドの装甲を一撃で砕くことは不可能だ。ならば、数を重ねるまで。


「下がれ!」


 武器を手放さぬよう握りしめ、身体ごと投げ出すように転がった。反射的な行動だったが、ファルディエッタの指示に間違いはない。レイの足先をウサギが過ぎ去った。


「焦らなくていい! 隙を見つけて確実に当てろ」

「わかってる!」


 ウサギの動きは鈍い。ファルディエッタの魔法付与(エンチャント)が効いているのだ。身体能力を下げる魔法だが、防御力には効果がない。

 直線的に飛び込むしか攻撃手段を持たないのはストーンラビットと同じだ。魔法の効力がある間は隙も多い。もう一度跳び込んできたところを再び転がるようにかわし、先ほどと同じ場所をめがけて棍棒を打ち下ろした。

 ファルディエッタはレイよりも後ろに下がり、ダイヤモンドラビットの標的にならぬよう立ち回っている。彼女はストーンラビット相手にも手を出すことはなかった。支援に特化しているのだろう彼女に、無理をさせるわけにはいかない。

 跳躍、回避、殴打。跳躍、回避、殴打。

 必死に同じ動きを繰り返す。完全にはよけきれなくとも、致命傷だけは避ける。


「硬い……!」


 わかっていたことだが、何度たたいてもひび(・・)すら入らない。


「一端下がれ! そろそろ付与魔法の効果が切れるぞ」


 ファルディエッタの声に従って距離を取る。訳もわからず身体が鈍くなり、言いように殴られたウサギはぎらつく瞳でこちらを見ている。じっと下肢に力が籠められたかと思うと、放たれた矢のごとき速度で突っ込んできた。先ほどとは比べるべくもないスピードだ。

 Fランクの冒険者では防戦一方、回避行動を取ることで精一杯。

 飛び込む、身をよじる、後退、前転、横っ飛び。とにかく当たらないように、跳躍先を見極めて避け続けるしかない。

 まともにくらえば一撃で致命傷だ。側を通り過ぎるウサギは鋭い前歯をこれでもかと開き、獲物を喰らうのに余念がない。あの歯がファルディエッタを傷つけたのかと思うと怒りがわき上がるが、それに気を取られては自分がウサギの食事に早変わりだ。

 とにかく逃げることに専念する。


「ファルディエッタ! 付与魔法はもう使えないの!?」


 あれだけ任せておけと言ったのだ。あの一回きりでサポートが終わったわけではないと信じたい。


「わかっている! しばし待て!!」


 吸血鬼のエネルギー源は言わずもがな。十分な血液供給なしに魔法を連発することはいくら純血を誇るファルディエッタとて難しい。しかし、それを必死に逃げ惑う少年に伝えることはない。あくまでタイミングの問題だと主張してから、体内の魔力器官で魔力を練る。

 ダイヤモンドラビットが標的を外し、岩壁に激突したのを見計らって、手をかざす。一発目だからと見栄を張ったが、身体機能すべてを低下させるのは上等な魔法だ。その分消耗も激しい。二発目に選ぶ魔法は――


魔法付与(エンチャント)攻撃力低下(オフェンスダウン)


 魔力を放出した瞬間、全身の血液が下がる感覚がする。だが、一撃必殺の可能性はつぶした。これで一発程度なら攻撃を受けても死ぬことはないだろう。

 魔法が行使されたのを確認して、レイが再びダイヤモンドラビットに向かっていく。

 跳躍、回避、殴打。

 強靱な脚力はそのままなため、先ほどよりも攻撃のタイミングが少ない。それでも、レイは必死に食らいついていく。

 魔力器官を持たない最弱の種族、その純血である少年の最大の武器。それは、愚直なまでのまっすぐさと驚異の集中力だ、とファルディエッタは分析する。とにかくよけて殴れ、というおおざっぱな指示を忠実に守り、はるかに強い敵に挑んでいる。

 チンピラと大差ない冒険者には従順に金を差し出すのに、それよりも凶悪な魔物相手には一歩も引かずに戦ってみせる。


「自分にかかる迷惑ならいくらでも、などと思っていそうだな」


 吸血鬼は人間よりもはるかに頑丈だ。空腹でも素の身体能力はほとんどの種族を凌駕する。いざとなればレイを回収できる距離を維持しつつ、ファルディエッタは独りごちる。

 獣人の怪我を心配して見せたり、棺で眠っていた自分に町を案内すると申し出てみたり。どうにもお人好しが過ぎるきらい(・・・)があるようだ。普段からストーンラビットを多く狩ろうとしているし、今回もファルディエッタが言い出したこととはいえ、文句一つ言わずにダイヤモンドラ(ジャイアント)ビット退治(キリング)に身を投じている。


「いや、私のためか?」


 おいしい食事(血液)を提供しようとしての無茶なのかもしれない。

 視線の先ではレイがダイヤモンドラビットに噛みつかれている。自身の腰でもって経験した痛みであるが、今は攻撃力低下が作用している。ウサギを左肩に食いつかせたまま、無事な右手で棍棒を振り上げる。持ち手の底部で力一杯眉間を打ち据える。大きな魔物もこれにはたまらず口を離した。

 出血こそしているものの、骨に異常はなさそうだ。棍棒を構えたレイを見てそう判断する。痛覚が麻痺しているのか、痛がる様子は見られない。だが、体力の消耗は著しい。肩が大きく上下している。それによって棍棒もぶれている。

 ダイヤモンドラビットは、と目をやると、向こうはまだまだ余裕がある。レイに打たれ続けた足にダメージは蓄積しているはずだが、動きは鈍っていない。隻眼に燃やされる敵意は温度を上げるばかりだ。

 何度目かもわからない跳躍。回避行動。


「そろそろだ!」


 二度目の魔法付与も効力が切れる。警告に従って距離を取ろうとしたレイの足がもつれた。


「「!!」」


 転んだ当人も驚いた顔をしている。背後のダイヤモンドラビットは、すでに獲物を見据えて地面を蹴りつけていた。

 ただ飛び出すだけでは間に合わない。両脚に魔力をたたき込み、強制的に間に合わせようとして――。

 目の前が一瞬暗くなった。


「っは、はあ」


 ただでさえ不足している魔力をやりくりして付与魔法を行使しているのに、身体能力引き上げのために無理矢理魔力を吸い上げた。身体が危険信号を発したのだ。

 ぶれた焦点を強引に合わせれば、ダイヤモンドラビットはもはやレイに噛みつく寸前。攻撃力低下の付与魔法がない今、致命傷となることは必定。

 それでも、どうにかせねばと伸ばした手の先で、朱が弾けた。


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