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ダンジョンは危険区域であると同時に、重要な資源でもある。希少な魔物の素材や、ダンジョン内部で成長する草木。それを求める冒険者の流通。
そういったもので町は運営されている。
この町が管理するダンジョンのランクはE。ギルドに集まる冒険者のランクも当然低い。町に滞在しているのは新人か、新人に毛が生えた程度の冒険者でしかない。
そこに現われたダイヤモンドラビットは、Cランクの魔物だ。ランクは六段階に分けられているが、ちょうど真ん中、CランクとDランクには天と地ほどの開きがある。ダイヤモンドラビットの出現はこの町の存亡がかかった一大事と言ってよかった。
ギルド内部は、異様な熱気と奇妙な静けさに包まれていた。
大物狩りを狙う無謀な者。それをいさめる者。自身の実力を客観的に把握し諦める者。あるいは、早々に町に見切りを付けて出立の準備を整える者。
ダイヤモンドラビットの討伐に意欲的なのは、昨日今日冒険者になったばかりの新参だ。少しでも経験を積んだ者はだれも声を上げない。
当然だ。どう考えても無茶無理無謀な相手なのだから。
新人はストーンラビットにも苦心する。硬い皮膚に刃を通すには多少の経験とコツがいるからだ。
夢を追って冒険者になった者は総じて金がない。安価で手に入る武器は機能も推して知るべし、だ。やがて剣よりも鈍器の方が効率がいいと気づけば、そこいらに落ちている石でストーンラビットを殴るようになる。
ろくに金にならないストーンラビットとは言っても、大半の冒険者が必ず遭遇する魔物だ。ダンジョンに潜れば、より高価なアイアンラビットと交戦する。
ストーンラビットよりも、アイアンラビットよりも硬い魔物。
冒険者は命知らずだが、むざむざ死にに行く馬鹿はいない。
「………………」
息苦しい空気が充満するなか、盛大な音を立てて扉が開かれた。瞬時に集中した視線をものともせず、血に沈んだ黒衣のドレスを翻して闊歩する女性。ファルディエッタだ。その後ろにレイが続く。
「な、おまえら!」
「生きてたのか!?」
ふたりの姿をみとめた獣人が、椅子を蹴倒して叫んだ。這々の体でギルドに戻ったときに姿が見えなかったから、てっきり死んだとばかり思っていた。
「よかった、本当に、よかったです……!」
「お互い生き延びられたんだな!!」
「君たちこそ、無事でよかった。気にしてたんだよ」
駆け寄ってきた同期と無事を確かめあう。幸いにして、ダンジョンに入ったメンバーに欠員は出なかったらしい。
ひとしきり再会を祝ったところで、沈黙を守っていたファルディエッタが前に出る。
ドレスの腰部に穴が空いているが、両足で大地を踏みしめる姿に弱ったところは見られない。
「ギルドの長に話がある!」
朗々と張り上げられた声が室内に木霊する。先ほどまでの雑多な雰囲気はなりを潜め、水を打ったような静寂が広がった。
「私がそうだが。何か用かね」
奥から初老の男性が歩いてくる。常日頃から荒くれ者を相手にしているとは言え、今は緊急事態。厄介な冒険者相手に面倒そうな雰囲気を隠そうともしない。冷ややかな態度に気後れするのはレイだけで、ファルディエッタは高慢に鼻を鳴らした。
「なに、そう時間はとらせんさ。貴様らの頭痛の種はダイヤモンドラビットだろう?」
何を当たり前のことを、といわんばかりに目線が鋭くなる。くだらないことにかまけている時間はないのだと、雄弁に語っている。
「そのウサギ、私たちが狩ってやろう」
一瞬の間。次に響いたのはけたたましい笑い声だ。なかでも獣人のパーティはひどい。指を指し、腹を抱えて笑っている。全身に包帯を巻いている者も、痛む体をかばうようにしながら大口を開けていた。
「ムリムリ! ストーンラビットで精一杯のレイくんにはムリだって!」
「一回アイツから逃げられて調子のっちゃったかな~? ここは夢を話す場じゃないんでちゅよ」
そうだそうだ、無茶を言うな、自殺したいなら余所へいけ。
嘲笑ともヤジともつかぬ声が四方八方から降り注ぐ。駆け出しのふたりも、居心地が悪そうにレイをちらちらと盗み見ている。
ギルドマスターも苦い顔でファルディエッタをにらんだ。いつの世も馬鹿な冒険者は始末に負えない。夢ばかりを追って実力を過信し、無残な死体をさらす新人はごまんといる。だが、冒険者を支援する施設の長として、あたら若い命を散らしたいわけではない。
「実力を考えてものを言え。ヤツの一撃で死ぬのが関の山だろうが」
近隣のもっと大きな街に行けば、高ランクの冒険者もいる。そちらにすでにダイヤモンドラビット討伐依頼を出した。粋がった新人など邪魔なだけだ。
「アイツを討伐するのにどれだけ時間をかける気だ? あのウサギは一体出てくれば次々発生するぞ」
「そんなこたぁわかってる」
「わかっているのなら私たちにやらせろ。外に討伐依頼を出したところで、依頼が達成されるまでに最短で三日か? その間にウサギはもう一体増えているだろうな」
ファルディエッタの言うとおりだ。近隣の街に出した依頼が受理され、高ランクの冒険者が来るまでに最短で三日はかかる。適正ランクの冒険者がいなければ待つしかないし、その間にもダイヤモンドラビットは増え続けるだろう。
「ウサギが増えれば払うべき報酬も増える。この町では二体がせいぜいなのではないか?悠長に待つ時間などないだろう」
うなるギルドマスターを追い詰めるようにたたみかける。
「討伐隊を待つ間に奴の被害がでないともかぎらん。私たちなら、一体の間に狩れる。報酬も安くすむし、被害がでる前に討伐もできよう」
「…………」
ギルドマスターは口をつぐんだまま、難しい顔で腕を組んでいる。ギルドとしても被害のないうちに解決するのが望ましい。報酬が安いというのも魅力だ。悩むギルドマスターに、好機とばかりにファルディエッタが言い募る。
「ダイヤモンドラビットが出現するのは初めてではあるまい? そのときの耳で作った棍棒を貸してくれるだけでいい。なに、もしも私たちが盗んだとて、近隣の町に通達を出せば即座に捕まろう。仮に私たちが死んでも、討伐隊が来れば棍棒は回収できる。悪い条件ではないはずだ」
ダイヤモンドラビットはCランクの魔物ながら、その硬度はAランクに勝るとも劣らない。生半な武器では傷を付けることもできずに砕ける。そこで必要になるのが、同じくダイヤモンドラビットの素材で作られた武具だ。
さほど豊かともいえない町、加工するのなら簡素で扱いやすい武器にするだろうと踏んだファルディエッタの考えは正しい。このギルドには確かに、ダイヤモンドラビットの耳を加工した棍棒が保管されていた。
持ち逃げされれば損失だが、そこは近隣の町に通達を出しておけば問題ないだろう。相手がFランクの冒険者であることを思えば、長距離移動の方法を持っているとも考えづらい。
たとえ彼らが失敗しても、彼女の言うとおり回収は可能だ。なにより、これほど説得するのならば勝算があるのではないか。
冒険者という人種はとかく秘密主義で、戦力、戦術を話したがらない者が多い。熟練者となると自然に洩れるものだが、新人の実力は未知数だ。自信の根拠を教えろと迫ったところで口は割るまい。
「…………。死んでもしらんぞ」
「もちろん。自分の命は自分で背負うさ」
熟考の末下された許可に、ファルディエッタは自信満々にうなずいた。
「君も。本当に、いいんだな?」
後ろで話を聞くだけだった少年にも確認する。このふたりがパーティを組んでいることは知っている。「私たち」という口ぶりからしても、ふたりで挑むことは想像に難くない。メンバー全員に是非を問うべきだと向けた視線に、レイはファルディエッタを見やった。
口元に刻まれた不敵な笑みと力強いうなずきに背中を押される。ともに行動したのはひと月ほど。食糧を必要とする彼女が自分を殺すわけもなく、また、彼女が言動に反してとても優しいこと、信頼に値する者だということは嫌と言うほどわかっている。
「はい。僕たちに任せてください!」
しっかりと見つめかえして宣言した。これでもう、後には引けない。
「粋がった新人一丁!」
覚悟を決めたレイに、品のない笑いが降り注いだ。言わずもがな、獣人パーティだ。レイの活躍を恐れての強がりかと見当をつけ、ファルディエッタはそちらへ足を向けた。泡を食って止めようとするレイを歯牙にもかけず、眼前まで歩いて行く。
「なあ、貴様ら。私と賭けをしないか?」
「賭けぇ?」
「そうとも。内容はいたって単純だ。私たちが討伐に成功するか、否か」
食道が見えるのではないかというほど、犬顔が大口を開けて笑う。隣の男の尻尾は激しく振られている。ファルディエッタの持ちかけた賭けがおもしろくて仕方ないらしい。
「ギャハハハ! 失敗って! 死んだらどうすんだよ、賭けになんねぇ」
「簡単だ。無理そうだと思ったら、アイツが食われている間に私は逃げる。もし、私がひとりで帰ってきたら――」
破れ、ほつれた黒衣からのぞく白い素肌をなで上げるようにして、腹から胸元へと指を這わせる。獣人の視線が形の良い胸に集中したところで、一度自分の胸に沈めた手を差し出した。
「私を、くれてやる」
誰かがゴクリと唾を飲んだ音が聞こえる。
黒い髪、蠱惑的な赤い瞳、露出の多いドレスに包まれた肢体は魅惑的で、汚れのない肌をよこす悦びはいかほどのものか。高慢な態度をとるこの女を、従え、ひざまずかせ、すがりつかせることができたら。
獣人たちの脳裏に広がった光景を予想して、ファルディエッタはいっそう笑みを深めた。差し出された指の先から色香がしたたり落ちるようだ。
「いいねえ、アンタがオレらのもんになるのか」
舌なめずり。口笛。欲望を隠しもしない視線。
「ああ、嬲るも犯すも自由だ。――ただし、成功したあかつきには」
向けられる情欲を一顧だにせず、賭けの条件を突きつける。
「いいよぉ、何でも言ってごらんって! どうせムリだから」
何度目かもわからない馬鹿笑い。こいつらの脳みそには泥濘でも詰まっているに違いない。だが、なんでもいいというなら言わせてもらおう。
「貴様らの全財産をもらうぞ」
「は? 全財産?」
「この私と釣り合う価値が貴様らにあるとも思えんが。貴様らの装備、所持品、金。ありとあらゆるものだ」
身ぐるみを剥ぐ、と宣言された獣人が鼻白んだ。興ざめだと言わんばかりの表情を見て、先手を打つ。
「なにも心配することはなかろう? 貴様らはレイが討伐できぬと思っているのだからな。ならば堂々と構えていよ。ただ全財産を賭けのテーブルにのせるだけで、私が手に入るのだから」
賭けをおりるのは怖じ気づいたことと同義だ。相手が高ランクの魔物ならばともかく、勇猛な獣人だと強烈な自負を抱く彼らに、逃げるという選択肢はあり得ない。そもそも、毎日自分たちに微々たるもうけをよこす弱っちい新人が、脅威の硬度を誇る魔物に勝てるはずもない。
「はっ! いいぜ、オレらのもちもん、全部やるよ」
「みな聞いたな!? ここにいる者すべてが証人だ、私たちの賭けを忘れるな!」
よく響く声での呼びかけに、傍観していた冒険者が野太く応えた。衆人環視のなかで交わされた賭けだ。破ることはできない。賞品の提出を拒んだ時点で、汚名がとどろくことは必定。
にんまりと笑みを深める吸血鬼に、レイだけが慌てる。自分が失敗すれば、ファルディエッタが獣人の慰み者にされる。それだけは避けなければならない。強力で奔放で自由で、でも信頼できる相棒のためにも、負けるわけにはいかない。
「では、今日はもう休ませてもらうとしよう。棍棒は明日の朝、取りに来る。準備しておいてくれ」
闘志を燃やすレイを促し、ギルドに背を向ける。明日の決戦のためにも、今日はゆっくり休んで英気を養うべきなのだから。