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 ひと月前――。

 冒険者となって間もない少年が、ひとりで森に入っていた。閉塞された田舎から飛び出し、幼い英雄願望を叶えんとする、よくいる冒険者のひとりだ。


「うおおおお」


 気合いを入れるために大声を上げ、目の前を横切ったストーンラビットを追いかける。やっと見つけた最後の一体だ。これを逃しては報酬がもらえない。

 背中に背負った袋の中には、切り口の汚いウサギの耳が九組。ストーンラビットの討伐報酬は、十体ひと組だ。

 今の一体を狩れるかどうかで今夜の食事が決まる。うまくいけば久しぶりに肉を食べられるはずだ。


 索敵も探知も、罠を張ることすらできないレイは、毎日自分の足でストーンラビットを探し回っていた。そのせいで毎日の戦果はまちまち。十体狩れた回数は片手で足りる。

 当然、討伐依頼だけでは生活できないので、同時に薬草採取の依頼も受けていた。

 ダンジョンから溢れる魔力の影響を受け、森には多数の薬草が自生している。ストーンラビットは何体狩ってもいいが、薬草は採りすぎてはいけない。慎重に、依頼書にあるとおりの薬草を、傷つけないように摘み取っては袋に入れる。

 誰にでもでき、かつ危険度の低い依頼は報酬も低い。森に不慣れなレイでは探すだけで一日がつぶれることも多い。それで得られる報酬は雀の涙だ。


 今日こそはと必死に追いかけて草むらを抜けた先には、果たしてストーンラビットがいた。ただ、それだけではなかった。

 腰から長い尻尾をはやしたふたり人組―おそらく猿の獣人だ―が、ちょうどストーンラビットを殴り殺していた。


「あ」


 思わず洩れた声にふたり振り向く。目が合った。


「あー……、悪かった、な?」


 獲物を横取りしちまって、と気まずそうにひとりが頭を掻いた。見るからに駆け出しの同業者が何を追っていたのか、一目で察したのだろう。

 首を横に振るしかない。レイが追いかけていても、仕留めたのはこのふたりだ。さらに言えば、見つけた時点で狩れなかったレイの力量が悪い。


「まあ、次から頑張れよ」


 猿人も駆け出しというわけではないが、生活に余裕があるとも言えない。頭からつま先まで泥にまみれている新人をかわいそうに思いはしても、獲物を譲ることはできない。

 純朴そうな少年にせめてもの慰めとして、忠告だけしておこう。


「……この先に、穴があった。一見するとわかりにくい。落ちないようにするといい」

「あと、近くに薬草があったぜ。じゃな」


 手と尻尾を一振りして去って行く先輩冒険者の背中にお礼を叫んで、指さされた先へと向かう。

 今夜の肉は諦めざるを得ない。今日の分の薬草採取も終わっている。だが、薬草の自生地は知っているに越したことはない。

 疲労の蓄積した身体では注意力が散漫になる。今夜の食事に思いを馳せていたならばなおさらだ。 

「――――!?」


 親切に忠告を受けていたにもかかわらず、落ちた。下草が茂って穴を見えづらくしていたようだ。あらかじめ知っていればよけることなど容易だったはずなのに。

 打ち付けた臀部を両手でさする。何度も手を当てれば痛みが和らぐような気がした。

 しばし悶絶してから、ゆっくりと立ち上がる。幸いにして、おしりを打った以外に痛みはない。

 壁面に触れると、ぱらぱらと土がこぼれてきた。登ろうとしても崩れてうまくいかないだろう。両手を伸ばしても、かかとを浮かしても出口には届かない。

 身体能力に優れた獣人なら飛んで上がれるだろうし、パーティを組んでいればロープをおろしてもらえばいい。

 だが、レイはひとりだった。毎日森を駆け回っているおかげで体力がついたし、最低限ストーンラビットを相手取れるだけの力はある。それでも、ここを自力で登ることは不可能だった。


「……どうしよう」


 途方に暮れてしまう。身一つで冒険者になり、パーティを組んだこともない。親しい友人もなく、今晩帰らなかったところで心配する人間もいない。能力は下の下で、不要な人間を助けに来てくれるほどギルドは甘くない。


「下手したら、死……」


 一気に心細くなり、膝を抱え込む。過去の因習にとらわれた故郷での生活が息苦しくて冒険者となった。無邪気に英雄になれると信じ込んではいないが、もしかしたらという思いは捨てきれない。

 すべての人を救う英雄になりたかったが、こんなところで死んでしまうのだろうか。


「助言を忘れて間抜けに穴に落ちて、空腹と疲労で?」


 自分の思考に、声に出して問いかける。あまりにもみっともない死に方。そんな最期はごめんだ。


「そもそも、一日二日で死んだりはしない! はず」


 どうにかして穴から出ればいいだけだ。大きく息を吸って、吐く。気持ちで負ければそこで死ぬのが冒険者だ。ギルドの職員が教えてくれた。

 顔を上げる。もう一度立ち上がり、壁に手を伸ばす。やはり独力で登るのは無理そうだ。ならば助けを呼ぶか。大声で叫べば、誰かしら聞きつけてくれるかもしれない。


「いや、ダメだ。ストーンラビットが降ってきたら、僕じゃ危ない」


 声につられて魔物がやってこないとも限らない。こんな閉所で魔物と対峙できる技量はまだない。


「うーん。上が無理なら、下、とか」


 足下を見回す。何か使えそうなものはないか。レイが横になっても平気な広さがある底を、じっくりと観察する。何かが目の端に止まった。

 膝をつき、気になった部分に手を添える。びっしりと茂った葉を押すと、抵抗がなかった。この穴同様、草に隠されているだけで空間があるのだ。

 短剣で刈り取ると、狭い横穴が現われた。成人男性では厳しい、女性なら入り込めるかもしれない。レイならばギリギリ通れそうだ。

 どこに続いているのか、行き止まりなのか、そもそもこの穴は危険ではないのか。


 懸念事項は多々あれど、登れないなら潜るしかない。その場に跪き、身体を伏せる。意を決して、穴へと這い進んでいく。

 奥へ進むにつれ、徐々に光がなくなる。ときどき擦る頭の感覚から、上部も土で覆われていることは間違いない。光源のない狭い穴を延々と進むのは精神的に辛いものがある。

 意地と気力で這いずり続け、腕が重くなってきたころ、壁に行き当たった。前に押し出した鼻先がぶつかったのだ。痛む鼻をかばいながら手を這わせる。感触からして石だろうか。よく検分しておこうかと目をこらす(・・・・・)も、なんの変哲もないただの石のようだ。


 意味深に横穴を作っておいて、行き止まりがただの石だとは。制作者の悪意が感じられる。

 無駄足だったかと落胆し、じりじりと後退を始めたところではたと動きを止める。なぜ、こんな暗闇で石だと見定めることができたのだろう。

 レイは人間だ。夜目は一切利かない。実際、先ほどまではあまりの視界のなさに辟易としていたのだ。

 動揺してうっかり腕に力が入った。上がった頭は勢いよくぶつかる。


「いだっ!!」


 目の前に星が散る。頭頂部を抑え、ろくに身じろぎもできず痛みに耐える。じんわりと涙がにじんだ。

 今の感覚は、土に対する頭突きではない。土ならばもう少し優しい痛みだ。もっと硬く、中身の詰まったものにぶつけた。

 ならば、と手のひらで上部を探る。反転することもままならないが、どうやら石で四角く囲われた部分があるらしい。おそらくその隙間から、うっすらと輪郭が読み取れる程度の光がもれているのだ。


 四角い石とは、人工的なものの可能性が高い。扉かなにかだろうとあたりをつける。森に民家があるはずもなく、遺跡なのかもしれない。近辺に遺跡があるとは聞いたことがないが、もしかしたら自分が一番に発見したのだろうか。

 なにはともあれ、まずはこの空間から出ることが先決だ。扉ははめ込まれているだけだ。押せば開くだろう。

 腕立て伏せの要領で腕に力をこめ、背中で石を押し上げる。


「う、うぅおおおお!!」


 予想より重い。向こうで何かに阻まれているのか、経年劣化によるものか。


「負けるもんか。っふぅう! おおおおおおお!!」


 喉も裂けよと声を張り上げて筋肉に力を送り込む。疲労の蓄積した腕は悲鳴を上げるが、今こそ踏ん張りどきだとさらに力を入れた。


「おおおおおおおおおおお」


 血管がいくつか切れたかもしれない力を加えられてようやく、石扉がわずかに動いた。少しずれれば後は早い。

 ずずずず、と重い音を立てて浮いた石を、後ろに押しやるように上半身を持ち上げれば、人ひとりが通れる通路となる。

 肩で息をし、玉のように浮いた汗をぬぐって広々とした空間へと這い出る。仰向けになって獣のような呼吸を響かせていると、ここが石室だと気づいた。

 四方を石壁に囲まれ、出入り口は自分の這い出た穴のみ。横三メートル、縦五メートル程度の長方形の空間だ。半身を起こしたところで、盛大なくしゃみがでた。土と砂、長年閉じ込められていたのだろうかび臭い空気が容赦なく鼻孔を襲う。立て続けに三度くしゃみをしてようやく少し落ち着いた。むずむずする鼻をこすって顔を上げると、正面に箱が見えた。


 黒を基調として、金で装飾が施されている。過度な紋様はなく、上品な印象を与える。

 箱を見たら中身が気になるのが冒険者というもの。熟練者であれば罠も気にしようが、疲労困憊の新人にはそこまで気をやる余力はなかった。はやる足取りで近づき、そっとふたに手をかける。さほど力を必要とせず、上蓋があがった。


「!」


 現われたモノに息を呑む。外界のほこりっぽさとは打って変わり、四角く切り取られた空間は冷たい空気が満ちていた。

 しんと冷える真夜中の空気に包まれて、ひとりの娘が眠っている。髪は黒く、肌は白く、唇は紅い。整った顔貌は美しすぎて恐ろしく、けれど見つめずにはいられない。

 黒いドレスからのぞく双丘は微動だにせず、顔にも生気が一切感じられないのに、不思議と死の気配は感じられなかった。


「これ、なに? 名前、かな。ファルディ? エト? いや、エッタだな。ノク――」


 頭部の側の壁面に刻まれた文字に気づき、読み上げてみる。かすれているうえに象形化されていて非常に読みづらい。もっと近くで見ようと顔を近づけたと同時、鼻の奥に熱さを感じた。あっと思う間もなく、鼻血が垂れた。慌てて手で押さえるも、数滴は眠っている女性に落ちてしまう。しかも口元だ。ずっと砂混じりの空気を吸い続けたうえ、乱暴に擦ったので鼻壁が傷ついたのだろう。

 とんでもなく罪深いことをした気持ちになる。ともかくぬぐおうと伸ばした手が、女性に触れる前に止められた。

 手首に絡みつき、尋常ならざる力で締め上げるのは白魚のごとき五指だ。骨が軋む痛みにうめき声がもれる。


 この場にいるのはレイと女性のふたりだけ。この距離で腕をつかめるのは、女性しかいない。

 先ほどまで、青く透けるまぶたに隠されていた双眸がこちらを見ている。鮮血のごとき深紅に輝く瞳が見えて初めて、彼女の美貌は完成するのだと知った。

 彼女が何か言おうと開いた口に血が流れ込んだ。人の血を、しかも鼻血を舐めさせるなど、失礼どころの話ではない。

 顔を青ざめさせたレイを知ってか知らずか、女性はつかんでいた腕を放り投げて飛び起きた。


「まっず!? ぺっ、ぺっ! なんだこの血は! 栄養状態が悪すぎる! ぺっ!!」


 口元を抑え、えずきかねない勢いではき出している。下品な仕草でも、美人がやるとそう汚く見えない。


「あの、ごめん。その血、僕のなんだ」


 美しい顔を最大限ゆがめ、口内に残るまずさを吐ききろうと苦戦する女性に、恐る恐る告白する。

 ぎろり、とにらまれて身がすくんだ。殴られることは覚悟して見返す。誠意を表そうと見つめ続ければ、どんどん眉根がよっていく。不審者を見る目だ。寝起きに血を飲まされて凝視されれば、誰でもそんな表情になるに違いない。


「ごめんね、失礼だった、ほんとにごめんなさい。えと、僕の名前はレイ、人間で、冒険者をしてて」


 まずは身分証明から、と慌てて自己紹介をする。


「実は穴の底に落ちて、他に道はないかなって探してたらここにたどり着いて。全然、君の邪魔をするつもりはなかったんだけど」

「うるさい」

「ごめん」


 必死の弁明を一言で切って捨てられた。不機嫌を隠しもしない声音に、レイは黙るしかない。


「ちっ。まずい血じゃ、やっていけん。街に行けばまともな血液の持ち主もいるか……」

「町に行くんだったら、僕案内するけど」


 独り言めいたつぶやきに素早く反応する。なにかしらわび(・・)をしなければならないと思っての提案だが、女性は冷たい一瞥をくれただけだった。自身が寝ていた箱のふたを下ろし、壁に向かって進んでいく。

 そういえばこの石室は結局行き止まりだ。また這って戻って、穴から出なければいけない。

 ぼんやりと今後の脱出方法を思案しつつ、女性の動向をうかがっていると、彼女が壁に手を当てた。途端に壁がくずれる。砂で作られていたのかと錯覚するほどたやすい。

 驚愕に声も出ないレイを振り返った女性は、不機嫌そうに口を曲げている。


「おい、案内するのだろう。さっさと来んか」

「! すぐ行くよ!」


 思わぬ方法で脱出できたことに対する安堵と、女性が提案を受け入れてくれたことに対する驚き。やっと帰れるという思いで一気に吹き出した疲労。諸々を抱えて女性に駆け寄る。


「まだ聞いてなかったんだけど、君は誰?」

「私に名を問うか。まあいい、起こしてくれた礼だ」


 崩れた壁から外に出た女性の、折良く吹いた風に翻る黒衣と黒髪。今まさに沈まんとする太陽の最後の輝きを背に受け、凛と立つその姿。


「私はファルディエッタ。夜を統べる不死の王、純血の吸血鬼である」


 自分という存在に、絶対の自信と自負を持ってあげられる堂々たる名乗り。

 レイは一生、その美しさを忘れないだろう。


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