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ファルディエッタは朝が苦手だ。窓から差し込む陽光が憎らしく、闇夜を照らす月光に親しみを覚える。
だから、夜明け前に活動を始めるレイとの生活は、ときに殺してやりたいくらい嫌になるのだ。
「ファルディエッタ、おはよう。起きて」
無遠慮に身体を揺すられ渋々目を開く。長い睡眠を必要としない身体だが、娯楽としての睡眠は好きだ。板に布を敷いた程度のベッドではろくに眠れないが、それでも眠っているところを起こされれば不快である。
「おはよう。今日もストーンラビット狩りに行きたいんだ。付いてきて?」
レイの顔立ちは平凡だ。人混みに入ればすぐに見失う。だが、愛嬌は有り余っている。
小首を傾げ、困ったように眉を下げて下手に出られれば、悪い気はしない。それがたとえ、朝日が昇る前であっても。
陽光が恨めしいのだから、いっそ夜明け前に起こされる方が楽なのかもしれない。
「下で待ってるね」
もぞもぞと動き出したファルディエッタに柔らかい声がかけられる。身支度を整える間は部屋を出る、できた少年であった。
ひとり一泊五百キン。ベッドが二台と机がひとつで床が埋まる手狭な部屋。それがふたりの拠点だ。毎日宿を出る前にふたり分の宿代を払っておく。先払いしておかないと、帰ってきたときに部屋が新たに貸し出されていても文句は言えない。
ベッドは床で直接寝るよりマシという程度、食事はでない。だが、ギルドまでは一本道で、町のどこよりも安いこの宿は連日満室だ。レイも田舎から出てきたばかりの頃は、先払いを忘れて何度か野宿をしたらしい。
日が昇る前の道は暗い。夜目の利く種族であれば苦もなく歩けるだろうが、レイは人間だ。
暗闇にハンデを持たないファルディエッタはレイの手を引いて人外魔境へと向かう。自分よりも高い体温はすっかり手に馴染んだ。
今日も今日とて朝日とともに仕事をはじめ、日が沈むまでストーンラビットを狩る。
「おい、向こうに何体か集まっているぞ。おそらく群れだな」
「わかった、行ってくる!」
ファルディエッタの指さす方向に短剣を構えて走る。獣人のような嗅覚を持たず、エルフのように発達した魔法器官もない。優れた五感による索敵も、魔法を駆使した探知も行えないレイを見かねたファルディエッタは、ずいぶん前から手を貸してくれている。
狩りには決して手出ししないが、お膳立てはしてくれる。ファルディエッタの働きにレイは心底感謝していた。以前までなら獣人たちに稼ぎの半分以上を渡していたのだが、最近少なくしているのは、自分だけの稼ぎではないと自覚しているからだ。
「あああああ!!」
ファルディエッタの読み通り、草むらの先には十体のストーンラビットが身を寄せ合っていた。
弱い魔物は普通の生きもののように繁殖して増える。身体の小さい個体もいるから、おそらく親子だ。親とおぼしき個体が弾丸のように跳んでくるのを、身体をひねって躱す。
毎日戦ってきた魔物なのだ、動きの癖はもう覚えている。強靱な脚力によって自身を打ち出す突進は、人の骨などたやすく砕く。だが、奴らは直線的にしか動けない。どこに跳ぶかさえ見切れたら、隙は大いにある。
着地の瞬間を見逃さず、背後から首に刃を押し込む。ストーンラビットが最も硬くなるのは攻撃のときだ。着地を狙えば、量産型の短剣でも貫ける。
「ごぎゃっ」という不愉快な音とともに動かなくなる親。子ウサギたちにおそってくる様子はない。
「哀れむなよ」
「! わかってる」
木の陰に背中を預けたファルディエッタの忠告は初めてではない。何度も同じような状況になり、そのたびに慰めるような声音で釘を刺されてきた。
どれほど自分が頼りなく見えているのかと情けなく思われるが、忠告がありがたいのも事実だ。レイひとりであれば、そのうちに哀れんで子ウサギを見逃してしまうかも知れない。
ダンジョン内で生き残れない弱い魔物が森に溢れ、人里をおそう。被害を未然に防ぐには、子どもであろうと容赦してはいけない。
人外魔境が生まれる以前から、この世は弱肉強食だったのだから。
「お、レイ! おまえもウサギ狩りか?」
合計二十本の耳を切り落としたところで、声がかけられた。大柄な男が長剣を肩に担いで気さくに手を上げている。
「ああ、久しぶりだね! も、ってことは君たちも?」
レイよりもわずかに年かさに見える男は、気さくにレイの肩に手を回した。レイと同じく駆け出しの冒険者だ。一歩後ろには、杖を携えた小柄な少女が立っていた。目が合うと、会釈してくれる。
「おうよ、見ろこの大漁! 昨日もおとといもその前もこんだけいたんだぜ、やばくねーか」
男が掲げて見せた袋は大きく膨らんでいた。レイの袋も似たような状態だ。
「多いね。ギルドの人が言ってたとおり、危ないのかも」
「おい、何が危ないのだ?」
ギルド職員とのやりとりはすべてレイに任せている。何か懸念事項があるというなら、共有しておくべきだ。
「あれ、言ってなかったっけ。ストーンラビットの数が多すぎるって話」
「毎日ギルドにはそこそこの数のウサギが持ち込まれてんのに、いっこうに減らねえってよ」
「もしかしたら、近いうちに高ランクの魔物が現われるかもしれないってお話でした」
レイとふたりの冒険者が代わる代わる教えてくれる。
魔物は危険度によってランク分けされ、ストーンラビットは最下級のFランクに分類される。弱い魔物がダンジョン外で大繁殖するのは、ダンジョン内の高ランクの魔物を守るためだとも、追い出されるからだとも言われている。
真相はわからないが、いずれにしろ下級魔物の数が増大するのは悪い兆候と思っていい。
「そうか……。高ランクとは厄介だな」
「ま、オレたちにできるのはこうやってウサギの数を減らすことだけだけどな」
「下級の魔物を多く退治すれば、高ランクの魔物は現われないって言いますもんね」
下級魔物を増やさなければ、高ランクの魔物は出現せず、被害も抑えられる。しかし、栄誉、報酬、上質な素材を得るには高ランクの魔物を相手取る方が効率がいい。冒険者という人種はハイリスク・ハイリターンを選びがちで、そのしわ寄せは近隣住民が被ることになるのだ。
「とりあえず、できる限りストーンラビットの数を減らそうね」
「うお、レイくんじゃ~ん。会えてウレシー」
三人の冒険者がうなずき合っているところに、不快な声が割って入ってきた。ファルディエッタの眉間にしわが寄る。先ほどまで笑顔を浮かべていた彼らも、さっと表情を強ばらせた。
「え、なになに? オレらが来たらダメだった感じ?」
「よくないよ~、そーゆーの。冒険者は助け合いが大事なんだからさ」
「貴様らのは助け合いではなく搾取だ!」のど元まででかかった言葉を飲み込む。
捕食者には捕食者の流儀があり、礼儀があり、仁義がある。それをないがしろにして被食者をもてあそぶような輩は、いずれ悲惨な死を迎えるだろう。いや、迎えねばならない、迎えるべきだ。
「ファルディエッタ、大丈夫だよ」
殺気を感じてか、レイがなだめるようにほほえみかける。被食者のプライドを尊重するのも捕食者の責務だ。ため息一つで衝動を抑え込み、ファルディエッタは顔を背けた。
「なんのご用ですか、先輩方。僕たちはストーンラビットの討伐をしていたんですけど」
あくまで穏やかにレイが問いかける。
「グーゼンだよ、グーゼン。オレらもちょっと本気だそうと思ってさ、ダンジョンに向かってたときにキミらに会ったの。ちょうどいいからさ、一緒にいこーよ」
にやにや、にやにや。
獣の顔ならば多少の愛嬌でもあるかと思えば、不快さしか与えない。レイの稼ぎをむしり取っていた彼らがまじめに働くとは思えない。
「すいませんねえ、センパイ。オレら、まだまだひよっこだから、洞窟には入らないようにしてるんすよ」
無遠慮に肩を組み、危険区域へと促す獣人を刺激しないよう注意しつつ、男が距離を取る。森にいるストーンラビットの数を見ても、洞窟内は危険である可能性が極めて高い。魔物にランクがあるように、冒険者のパーティもランク付けされている。レイたちは最下位のFランクだ。平常時の洞窟ならまだしも、現状では心許ない。
「だからオレらが一緒に行ったげるー、って言ってんの」
「ほら、さっさと歩けよ」
獣人の機嫌が目に見えて悪くなる。これ見よがしに牙を打ち鳴らし、爪を引っかけるように背中をなでる。これ以上粘るとストーンラビットどころではなくなるだろう。四人は促されるまま獣人に着いていくしかなかった。
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洞窟の入り口付近は開けた地になっている。歩くたびに、森の中とは違う細かい砂の感触が伝わってきた。
ぽっかりと口を開けた入り口はなにかの口腔のようで、背骨を伝って全身に恐怖が広がる。
「ヒュー! 久しぶりだなあ、ここ」
「どれくらい? ひと月? もっと?」
「今日もアイアンラビット狩ってよ、適当に稼ごうぜ!」
青ざめる初心者を尻目に、獣人は勝手に盛り上がっている。
「あの人たちのランクって?」
「確かD」
「ここの推奨ランクがEだからって、あんな余裕こいてていいのかよ」
ひそひそとささやきあう顔は、不安と不信に満ちている。
ギルドが定めたダンジョン攻略推奨ランク。無鉄砲な若者が無駄死にするのを避けるためにもうけられた指標だ。パーティのランクに合ったダンジョンをに挑むことで、死亡率を軽減し、成長につなげられる。Dランクまでのパーティなら、ワンランク上のダンジョンに挑むのも良い経験だと言われていた。
「おーいおまえら、何をびびってんだよ。さっさと行くぞ!」
「なーに、何かあってもオレらがいるって」
軽薄な獣人の言葉に適当な返事をしておく。だれも彼らを当てになどしていない。一歩足を踏み入れれば、自分の命は自分の責任でしか守られない。
油断大敵。
冒険者になるとき、決して忘れないよう教えられる、ダンジョン攻略の不文律。
弱肉強食を体現する人外魔境は、弱き者にも容赦せず、誰にも等しく牙をむくのだ。