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異世界に落ちてきた男  作者: 岡本沙織
第6部「テクノロジー」
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第68回 「リスク」

 それから特に変わった知らせもなく変わり映えのしない日々はだらだらと続いた。ガーボル氏の事件に関してはスマートフォンを持ち込んだのは他ならぬ僕なのだから当局からの尋問か何かありそうなものだが、スマホ事業の失敗そのものやスマートフォン自体については誰もまるで興味がないようだった。あるいはスマートフォンの出所について今のところ公になっていないのかも知れない。しかし国防軍はガーボル氏の口から何が、どこまで漏れるのか戦々恐々としていた様子で遠くイースタシアの面々からもその緊迫感が伝わった。彼らがV2社を通じて国民のパーソナルデータを不正に入手していたこと、スマートフォン普及の目的の1つが国民監視だったことなど表沙汰にしたくない情報の多くが今や親衛隊の手元にあり、そして国防軍の不利益はすなわち対立する親衛隊にとって大いに利するところとなるからだ。


 ちょうどそのあたりから津田首相の秘書の「伊藤」という人物がオフィスへ頻繁に訪れるようになっていた。彼はまるで落ち着きがない20代前半の青年で、社会経験が未だ不足しているだけでなく帝国の言語を全く話すことができなかった。そのため応対を強いられるのはいつも僕で、彼の上司は何のために彼を寄越したのか理解に苦しんだ。

 伊藤君は津田首相から聞いた話を軽々しく僕へ漏らした。彼から聞いた話では、ガーボル氏は国防軍がスマートフォンの普及に協力していた実際の目的やそれを指示した人物に関してもすっかり自白してしまったらしい。親衛隊がそれを外部にリークせず国防軍を強請ろうともしないのはV2社のネットワークを引き継いで利用するためで、一切の責任をガーボル氏に背負わせることで決着しているそうだ。リヒャルトに報告すると彼に言わせれば「信憑性に欠ける」らしくまともに取り上げようとしなかったが、僕にはどうやら彼が真相を述べているように思えた。なぜならブラフにしてはあまりに見え透いているし何よりわざわざ僕たちへ嘘を流すメリットがない。それに恐らく伊藤君の目的は「自分はこんなことも知っている(ほど津田首相から信頼を得ている)」という権威の誇示であるようだった。


 考えてみれば彼が僕について何か尋ねることはほとんどなかった。自分の話は頼んでもいないのによく語り「今朝はナイトクラブで女性と夜通し踊っていた」だったり「一流の紳士はテーラーなど通わずデザイナーが作った既成服に合わせて肉体を改造する」だったり、あからさまに自慢としか受け止められない苦労話を延々と聞かされるのだ。おまけに僕のことをまるで弟分であるように認識しているらしく、周囲にもそう吹聴しているらしい。当人からすればいい迷惑なのだがブラッドなどは伊藤君が来るたび「兄貴《bruder》が来たぞ」と茶化すようになった。


 「伊藤さんは一体なぜいつも僕に会いに来てくれるんですか、」


 ある時、あまりに辟易した僕はついそう口走ってしまった。すると彼は取って付けたような物々しい顔を作り、鈍く鋭い声でこう答えた。


 「君は俺に似ている。」


 僕は全くそうは思わない。


 「わかっているさ、君は所詮は道化に過ぎない。しかしその両眼には内に秘めた野心がありありと浮かんでいるではないか。『燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや』、だ。津田などの器にも収まるはずがない。」


 ここまで伊藤君の言葉は文字通り、何1つ理解できなかった。


 「それでも君は津田に付くべきだ。いいかい、ここではご両親の苗字や血ではなく評価されるのは君自身だ。ウララ市長の長子だのヨハン・ジギスムント・ギムナジウムだの虚栄を飾る必要もない。俺達は生きたいように生きればいいのさ。」


 やはり彼の話は全く読めないが確かに考えてみれば僕は「生きたいように生きて」いられているのだろうか。異世界人である僕にとってそれはそもそも無理なことだと思えるし、無理は承知で最善を尽くしているつもりでもいる。つまり「与えられた環境から逃げずに抗ってみせる」ことに関しては「生きたいように生きて」いるしもっと本質的な、「何にも縛られず心のままに生きる」という意味からは目を背けている気がする。


 「伊藤さんの仰ることはよくわかります。しかし仮に僕が津田首相の下で働いたとして、それがどうして自由を得られることになるのですか。確かに帝国と違ってここでは人種差別なんて関係ありません。でもそれが仲間を裏切ってイースタシアのために働く理由になるのでしょうか。」


 「ならないね。」


 伊藤君は苦笑いを浮かべながらため息交じりに両腕を広げ、ソファーの背もたれに深くもたれかかった。


 「君は実につまらない男だな、俺に言わせればこんな面白い話に乗らない手はないと思うぜ。いいかい、己の価値は他人様が決めるものだ。高く買いたいと言う阿呆がいるのならいくらでも足元を見てやればいい。」


 「高値で売り付けた結果、期待外れだと思われないよう気を揉みたくはありません。」


 「おかしなことを言う奴だ。そんなもの何もしなけりゃどっちみち一緒じゃないか。」


 「いいえ全然違います。いいですか、誰かの信頼を得るより失った信頼を取り戻すほうがよほど困難です。」


 「そうか、なるほどな。考えてもみなかった。」


 伊藤君は驚いたように目を丸くして口を尖らせた。その様子を見るに伊藤君の「信頼への無関心」とは皮肉などではなく恐らく彼の本心だろう。


 「前に言っただろ。俺はまあ、それなりの貿易商の倅だ。だから俺が何をしてもある程度は家がなんとかしてくれる。つまり俺にとっての信頼は『自分だけのもの』ではないんだ。」


 初耳だったが彼の身の上話はいつも退屈なのでもしかすると聞き流していたのかも知れない。長くなる予感がして僕は口を挟んだ。


 「では仮に伊藤さんが今、首相を裏切って我々の同志になればどうでしょうか。きっと再びご家族やご友人、同僚の長谷川さん達と会うことは2度と叶わなくなるでしょう。」


 「いや、俺に価値がある限りそうはならない。君だって君自身が無価値でなければどこで何をしていても彼らのほうから会いに来るだろう。」


 「伊藤さんが仰る話はいちいち楽観的に過ぎます。『面白いからやってみろ』『失敗しければ問題ない』なんてリスクを軽視し過ぎではないでしょうか。」


 すると伊藤君はまたも鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてこう言った。


 「何も持たない君に一体どんな失い難いリスクがあると言うんだ。」

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