第66回 「伝道」
無機質な六面体のゲートをくぐり大して面白みのない殺風景な廊下をいくつか通って部屋に入ると、今度は打って変わって華美で贅を尽くしたゲストルームだった。長谷川氏が言うには「ギャップ萌え(意訳)」だそうだが、ミニマルなのかバロックなのか建築家に一度コンセプトを聞いてみたい。津田首相はすでに僕たちを待ち構え、奥のソファーに深々と腰かけておりガーボル氏の姿を見るや立ち上がって不気味なほど満面の笑みで握手を求めていた。彼はエンジニアや職人といった類に好意的だとかねてから聞いていたが、先日の僕やリヒャルトへの扱いと比べ相当な温度差を感じずにはいられなかった。ガーボル氏は萎縮しているのか元から丸まった背筋をさらに縮ませてそれに応じたが、目だけはじっと津田首相の眼を捉えていた。
一通りの挨拶を終えるとガーボル氏は「閣下には"bildschirm"へ興味をお持ち頂いているそうで」とさっそく本題を切り出した。それが長谷川氏の通訳を介して津田首相に伝わると、「興味などといった生半可なものではない。こんなものを世に出すとはあなたは類稀のロマンチストだ。」などと少々の熱を込めて語り始めた。彼が言うには、マーケットもインフラも発展途上な市場にハードウェアを売り込む心意気が気に入ったらしい。確かに僕がいた世界ではPCの普及やIT革命といった出来事があって初めてスマートフォンが発明されたが、それがそもそもないこの世界でどの程度の成長見込みがあるのか疑問ではある。津田首相は続けて「あなたの理想をぜひこの国で実現してほしい。そのためには協力を惜しまない。」とまで言い切った。
「ちょっと待ってください。閣下はツバサが異世界から来たことも、bildschirmはツバサが異世界から持ち込んだものであることもご存知のはずです。」
そう口を挟んだのはブラッドだった。彼の不意打ちに僕は事情を知らないであろうガーボル氏や、どこまで知っているのかわからない長谷川氏の反応を確かめたが、意外にも彼らは平然としていた。
「俺はあんな硯箱になぞ興味はない。彼の思想に興味があるのだ。」
津田首相は穏やかに、しかし全く苛立ちを隠さない様子で諭すように言った。
「電子通信による情報発信網が行き渡れば王侯将相に種などなくなる。誰もが俺にすら取って代わることができるのだ。」
「豊臣秀吉のようにですか、」
僕は言った。すると彼はいかにも滑稽だというふうに笑い、声を震わせて答えた。
「全くその通りだ。やはり高瀬はさすがだな。」
長谷川氏が "toyotomihideyoshi" なる固有名詞を訳すのに苦慮しているのを脇目に僕は続けた。
「お褒めにあずかり光栄ですが、不肖ながら僕には一体何をお褒め頂いているのかいるのかさっぱりわかりません。実力ある人が活躍できる社会など誰もが望んでいることではないでしょうか。」
「それは少し違う。人は欲があってこそ大事を成し遂げられるものだ。だから俺の理想は欲すれば与えられる社会である。」
津田首相はいつもの早口で言い終わるとすぐ話半分聞いているかいないかのガーボル氏へ「お前もそうだろう」と同意を求めた。それを僕がガーボル氏に「津田首相は、あなたもあなた自身の欲求のために働くのだろうと言っています。」と、とりとめのない翻訳で伝えると彼は首を傾けて「うーん」と唸り、少し間を開けて「本当にささやかですけど」と静かに答えた。
「とにかく僕は皆に『すごいね』と言われたいんですよね。お金とか立ち位置は本当にどうでもよくて。」
それを聞くと津田首相は目を細くして頷いた。




