第62回 「スマートフォン」
帝国政府は驚くほど簡単にカール・モロゾフをイースタシアにおける代表と認め、難しくて忘れたが何か複雑な役職をつけた上で外交に関するあらゆる手続きは僕を通さねばならなくなった。とはいえ実務はこれまで通り大使館が行うので何の権限も持たない単なるお飾りである。イースタシア国民は彼らの風貌に似た帝国の若者に対して非常に好意的であり、僕は発表から一夜にして有名人となった。テレビには昼夜問わず僕の顔が映り、僕がランチに行った店は翌日には行列が出来ていた。オフィスには表敬訪問と称して様々な人物が押し寄せたが大方は詐欺まがいの勧誘で、中には切実な陳情も寄せられたがどれもが情緒に訴えることしか能のない身勝手な要求ばかりで全くお話にならなかった。
挨拶という名目で外務省を訪ねると職員たちは僕に恭しく頭を下げて迎え入れ、5分足らず間に外務大臣と通訳を介して二言三言の会話をし、その後で随分と長くマスコミにカメラを向けられた。外務大臣は原田という人物で、40代後半の年相応に貫禄が付いた白髪交じりの紳士だった。いかにも温厚な常識人という印象を受けたのだが、彼が津田首相の部下であるというのは少し違和感を感じた。
官邸にも呼ばれたが、さすがに首相は姿を見せず秘書の長谷川氏から諮問を受けるだけだった。彼はイースタシアは帝国のネットワーク通信技術へ強い関心を示しており、世界首都では当たり前だったEコマースやデジタル配信サービスの話を彼は不思議そうに聞いていた。長谷川氏の見解では、モノの売買契約にはやはり最も信用性の高い印鑑を用いるのが当たり前で、映像や音楽などにはコピー品が濫造され難いレコードディスクの存在が不可欠だそうだ。一方で帝国ではV2社という最大手の情報通信企業が機密性を保護しており、津田首相は「社長を是非招きたい」と言っているらしいが、その創業者で社長というのが実はガーボル氏であり僕との関わりも彼らはよく知っていた。僕はガボール氏を陸軍付きの研究所の所長で何か企業を経営している程度にしか思っておらず、どちらかと言えば口達者ではなく物腰も柔らかい人物だったので大企業の社長という器の大きいイメージは全くなかった。
V2社といえばイースタシアにも法人が存在し、オフィスから東に少し歩いた場所に大きなビルを持っていた。元々は帝国の領事館があった土地をV2社が丸ごと買い取ったそうだ。ダスラー氏が僕にまるで最重要任務であるかのように出席を求めた新製品の発表会もそこで開かれるが、社長がガーボル氏なら招かれた理由も、新製品が何であるかもよくわかる。それは確かに異世界では新発明かも知れないが本来は僕の持ち物だったからだ。
イベント当日の招待客の中で帝国政府関係者は僕と大使のヘーベル氏のみだったが、ヘーベル大使は僕に冷ややかな目を向け明らかに軽蔑している様子だった。彼等のような優性民族にとってアジア人など家畜同然なので当然だろう。ましてやそんな僕が今や彼より上位の立場にいるのだから面白いはずがない。一方でイースタシア人からの人気はやはり高いようで、イースタシア語は理解できなかったがサインを求められたり握手で写真を撮られたりと忙しかった。
午前2時になると急にホールの照明が暗転し、演台に長い髪を後ろで結びチェック柄のスーツを着たガーボル氏のホログラムが映し出された。彼がパーカーとTシャツ以外を着ているのは初めて見たが、その日は猫背も矯正していて平素とのギャップが可笑しく笑いを堪えるのに必死だった。紳士的で爽やかな経営者を演じる彼は身振りを交えて演説を始めた。
「本日は革命的な3つの製品を紹介します。最初の1つはタッチ操作でワイド画面の携帯音楽再生機器、2つ目は革命的な携帯電話、そして最後の3つ目は画期的な情報通信機器です。ええ、3つです。『音楽再生機器』『電話』『情報通信機器』。それらは3つの異なる機器ではありません。1つの機器です。」
ガーボル氏が話し終わると数秒間の沈黙があり、少し遅れて拍手喝采が会場内に鳴り響いた。「ビルシルム」と名付けられたその製品、つまりスマートフォンは異世界において全くの未知のオーパーツであり会場内の誰も理解できなかったのだろう。その後に司会者の中年女性が「冷蔵庫と洗濯機以外の家電が1つの製品になる」と注釈を加えたが、若干の誤謬はあるもののわかりやすい例えだと僕は思った。




