第60回 「国防軍」
「僕たちは津田首相が通っているという中華料理店に着き、人払いを済ませて2人だけで店に入りました。それから彼は僕に日本語で話し始めたのです。」
「済まないが "nihon go" とは何のことだろうか。」
「おかしいですね、あなたも日本語を話していたではありませんか。」
「生憎さっぱり心当たりがない。私は何と言っていたのかね。」
「津田に向かって『お目にかかれて光栄です』と仰っていました。」
「ああ、 "Rìyǔ" のことだな。」
「すみません、それはどういった意味の単語でしょうか。」
「ツダが話すイースタシアの地方言語だ。彼は労働者階級の出身だから正式なイースタシア語を習得していないらしい。」
「なるほど。どうやらその『イーユイ』を元の言語に訳すと日本語になるようですね。」
「そうだな。それでツダは何と言ったのだ。」
「彼は何の前置きもなく『俺に仕えないか』と問い、それから僕の経歴を質しました。魔法課を解雇され、大企業からスカウトの話もあったそうですが結局は国防軍の横槍でイースタシアのスパイをすることになったのだそうです。」
「なるほど、私の知る限りでは概ね事実だ。」
「シュナイダー博士が僕をクビにしたのも事実でしょうか。」
「そう聞いている。」
「それはどうしてでしょうか。」
「そこまではわからない。しかしルンデンさんが監視を命じられている程だから全く軽視はしていないだろう。」
「そうですか。」
「ああそうだ。続けたまえ。」
「それから彼は『ここで俺に仕えるか帝国の犬を続けるか、選べ。』と迫ったのです。だから僕は『あなたに僕の存在理由を決める資格などはない、決められるのは僕自身だけだ。』と反論しました。だってそうでしょう、僕の人生は僕だけのものです。例え超大国の首脳でも他人の意思まで横取りなんてできません。」
「それで彼は何と言ったのだね。」
「『黙れ』と大喝してその場を去りました。彼はきっと社会的地位さえ高ければ他人を思い通りに動かせると勘違いしているのでしょう。
「そうか、よくわかった。」
「確かに表面上はそのように見えるのかも知れません。しかしそれは大きな間違いで、人間は誰もが意思を持って生きているのです。与えられた役割を果たすために生きているのではありません。」
「なるほど、内通者は親衛隊にいるようだ。しかもかなりの高官だろう。」
「そうでしょうか。」
「君が異世界人であると知っているのは党の幹部と我々のようなごく一部の軍人だけだ。その中でツダの暗殺計画を知っているのは国防軍の内部に限られる。つま彼が君を『スパイ』だと認識しているのなら情報源は親衛隊に違いない。」
「まるで党の幹部には国防軍と親衛隊しか存在しないような見解ですね。」
「今日の帝国を支配しているのは親衛隊だ。それ以外と言えば国防軍くらいのものだろう。君が巧妙に話を逸してくれたお陰で助かったが、彼を怒らせたのはまずかったな。」
「やはり国際問題になるのでしょうか。」
「君一人への感情だけで政治が動くものか。しかし君の立場に関しては別だ。」
「津田首相の友人である中華料理店の客たちからは『僕は気に入られた』と言われましたが。それにあなたも彼が『僕を心配していた』と言っていたではありませんか。」
「ちょっと待ってくれ。その店には他にも客がいたのか。」
「はい。狭いカウンターに酔った労働者たちが何人もひしめいていました。」
「それは一体どういうことだ。」
「僕にわかるわけがないじゃないですか。」




