第59回 「帰還」
東方酒店にたどり着いてからが大変だった。フロントに尋ねてもリヒャルトは未だ戻っておらず、電話をかけようとも思ったがそもそも電話番号を知らないことをその時になって初めて気が付いた。オフィスまでの道程もよく覚えていなかったので小一時間ほど辺りを探し続け、さすがに足が疲れてきた頃にオリガから着信があった。
「ツバサは今どこにいるの。」
彼女が少し興奮気味であるのは受話器越しでも十分に伝わった。きっと見知らぬ土地で新しく見聞きしたことも多かったのだろう。
「実はオフィスの場所がわからなくなって、ずっと探しているんだ。」
そう答えると彼女はただでさえ高い声を裏返して「それならどうして連絡を寄越さないのよ。」と僕を責めた。もちろん忘れていたわけではないが、こちらも色々あってそれどころではなかったのだ。聞けば東方酒店で僕と分かれた後にリヒャルトから党の充てがった僕たちの住居へ案内されていたそうだ。世界首都の住まいより随分と手狭だがマンションの高層階で景色はとても良いらしい。早く見てみたいものだが言葉も文字もわからないオリガに住所を教えてもらうのは難しいだろう。僕は「リヒャルトに僕の電話番号を教えてくれ」と頼むと、まだ話し足りない様子の彼女を宥めて少し強引に通話を終えた。
リヒャルトからの連絡はなかなか来なかったので暇潰しと情報収集を兼ねて駅前の書店に立ち寄った。店内に入るとやはり目に付く書籍のほとんどは現代の著作であり知らないタイトルばかりである。壁際に谷崎潤一郎や志賀直哉など見覚えのある名前を見つけたが、国語の授業で習った程度で特に読みたいとも思わない。ファッション誌をパラパラとくめれば皆が赤や青や緑や群青色の大層派手な装いで、異世界では価値観そのものが僕のそれと大きく隔たりがあるのを感じた。
それから興味本位で週刊誌のグラビア(こちらでもそう呼ばれるのかは知らないが)を眺めていると、「へぇ、君はこういう女が好みなのか。」と後ろから声が聞こえた。振り返るとブラッドが僕が開いていたページを苦笑いで覗き込んでいたので「偶然開いていただけだ」と否定して見せたが恐らく説得力は皆無だっただろう。しかしそれは事実で、たまたま開いていたのがロングヘアーの日に焼けた健康的な女性が胸元を強調しているページだっただけなのだ。実際はポニーテールが僕の好みである。
「シュトラッサーさんが迎えに行けと言うから仕方なく来てやった。とはいえ別に俺も急いでいるわけじゃない。存分に堪能してからオフィスに戻ろう。」
それからブラッドはからかうように僕の肩に手を回して早くページをめくるよう催促した。
「ばかを言え、僕は党の威信を背負ってイースタシアに着任したのだ。いかがわしい雑誌の立ち読みなどに耽っている時間などどこにもありはしない。」
そう言って僕は彼の腕を振り払った。
オフィスは駅からそこまで離れておらず、むしろ東洋ホテルから駅までの通り道にあった。エレベーターで4階に上り右へ進んだ正面の扉を開けるとリヒャルトがソファーで何か書類に目を通していた。僕に気付くと開口一番、意外なことを口にした。
「教授、よく戻ってきた。津田首相もひどく心配していたぞ。」
僕を知らない土地にたった取り残したのは津田首相だったと記憶していたのだが彼は一体どういう了見だろうか。それにリヒャルトも中華料理店での話をどう聞いているのかも気になった。
「津田首相は魔法課の存在も、僕が異世界人であることも全て知っていました。その上で僕をヘッドハンティングしようとしたのです。彼の暗殺なんてとんでもない。その前に僕たちが抹殺されるでしょう。」
僕が帝国に告げ口することも津田首相は想定していただろうか。賢く振る舞おうと思うなら言わぬが花ということもある。しかし僕はそこまで計算して生きていない。
「それは興味深い。是非始めから話してくれないか。」
リヒャルトは相変わらず本当に興味があるのかないのかわからない無表情で僕へ問いかけた。




