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異世界に落ちてきた男  作者: 岡本沙織
第6章 「海の都」
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第57回 「実験動物」

 リムジンは海側へ下り鉄道の高架を抜け商店街のアーケードの手前で止まった。それから歩いて路地裏に入り、津田首相が足を止めたのはどこにでもありそうな薄汚れた中華料理店だった。店内のカウンターには中高年男性がひしめき合うように押し込まれており、津田首相は僕を除いた付き人たち全員に外で待っているよう命じた。僕は啞然としながら彼の横に腰掛けた。

 津田首相はおしぼりで手を拭いながら蒸し鶏と小籠包と餃子とラムネを2人前注文し、横で顔を真っ赤にした小太りの男に「調子はどうだ」と声をかけた。その男はしきりに頭を下げて「お陰様で」と当たり障りのない返事をしたが、きっと顔見知りなのだろう。しがない賃金労働者の側まで()()()対話を試みるとは一国の指導者として大したものだと僕は思った。


 「高瀬、俺に仕えないか。」


 津田首相がおもむろに問いかけた。あまりに唐突だったので誰に言っているのかわからなかったが、その場で「高瀬」という苗字の者はどうやら僕だけのようだった。それにしても彼がなぜ僕の名前を知っているのだろう。やはり同じ異世界人だからだろうか。「魔王」と呼ばれるだけあって霊界ともつながりがあるのかも知れない。返答に窮していると津田首相はさらに言葉を続けた。


 「貴様は親衛隊をクビになったそうだな。今は諜報員の真似事をさせられているそうだが、それもいささか荷が重いのではないか。」


 なるほど、帝国の情報セキュリティーは随分と脆弱だったようだ。政府中枢の腐敗はシュナイダー博士からよく聞かされていたので機密漏洩などさほど驚くに値しない。しかしながら僕の処遇に対する指摘に関しては少し気に障った。後になって思えば彼は僕を挑発してボロを出させようと企んでいたのだろう。そして僕はまんまとその術中にはまった。


 「お言葉ですが閣下、僕はクビになったのではありません。その証拠にかつての同僚は今や僕の部下です。」


 「そうか、それなら結構だ。身に覚えがないのならば仕方ない。」


 身に覚えがない、と言えば嘘である。魔法課において僕がどれだけ無知で無能な役立たずであったのかは誰より僕自身がよく承知している。ただし、だからといって大人たちの都合で僕が期待外れのように扱われるなどお門違いも甚だしいのではないか。それならば、と僕は彼に問いかけた。


 「しかし閣下がお知りになった情報の信憑性は如何(いかが)なものなのでしょう。」


 「少なくとも貴様よりは確かだろうな。」


 津田首相は僕を蔑むような薄気味悪い笑みを浮かべた。


 「そもそもお前がここにいるのは某とか云う奇術師の頭が君を親衛隊から放逐したからだ。どうも国家随一の精鋭部隊は無能な書生を食わせるほど安くはないらしい。そこであのV2社が奇貨居くべしと言って使おうとしたが、何故か国防軍の横槍が入ったそうだ。奴等なりに親衛隊への嫌がらせでもしているつもりだろうが、どうにも使い道がないから仕方なく我々の元に送られた。異世界とはいえ同じ民族なのだから密偵として少しは役に立つだろうと踏んだのだな。」


 「もしそれが本当ならどうして閣下は僕を勧誘するんです。」


 僕が問うと彼はみるみる顔を強張らせ、甲高い声で「黙れ」と叫んだ。客たちは静まり返り、何事かと皆一斉に僕たちの方へ視線を注いだ。


 「畜生として帝国に飼われるか、人として俺の役に立つか、選べ。」


 その迫力に圧倒されて僕はしばらく声も出なかった。それにしても言われてみれば全くその通りである。以前にアシュレイから「君には人権がない」と言われたが、帝国では多かれ少なかれ皆が僕を実験動物か何かのように認識しているだろう。初めから分かっていたが自分自身を惨めに思いたくないので考えないようにしていた。だからもし僕が津田首相の言葉に乗ったとして裏切り行為には当たらないだろう。なぜなら僕は人でないのだから。

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