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異世界に落ちてきた男  作者: 岡本沙織
第6章 「海の都」
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第56回 「今太閤」

 「貴殿は我が国に大層通じておられるそうだが、何度目の来訪か。」


 津田首相が問うと、ハセガワ氏が翻訳して僕に伝えた。僕はその過程を経てようやく理解した振りをしながら答えた。彼の口調は僕が知っている日本語と比べやや違和感を感じたが、きっと僕の知らない変遷を辿ったのだろう。


 「今日が最初です。」


 それはそうだ。つい数日前まで「和田」という都市の存在すら知らなかったし、今でもよく知らない。数時間前に入国するまでほとんどイースタシアと接点を持つ機会もなければ故郷とは時間的連続性のないこの国に何の関心も持っていなかった。


 「彼は党の機密を扱う部署におりましたので。」


 わずかな沈黙の後でリヒャルトが口を挟んだ。彼なりのエクスキューズだろう。


 「ではこの街をどう思う、」


 津田首相はゆっくりと身を乗り出して僕の目をじっと見つめた。


 「とても良い景観の街だと思います。いつかフィアンセも連れて来たいものです。」


 溜息を漏らすリヒャルトを視界の隅で捉えたが、社会人経験の浅い若者に気の利いた受け答えを期待するほうがおかしい。ところが津田首相は高笑いして面白がり「それなら今から案内してやる。」とハセガワ氏に車の手配を命じた。一同は大いに困惑し、僕は彼の言動に一種の違和感すら覚えていた。なぜなら津田首相の振る舞いはあまりに無思慮で無自覚であるからだ。確かに彼は心からの親切で僕へ観光案内を申し出ているのだろう。しかしそうすることで引き起こされる事態に対して彼はまるで無頓着なのである。

 ハセガワ氏は弱々しい口調で「シバタ参事官がすでにお待ちです。」と反対した。津田首相は語気を強め「では貴様が相手せよ」とハセガワ氏に命じたが、彼はますます萎縮しながら「明日の閣議に影響します」と食い下がった。津田首相が甲高く大きな声で「くどい」と一喝すると、大気が一気に冷え込んだような緊迫感が漂い、ついにハセガワ氏も俯いて口を(つぐ)んでしまった。その迫力は彼の小柄な体格に似つかわしくないほど凄まじく、関係のない僕でさえ言いようのない恐怖を覚えるほどだった。


 「ではモロトフ殿、お伴いたしましょう。」


 津田首相は明朗な声でそう言うと食べかけのローストビーフをそのままに颯爽と部屋を出た。僕は戸惑ったが、彼の後を追って部屋を出ることにした。


 官邸を出るとアプローチの脇には黒塗りの高級車が止まっていた。車の前にはSPらしきアフリカ系の大男が手を前に組み、まるで政治家というよりハリウッドスターのボディーガードのような風体だった。聞けばやはり彼は警察官ではなく津田首相の私的に雇った用心棒で、公私問わず外出の際には必ず彼を同伴させるらしい。津田首相は上機嫌で後部座席に座り、それから若い運転手の男に行き先を告げると急に饒舌になって「和田は魚が不味い」だとか「この辺りは慶長以来の大地震から復興が遅れていた」だとか取りとめのないお喋りを始めた。


 「慶長とは江戸時代でしょうか。」


 「いや、まだその頃は秀吉の治世だったはずだ。」


 「中世期の人物ですね。」


 僕がそう言うと津田首相は目を丸くして驚いた。


 「貴殿は豊臣秀吉公をご存知なのか。」


 豊臣秀吉なら誰でも知っている。僕の住んでいた日本で織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑ほど有名な日本史上の人物はいないだろう。


 「そういえばあなたも豊臣秀吉のように平民から身を起こし『今太閤』と呼ばれているとか。」


 彼は「今太閤」のニックネームがよほどお気に召しているのか、手を打って喜んだ。


 「それは光栄だ。豊臣秀吉公は私が最も尊敬する人物である。」


 「しかし豊臣秀吉が何十年もかけて果たした立身出世をあなたはたった数年で成し遂げているではないですか。」


 「当然だ。今日の政争など武田、上杉を相手するよりずっと容易(たやす)い。」


 確かに豊臣秀吉が武田信玄や上杉謙信と戦った戦国時代と比べれば現代はイージーモードなのかも知れない。しかし「世が世なので豊臣秀吉さえ成し得ない偉業を遂げた」というのは少しも謙遜になっていないのではないか。僕は彼の人柄に傲慢さが垣間見られた気がした。

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