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異世界に落ちてきた男  作者: 岡本沙織
第6章 「海の都」
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第51回 「仮名」

 「まずあなたご自身の経歴からご教示させて頂きます。名前はカール・モロゾフで年齢は25歳、お父上はオイラト総督府ウララ市長のハインリヒ・モロゾフです。10歳で帝国のヨハン・ジギスムント・ギムナジウムに入学、19歳で入党資格を得て国外機構極東局イースタシア課に配属、世界首都にて内勤ののち同課次長に昇進しました。詳細はこちらに記載されておりますが、以上を少なくとも午後6時までに覚えてください。」


 机に置かれた100ページもありそうな資料を指差すとダスラー氏はすぐ隣にある彼の机に腰を下ろした。資料によると、特別枠で帝国の学校に入学した「僕」はそこで優性人種による慢性的ないじめを経験し、単位ギリギリで辛くも卒業できたものの夢だった大学進学を諦めざるを得なかったらしい。そして父親の権力で党員になると「僕」自身の容姿がアジア人と酷似していることからイースタシアの文化や歴史に興味を抱き、熱心に仕事へ打ち込んだため若くしてそれなりのポストを得られるようになったのが今現在である。ちなみに趣味はドライブとフットボール、女性との交際歴はなく国許に婚約者がいる設定だそうだ。

 それらをあと2時間と少しで全て暗記しなければならない、なかなかの重労働だが僕は実のところ「仮の自分」の設定資料集へ目を通すことにむしろ楽しみを見出していた。それはまるでスパイか役者にでもなったかのように。事実そのモロゾフ氏が存在するのか、あるいはかつて存在していたのかはわからないが、入念に作り込まれた設定資料集からは並々ならぬ労力が感じられる。仮に資料通りの人物が存在するならば、彼は有色人種でありながら異例の出世を遂げた秀才と言えるが、アジア人に近い容姿をしている帝国官僚という設定条件に帝国のイデオロギーと矛盾しない程度に構築する困難さが伺えた。僕は「俺はカール・モロゾフ、俺はカール・モロゾフ」と呪文のように繰り返した。

 今日の予定表を見ると、午後7時に津田首相は官邸で帝国の外交官や党の駐在員とその家族などを交えた親睦会を行い、8時にリヒャルトと僕で津田と会談する予定だった。議題は「帝国外務大臣との石油関税引き上げに関する準備交渉」と表向きなっているが実際のところは不明、と手書きの注釈が書かれていた。リヒャルトの話では津田が僕の肩書きの物珍しさに会いたがっていたはずだが、外交の真似事など僕にできるはずもないので助かった。むしろ何か余計なことを言ってボロを出さないかが不安である。


 「ところでブラッドはどんな魔法が使えるんだい。」


 ふと気になってソファーの上に寝転んでスマートフォンで誰かにメールを打っていたブラッドに声を掛けた。ブラッドはちらっと僕のほうを見て、そのまま足をぶらぶらさせてスマートフォンのスクリーンに顔を向けたまま答えた。


 「俺は妹たちと違って『認識』することしかできない。誰が今どこで異次元に干渉しているのか把握できるだけの欠陥品さ。だからこの2年ばかりずっとここで津田を内偵している。」


 「それなら僕がこの世界に送られたその瞬間も君は認識していたって言うのかい。」


 「もちろんだ。そうでなけりゃ君の話だけで君が異世界人だと認めるはずがないだろう。」


 それもそうだな、と思った。いくらリヒャルトやシュナイダー博士が僕の話を信じても親衛隊がそれで納得するわけがないだろう。もし僕がイースタシアのスパイだったとしたら「魔法課」の存在を津田にバラすことになる。


 「それじゃ津田も異世界人だと決まったようなものじゃないか。」


 僕が言うとブラッドは笑って否定した。


 「僕にしか認識できないから皆がそう思うのも無理はないが、異次元への干渉なんて1日で何百回も起きているんだ。それを言い出すとそこにいるダスラーさんだって実は異世界人かも知れないぜ。」


 ダスラー氏は急な彼への言及に驚き顔を上げた。その表情がブラッドはよほど可笑しかったのか大笑いし始め、僕もつられて笑ってしまった。

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