第46回 「昇進」
「教授、おめでとう。」
それは「平和創生基金」の失敗からしばらくして、僕が新しいビジネスを考えている最中のことだった。シュナイダー博士は不意に、普段通りの気さくな笑顔で僕に話しかけた。
「ついに君にも『肩書き』ができたよ。党も君の存在がいかに重要か認めざるを得なくなったらしい。今日付けで君は『国外機構極東局イースタシア課次長』だ。長い名前だが覚えておいて損はない。」
彼の言っていることはあまりにも唐突で、僕は「そうですか。」と可も否もない曖昧な返事をした。まず「国外機構極東部」がどんな組織か知らない。所管は親衛隊だろうか、それとも国防軍だろうか。何より勤務地は世界首都なのか「極東」なのか。僕の魔法課での地位はどうなってしまうのだろうか。
「イースタシアへの赴任は2週間後だ。さっそくパーティーの準備をしないとね。君も急なことで困惑しているだろうが、確かなことが1つだけある。それは君が遠くへ行ったって僕たちの友情は変わらないってことさ。」
僕は博士の気障な励ましもうわの空で、少しずつ状況を受け入れる努力をせねばならなかった。世界首都を離れることも、魔法課を離脱することも僕には全く予想できなかったからだ。それも異世界から来て他に居場所などなかったのだから当然だろう。確かに博士の言う通り彼らは友人と呼んで差し支えないかも知れないが、だからと言って「寂しいから」と用もなくメールできるような間柄でもない。彼らは決して家族ではないのだ。
人事が同僚たちへ伝わるのは予想通りに早く、マルティナに至っては僕が知る前から未来予知で把握していたらしい。クレアは僕が切り出す前にもう泣いていて、アシュレイは「あなたに会えて良かった」とか「いつか必ず帰ってきて」とか、気味が悪いほど優しい言葉を僕に掛けた。オリガに話すと、お姉さん達との別れに大層悲しそうな様子だったが「嫌だ」とは最後まで言わなかった。
その日は皆で家に集まって明け方までおしゃべりをしたりトランプをしたりして過ごした。主役は僕だったはずなのに話題はいつの間にか「ガーボルさんが口説いてきて気持ち悪い」とか「カタリナは彼氏とどこまでいったのか」とか下衆な話で勝手に盛り上がり、いつものように僕は片隅に追いやられた。
唯一いつもと違ったのは、スパークリングワイン3杯でしたたかに酔ったアシュレイが「ツバサはマルティナが好き」と皆がいる前で暴露を始めたことである。マルティナが「そんな気はしていた」と聞きたくない本音を漏らしたために僕は皆から顰蹙を買い、僕が必死に否定すればするほど「怪しい」とからかわれた。明け方になる頃には「ツバサはオリガに手を出すのではないか」などと誰かが言い始め、最後の良心だったクレアまで「変態」と僕をなじった。
シュナイダー博士も本当にパーティーを開いてくれた。今度はガーボル氏もカーラも呼ばれ、彼らはこぞって僕の功績を讃えてくれた。カーラが言うには、ガーボル氏は本当に僕が「お気に入り」らしく彼の研究所にスカウトしようとして政府の上層部に断られたそうだ。それを聞いてなぜか絆されたキャリア志向のヴィンデは「ツバサと一緒にイースタシアへ行きたい」と博士に求めて彼を困らせ、マリアは「ツバサに先を越されて悔しい」となぜか不貞腐れた。何の先を越されたかは聞かないでおいたが、マリアの場合は違うベクトルの嫉妬だろう。
大人たちは口々に「困ったことがあればいつでも連絡を寄越すように」と何度も僕へ声を掛けてくれた。僕の異動先となる「国外機構」は党の管轄らしく、彼らとしても僕とコネクションを持ち続けることはメリットだそうだ。「だから遠慮することはない」とガーボル氏はすかさずフォローを加えたが、つい本音を口走ってしまう彼に僕はむしろ好感が持てた。
2週間はあっという間に過ぎ、いよいよイースタシアへ向かう日がやってきた。引越しの手続きには少々手間取ったが、結局お気に入りの洋服とスマートフォン以外のほとんどは捨てたり売ってしまった。オリガは使い慣れた食器や掃除機や思い出の品々を沢山ダンボールに詰め、何もない部屋を見ると少し寂しさを覚えた。そして来た時と同じように大通りを横切り、大きな門を通り過ぎて街の外れの空港へと車を走らせた。
空港に着くとそこには同僚たちとシュナイダー博士が僕を待っていた。
「サプライズだよ。」
博士はいつものやけに爽やかな笑顔で僕に声を掛けた。悲しくなるから見送りはお断りしていたのに、だ。クレアはもう泣いていた。他の連中を目を真っ赤にして今にも泣きそうな顔をしていた。僕も泣きそうなのを堪え、声を震わせながら「ありがとう」と言った。言いたいことはもっとあったが、下手に喋ると感情を抑えられそうにないので、黙って皆に手を振った。




