第44回 「ライトノベル」
シュナイダー博士から受ける印象は明らかに変わった。彼が同性愛者だからか、それとも彼の資質によるものか、とにかく彼に対して抱いていた親愛や憧れは夏の終わりの曇天のようにたちまち翳り始めた。僕は差別主義者ではないけれど偏見が全くないとは言い切れないし、コミュニケーション能力の高さで過大評価される人間をあまり好きにはなれない。
どんな学校でも明らかなえこひいきを受ける「先生のお気に入り」がクラスに一人くらいいただろう。そうした輩は得てして大した努力もせず大学の推薦枠を得たりする。おまけに彼らがクラスの人気者だったりすると最悪で、誰からの嫉妬も受けず「卑怯者」などとなじられることもない。そんな彼や彼女らに対しどちらかといえば不良だった僕は心の内で見下しながら気持ちの悪い薄笑いを浮かべて黙って見ていた。
そもそもコミュニケーション能力が高いから出世できた、なんて努力家たちへの搾取である。僕はマリアに同意を求めたが、彼女はニヤケ面で「そんな彼も可愛い」などと言って全く取り合おうとしなかった。
若さゆえの苛立ちか、僕は当人へ直接抗議した。おべっかオカマ野郎の鼻を明かそうというわけである。
「ところでシュナイダー博士は芸術に大変造詣が深いようですが、博士は『ライトノベル』をご存知でしょうか。」
「いや、全く聞き覚えのない単語だ。」
シュナイダー博士は身を乗り出して僕の目をじっと見た。それはそうだ、知るわけがない。もっとも僕だってよく知らないが、同級生の和泉君が熱心に読んでいたのでどんなものか多少は理解している。
「低俗な三流出版社が発行する単調なフレーズと卑猥な挿絵が載った素人の作文です。」
僕の解釈が果たして妥当かどうかはこの際どうでも好い。僕が論じているのはラノベの是非ではないからだ。そんなものには端から興味がないし和泉君たちのような陰キャのフェチズムに関心を持ちたくもない。これから話すのは飽くまで「大衆が芸術を食い潰すお話」である。しかしなぜかここまで聞いてシュナイダー博士は僕の瞳の奥を覗き込みながら一層目を輝かせた。僕はあらゆる意味で少し寒気を覚えながら話を続けた。
「文学への理解には素養が伴います。しかし僕のいた国では教育制度がまともに機能しておらず、多くの人たちにとって本を読む行為自体が馬鹿馬鹿しく苦痛でしかありませんでした。だって難しくてわからないのですから。そんなバカでも読める物語こそライトノベルです。それには難解な言葉なんて一切使われず、読解力は徹底的に排除されています。それに余白の分量は活字より多く、挿絵が多くて想像力も不要です。」
博士は「それはジュブナイル小説ではないか」と僕に尋ねたが、「違います、全然違います。」と強く否定した。
「ジュブナイル小説なんて高尚なものである訳がないじゃないですか。純文学すら大衆誌の別冊付録に成り下がり権威ある賞は美人か不細工かで決まるのです。ライトノベルに至ってはさらに俗物的で、程度の低さと欲望の生々しさでその価値が定まります。内容なんてどうでも好い、流行語を洋服のように着せ替えるトレース職人の仮装ショーです。」
賢明なシュナイダー博士は静かに僕の話を聞き終えてから「さすが教授だ」と大声で笑った。
「とても素晴らしい。君の指摘はまさに的確だ。僕もその『ライトノベル』を書いてみたくなった。教授、できればもう少し詳しく教えてはくれないだろうか。」
「博士がお知りになりたいのはライトノベルの文法でしょうか。それとも資本主義に魂を売る方法でしょうか。」
「もちろんその両方だとも。ツバサ、大衆は君が思っている以上にしたたかで抜け目のない連中だ。 僕らのような『専門家』のほうが遥かに愚鈍だよ。しかし僕は少しばかりの地位と名誉を得られたが、腐敗した帝国の権力闘争に抗う器量も才覚も持ち合わせてはいない。だから僕は僕の心の赴くままに、好きなときに好きなだけ好きなことをして生きていきたいんだ。ライトノベル作家としてね。」
「それはもはや愚か者の言い訳ですらありません。あなたがご自身の能力に見切りを付けるのは勝手ですが、あなたが権力の座に居続ける限り本来そこにいるべき人々を抑圧しチャンスを奪い去り奴隷のように使役している事実に変わりはありません。」
「それもそうだが、あいにく僕は政治にまるで興味がないんだよ。世の中がこうあるべき、なんて心底どうでもいい。僕は僕自身の目が行き届く範囲にしか関心がないんだ。それに、君の考えはどこか『知識人が愚かな大衆を導く』世界観を前提としている気がする。だが僕はそうは思わない。宗教改革も産業革命も主導してきたのはいつも名もなき大衆だからね。ライトノベルに関してもそうだ。君は『大衆がバカだから本が腐った』と考えているようだが、本当に腐っているのは書き手かも知れないよ。」




