第41回 「恋」
いくら差別に対しておおらかな世界首都でもアジア系民族は入店禁止の店も多く、地下鉄やタクシーなどでも白人専用車が運行の大多数を占めているため肩身の狭い思いをせざるを得ない。郊外に出ればそれはさらに顕著で、100m歩く度に住民からの罵声を覚悟せねばならない。そのため僕は休日も不要不急の外出を控えざるを得なかった。
イースタシアへの亡命も確かに魅力的だが、帝国の監視下でそう易々と行えるものではない。何より仲間たちの立場を悪くするようなことなど自分の私利私欲のためだけにできるわけがない。同じ被差別階級のオリガにしても見捨てられないし、それに今でこそ少し居づらい状況だがいつか好転するチャンスもあるだろうと思っていた。
休日の昼下がりに僕がテレビのサッカー中継で負けている方を何となくを応援していると、オリガから「たまには自分で洗い物をしなさい」と叱られた。彼女も都会の生活に慣れたのか最近は母親のような小言が多くなってきた。初めはあんなに怖がっていた隣人達ともすっかり仲良くなり、特にクレアとはよく二人で遊んでいるのを目にするようになった。両親とは相変わらず毎日連絡を取り合っているようで、僕は度々それを見て「たまには田舎に返してやりたい」と思っていた。
ところで銀行の口座履歴を見て気になっていたのだがオリガの給与はどうやら僕の預金から天引きされているわけではないらしい。本人に理由を尋ねると彼女の雇用主は海軍で、直接金銭を授受できる年齢に達していない彼女のために両親の銀行口座へ給与が振り込まれるとのことである。帝国の法律は知らないが未成年就労に制限があるのも考えてみれば当然だ。それにしてもリヒャルトはなぜそこまでして僕やオリガの面倒を見ようとするのだろう。ただオリガが家族と連絡を取るためだけに携帯電話まで渡していることも含めて彼の気の配り様は尋常ではない。もしかすると彼女は海軍スパイではないかとも疑ったが、それにしては歳が若すぎるようにも思える。
オリガがお姉様方と買い物に出かけたので僕は「洗い物は後にしよう」とソファーで横になりながらレモネードを飲んだ。しばらくすると眠気に襲われ、うたた寝を決め込むため背もたれに寄り掛かっていると不意に来客を告げるベルが鳴った。面倒だが仕方なく起き上がりドアを開けるとそこにはマリアが立っていた。
マリアとアシュレイの外見は本当によく似ていて、髪型や洋服の趣味まで同じなので写真で見る限り全く区別が付かない。だがうんざりするほど積極的に話しかけてくる姉とは異なりマリアはかなり大人しい性格なので、長く接していればいるほど雰囲気で区別できるようになる。そんな僕も実はマリアとあまり話したことがなく彼女のほうから訪ねて来るなどよほどの何かがあるのだろうと少し身構えた。
僕はマリアをリビングに案内し、グラスに注いだレモネードを差し出して向かい合わせに座った。しかし寡黙な異性に切り出す話題を探すのは予想以上に難しく、僕はコミュニケーションを5秒で諦めて付けっ放しだったテレビをぼんやりと見ている状態が10分ほど続いた。しかし自分でもなぜだかわからないが沈黙の時間は意外にも短く感じた。マリアが口を開いて最初に言ったのは「私が来た理由が気になるのでしょう。」という大変に不躾なものだった。「そんなことはない」と喉まで出かかったが、それはそれで妙に勘繰られそうなので「気になる」と心にもない言葉を発した。
「実はあなたも気付いているでしょうけれど、私には好きな人がいるの。でも私の周りの男の子って君しかいなくて。」
初耳だった。それにマリアが他人はおろか人間に興味があることも少しイメージになかった。マリアを除く他の同僚達は万年発情期のような連中だ。そこには僕を含めてもいい。しかしマリアはフェルマーの最終定理の話なら半日は早口でまくし立てるようなタイプだが、男の子がどうとかそういったジャンルの話の輪に好んで入っているところを一度も見たことがなかった。「その好きな人は誰だ」と問えば相手はどうやらシュナイダー博士らしい。確かにそれに関しては何となく想像ができた。年上の男性が好きなタイプの女性ならシュナイダー博士に好意を持ってもおかしくはない。かなりの変人なことに目を瞑れば見た目も人当たりの良さも申し分ないだろう。マリアの場合はアシュレイの姉妹なので変人にも耐性がある。
「それは結構なことだが僕はどうリアクションすればいいんだ。驚けばいいのか、それとも笑えばいいのか。」
僕が尋ねるとマリアは即答した。
「知らないわ。わかっていたら君なんかに相談するわけがないでしょう。」




