第4回 「高校生」
その少女は繊細で艷やかな赤毛を華奢な上顎の辺りで短く切り揃え、高く反り返った睫毛の下のグレーがかった大きな瞳には儚げな幼さを残し、どこか神秘的な美しさをたたえていた。僕とは歳が近いらしいと彼女には初めから好奇の目を向けられていたようだ。食堂や廊下で大人たちと接する時とは違う、妙に馴れ馴れしい態度を見せることがあった。ただ、その頃の僕達には未だ言葉を交わす術はなく、
「こんにちは」
「また明日」
「今日は好い天気ですね」
などといった挨拶程度のコミュニケーションに終始していた。会話を試みようにも彼女はいつもいそいそと膳の上げ下げや部屋の掃除といった仕事に精を出していたし、僕は僕で施設の書庫からこの世界に関する情報を集めることに熱心だった。もっとも文字は読めないので挿絵から内容を推測する程度だったのだが。それも書架に並んでいたのは農業や建築、機械工学に関するものばかりで特に得られるものは何もなかった。
ある日、僕は夕暮れ時の真っ赤に染まった空を見上げてふと「ひょっとするとこの空の先に故郷もあるのではないか」などと思い始め、藁半紙で亡き祖母から教わった小舟の折り紙を鼻唄交じりに折っていた。その最中に洗濯物の配達に訪れたオリガは大げさに驚嘆の声を上げ、どういうわけか目を丸くして様子を観察し始めたのである。僕の世界では誰にでも出来る他愛のないものだが、オリガにとっては不思議な光景なのだろうか。小舟が出来上がると歓声のような何か言葉を発し、僕に駆け寄り腕を掴んで強く揺さぶった。どうやら「それを頂戴」と訴えているようだ。僕は手を差し伸べてそれに応えると彼女は嬉しそうに小舟を受け取り、足早に行ってしまった。それが僕がオリガと話すきっかけだった。
1ヶ月もすれば僕にも日常レベルの会話ができるようになり、オリガも仕事のない時間は僕の部屋で過ごすことが多くなった。状況も次第にわかってきた。彼女の話では僕や他のアジア人は「人質」という扱いらしく、僕たちを世話するのが彼女とその家族の仕事だそうだ。大人びたオリガは驚いたことに今年13歳になったばかりであり、僕の妹より1つ下の学年らしい。それなのに彼女の年齢で家業を手伝っているのはこの国では珍しくないことだというので恐れ入る。
俘虜収容所か何かと思っていた施設も実は村役場を接収した海軍基地であり、ボスはリヒャルトという青年将校らしい。食堂で何度か見た覚えがあるが、背が高く面長でひょろっとしたいかにも神経質そうな風貌の男だ。彼は軍でもエリートとのことであり若くして随分出世しているのだという。
我々アジア人が白人に捕らえられている事情に関しては彼女もよく知らず、何やら「リヒャルトの上官を救出するため」らしい。上官が捕らえられているのは隣国の「イースタシア」というアジア人国家で、恐ろしい独裁者が支配しているのだそうだ。
「ツバサはどうしてここに来たの。」
オリガは華奢な肩から首を突き出し目を輝かせて尋ねてきたが、僕は答えに窮した。「異世界」の訳には何を当てるのだろう。「寝殿造りの建物」や「閻魔様」や「三途の川」はどう説明したものだろうか。
「実は僕にもわからないんだ。」
僕が答えると彼女は口を尖らせいかにも不服そうな面持ちで、
「そんな態度なら私が同志大尉にあることないこと密告する。」
などというようなことを言っていた。この国では密告が積極的に奨励されており、密告を受けた者は秘密警察によって裁判無しの極刑が科されるとのことである。彼女の機嫌を損ねてもつまらないので、僕は真実を話すことにした。
「実は僕は違う国から来たんだ。」
「イースタシアでしょう。」
「いや、この世界のどこでもない国なんだ。僕はそこで高校という学校に通っていた。」
「特権階級なんだね。」
オリガは身を乗り出し興味深そうに僕の話を聞いていたが、「特権階級」という言葉には何か突き放すような冷たさを感じた。
「どこにでもある、ごく一般的な家庭だよ。」
「その "koko" には私でも入学できるのかしら。」
「15歳になれば基本的に誰でも高校生になることができるんだ。」
「ツバサはそこで何を学んでいたの。」
「国語、英語、数学、物理、それから」
僕が言い終わらないうちにオリガは素っ頓狂な金切り声を上げて叫んだ。
「若者にそんな役立たずの知識ばかり詰め込んだら国は滅びてしまうわ。」