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異世界に落ちてきた男  作者: 岡本沙織
第3部 「戦争」
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第21回 「畜生め」

 つい最近まで高校生だった僕が今度は先生になるというのもおかしな話ではあるが、悪い気はしなかった。教師という職業に特別な憧れを抱いていたわけではないが、どんなものにせよ僕にしか出来ない仕事を求められるのは何やら自分の存在が認められた気がして嬉しいものである。

 博士は明日から始まる異世界学のレジュメ作成を僕へ依頼した。ただ講義内容に関する報告および相談は無用とされ、一切の裁量が僕に委ねられた。本来なら帝国の言論統制は非常に厳格だが、魔法課に関しては治外法権なのだそうだ。それも博士の卓越した()()()()()()()()()()()の為せる業なのだろうか、お上を上手く丸め込んでいるらしい。

 魔術師の少女たちはというと仕事こそ十分にこなしているが、就業時間の大半をガールズトークやティータイムに費やしているようだ。しかしこれには理由があり、魔術によって消費される彼女たちの精神力は莫大なためらしい。帝国としては結果さえ示してくれればお咎めなしということで、いわゆる「裁量労働制」のようなものだろう。アシュレイは「私たちより若くて優れた子が現れたらどうせ簡単に捨てられる」ことを予期しており「賞味期限が切れる前に高値で売る」などとアイドルのようなことを言っていた。


 第1回目の講義は民主主義について行うことにした。僕の学生生活では()して印象的なカリキュラムではなかったが、人権や自由が抑圧された帝国とは最も隔たりのある部分ではないかと考えたからだ。平等社会、言論の自由、戦争の放棄など、彼女たちもきっと驚きをもって僕の話に聞き入るだろうと思った。そして僕の目論見は図らずしてその通りになった。


 「教授の祖国は共産主義国家だったのかしら。」


 クレアは言った。この国において平等社会などまず有り得ず、実現するのであれば共産主義者のように「家族の廃業」を断行せねばならない、というのが彼女の主張である。なぜなら家名や相続権などといった先代の遺産が代々受け継がれる限り平等など絵空事だからだそうだ。

僕がバラク・オバマを引き合いに「自由主義国家のアメリカでは黒人でも大統領になり得る。」と言った。彼女たちはどっと笑った。


 「それで、その奴隷王朝はアメリカにどれだけ輝かしい黄金時代を築いたのよ。」


 よほど滑稽だったのだろう。アシュレイは声を震わせながら僕に尋ねたが、実は僕もよく知らない。「ノーベル平和賞を受賞した」と答えたが、すかさずカタリナが「彼のおかげで平和になったのか」と僕に質問した。もちろん答えはノーだ。僕が反論に窮していると、ヴィンデがこう言った。


 「その大統領の功績は、彼が黒人として大統領に就任することで人類の平等を世界に示したことじゃないかしら。」


 僕が言いたかったのはまさしくそのことで、彼女の発言に大いに頷いた。しかし続けてヴィンデは呟いた。


 「実績についてはわからないけど。」


 言論の自由に関しても同じ調子である。僕が言論に加えてデモや集会、結社の自由について説明していると、今度はマルティナがこう質問した。


 「言論の自由が保障されるということは、人種の優性思想も保証されるのよね。」


 「いや、それは認められない。」


 僕はそう言うしかなかった。マルティナは不思議そうに「それはどうして」と言いたげな顔をしていたので、詳しくはないがうろ覚えながらナチスを引き合いに出して説明することにした。


 「僕が生まれるずっと前のドイツという国にヒトラーという独裁者がいたんだ。彼はドイツが世界を支配するために最悪の戦争を始めた。そして何の罪もないユダヤ人を惨たらしい方法で大量に虐殺したんだ。しかしその結果は、ヒトラーに反発した世界各国の抵抗を受けて負けてしまった。いくら言論の自由が保証されているからといって、悪の思想は正当化してはいけないのさ。二度とあんな戦争を起こさないためにね。」


 僕が話している間、彼女たちは水を打ったように静かに聞き入っていた。彼女たちのうちの誰かがこう言った。


 「ヒトラーはこの国で最も尊敬される人物よ。」


 僕は耳を疑った。この世界ではどうやら悪が正義なのだ。人種差別の時点で少しおかしいと思っていたが、オリガや、リヒャルトや、シュナイダー博士、そして双子の少女たちと知り合ううちに帝国は僕にとっても少なからず居心地の良い場所になっていた。僕への待遇の良さもそれを手伝っているかも知れない。今まで最悪の、憎むべき犯罪者集団に加担してしまっていることはなぜか嫌悪感を覚えなかったが、いつか僕もニュルンベルク裁判のように「人道に対する罪」裁かれるのではないかという恐怖心が芽生えた。


 この世界の歴史によると、イギリスでは首相になったばかりのチャーチルがアトリーの造反で失脚したため、当時の政府はフランスのパリ陥落の直後にナチスと講和を結んだらしい。東部戦線に戦力を集中させることができたドイツに対し、スターリンの大粛清で弱体化していたソビエト連邦はまともな抵抗もできず早々にモスクワが陥落、現在はヨーロッパのほぼ全土がナチスに征服されている。しかも戦後100年近く経った現在ではユダヤ人虐殺の事実は帝国内ではあまり知られておらず、むしろイギリスによるアラブ人迫害のほうがよく知られた事実だそうだ。


 「そういえばユダヤ人()()に関して総統が謝罪のスピーチを行っていたわね。」


 マルティナが言った。


 「でも20世紀半ばの国際社会において人種迫害なんて当たり前のことだったわ。フランス、イギリス、アメリカはユダヤ人難民の受け入れを拒否したし、ソ連に至っては国内のユダヤ人を虐殺していたの。でもそれは()()()()()()だったから仕方ないのかも知れないわね。」


 それを聞いて僕は「よくある話だな。」と思った。元の世界ではキング牧師以前のアメリカ社会も、オランダのプランテーションが引き起こした飢餓も、タイタニック号で働いていた苦力(Kuli)たちも、「そういう時代だから仕方ない」と特に問題視されていた記憶はない。所詮、差別だ虐殺だと言っても一方は封印されて一方は非難されているとすれば結局のところ「敗者を貶める」ことにしか機能しておらず、根本的な解決とは程遠いのではないか。それはつまり、いつか非人道的な差別や悲惨な虐殺が再び起こる予兆に他ならない。あるいは、もうすでに今、まさにこの瞬間に起こっているのかも知れない。もちろん僕たちには知らされないが。

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