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秋、教室の青春

作者: 塩蛙

 窓から差し込む赤々とした秋の夕陽が、放課後の教室を味わい深い色合いに染めていた。昼間は息遣いをしているような教室が、ゆっくりと寝静まり休まっているようだった。

 近くにある机に触れてみる。ひんやりとしていて、何かのキャラを彫ったようなゴツゴツとした感触があった。授業中、必死になって完成に向けて彫っている姿が浮かび、先生が来たら教科書で隠すのだろうな、と想像できた。きっと男子の机に違いない。


 いったい、何のためにやっているのだろう?


 キレイに拭き取られた黒板に手を当て、当番である今日の日直の律儀さに好意を持ちながら、窓の方へ向かって指を滑らせていく。チョークの粉は付かなかった。

 三階の窓越しから私の瞳に映る景色は、いよいよもって、赫くように燃えている。空は、今にもカラスの鳴き声が聞こえてきそうな夕焼け空。校庭のトラックでは陸上部が、フィールドではサッカー部が影法師を躍らせながら声を出し、自分たちの道を踏みしめていた。時折体を屈めて辛そうにしているが、その影になっている顔はきっと不敵に笑っているに違いない。まるで、その辛さが楽しいのだ、と言わんばかりに。


 きっと、彼らは青春を歩んでいるんだ。


 じっとただその姿を眺めていると、見覚えのある髪型の影がこっちに寄って来るのが見えた。クセっけのある跳ね上がった髪型の少年に陽が当たると、やっぱり幼馴染の幸樹だった。未だに低い身長でぴょんぴょん手を振るので、私も手を振る。そして、私は窓を開けた。秋の乾いた涼しい空気が、部屋の中の澱んだ空気と循環するように髪を撫でる。風に乗って活気のある声が音楽となって私の鼓膜を揺らした。

「そこで何やってんの?」

「千秋を待っているんだよ。」

 なるほど、と幸樹は言った。服が泥だらけになっている。

「たまには、俺のことも待ってよー。」

「ヤだよ。千秋に妬かれちゃうもん。」

 あー、そうだなー、と幸樹は言った。何してるんだ、とコーチの怒声が聞こえた。幸樹はイタズラを見つかった幼稚園児みたいに首をすくめて、またな、と言って駆けていった。

「またね。」

 返答してみるけれど、果たして届いたのかどうかは分からない。

私の声は夕陽に溶けてしまったようだった。

少し経つと、五時を知らせる『家に帰ろう』のメロディーが大気いっぱいに振動して聞こえてきた。その音を聞いて歌詞を口ずさみながら、そろそろだろうか、と思っていると教室の扉が開いた音が背後でした。運動後特有の荒い呼吸音。柑橘系の爽やかな匂い。

「待った?」

「あんまり。」

 私は窓を閉め、背中を窓の桟につけて気兼ねなく軽く応えた。

 ならいいや、と安心した顔で千秋はスポーツバックを床に降ろした。ふぅ暑い、と千秋はぼやく。汗で体に張り付いていそうなワイシャツの袖をまくって、スカートの足を広げながら椅子に座り、手で扇ぐ。

「だらしないよ、その恰好。刺激的。」

「いーんだよー。誰も見やしない。」

「忘れ物で誰か来るかもしれないよ?」

「その時は、しばいて忘れさせてやる。」

 本当にやってしまいそうで怖いよ、と私は笑いながら窓辺を離れ、近くに寄った。壁に備えられているクーラーのボタンを押すのだが反応はなかった。試しに扇風機の方を押すと、教室の隅にある二台の古びたプロペラが音を立てて回り始めた。弱だというのに勢いは十分にあって、気持ちいー、と叫んでいる声が耳に入る。髪の毛がグシャグシャになって嫌だったが、そのままにしておいた。

「沙良。はい、これ、受けとれい。」

 突然、千秋が何かを放ってきて、覚束ない動作で私はそれを受け取った。学校の自販機で買える紙パックのイチゴ牛乳。千秋はコーヒー牛乳をいつの間にか吸っていた。

「運動後は炭酸がいいんじゃなかったの?」

 ストローを刺しながら私は言った。イチゴ牛乳はまだ冷たくて、先程買ってきたばかりだということを感じる。飲むと、口の中いっぱいに甘さが広がった。

 なんとなくだよ、と千秋は語る。少し微笑みながら。

「なんとなくに理由なんてない。いつも同じ奴なんていないだろ?」

「気分転換? 何かあった? いくらだっけ?」

「一気に質問するなよ、私の口は一つしかないんだ。金はいらない、色んな貸しあるし。」

「そっか、ありがと。でも、これだけじゃ、チャラになんかならないからね?」

「うへー。」

 舌を出してうなだれるその姿は、一見すると女バスのキャプテンに見えなかった。でも、スラッと引き締まった足や、腕を見てしまうと、やはり頷けてしまう。頭の後ろ手で髪を一本に結び、その凛々しくもあるスタイリッシュな後ろ姿はとても格好良かった。

 今までで一度だけ、千秋に誘われて練習試合を見たことがある。彼女が声を張り上げて士気を高めメンバーを動かし、コートの中を駆け巡るその姿を、ただひたすら私は目で追った。いやっ、目が奪われたという方が正しい。彼女にパスが回るとボールは川をくだる枯葉のように滑らかに、敵を抜いて運ばれていった。周りに見せる…、魅せるかのように。

私はバスケのルールはあまり知らず、試合も見たことがなかったのでうまいことなのかは分からない。けれど、彼女がスゴイことは身に染みて感じられたのだ。

結局、試合は負けてしまい、彼女たちは肩を落としていた。勝負で負けて喜ぶ人なんてきっといはしない。けれど、彼女たちの顔はどこか達成感に満ちていた。満足気で、今を越えて次を見据えるように、千秋を中心として。


「くやしくないの?」


 そう、私の元に座って水筒を傾ける彼女に私は訊いた。単刀直入に、切実に。

彼女は少し驚いた表情をした後、呆れるように苦笑した。


「くやしいよ。でも、まだ先はずっと続いている。」


そう言った姿に、私はどうしようもなく胸が苦しくなって、目を逸らしてしまった。

 それ以来、私は千秋の練習試合というよりも、部活そのものに顔を出してはいない。だから私は、一緒に帰るときは千秋の教室で待つようにしている。千秋もまた、私に部活の話を持ちかけることはなかった。ただ単になんとなくそうしているだけかもしれないが、私にとってとても助けになっていて、気を休めることができたように思う。

 何故かは自分でも分からない。それこそ、なんとなく。思春期にありがちに。


 突然、千秋がメロディーを口ずさみ始めた。暗く悲しげなメロディーライン。そして淡く暖かな歌詞を、繊細で丁寧で声調で千秋は歌い始める。その歌を私は知らない。でも、確かに心の琴線に触れ、全ての感覚を耳に捧げたくなる。

 彼女は立ち上がり、ゆっくりした足取りで歩き始めた。青く暗い背景の中を、スポットライトで明るく照らされた彼女の姿が頭に浮かぶ。

ドラムの厳かで、堅実な静かな重低音。音を彩るキーボードのキレイなハーモニー。アナログティックで味わい深いアコースティックギターの温かみのある音に、それを包み込むベースの厚みのある音。自然と目を瞑り、彼女の声に体が左右に揺れる。

フルで一曲、四分程度の曲を彼女は歌い切った。ずっと短く感じられた。

「…バンドのボーカルやるんだっけ?」

 余韻に浸るように目を瞑って、教壇に座っている彼女に問いかけた。彼女はゆっくりと目を開けて、そして私を見て微笑んだ。

「うん、そうだよ。いやぁ…、まさか学校帰りにテキトーに音楽聞いて歌ってたら、まさか誘われるとは思っていなかったよ。自分たちで作った曲らしくてさ、ボーカル探しに困っていたらしいんだけど、私に歌わさせちゃ、いい歌も台無し。」

「ううん、そんなことないよ。十分にうまかったよ?」

「豚もおだてりゃ木に登る。褒めても何も出ませんよ。」

「本当だって。」

 本当に、本当と言っているとみえるとなると、なんか照れるな、と彼女は言って頭を掻いた。やっぱり、私はそんな千秋のことが羨ましかった。

 大抵のことは何でもできて、面白く、顔も広くて、謙虚で気遣いもできる。それでいて完璧ではなくどこか抜けていて、それなのに言っていることはまっすぐで抜け目ない。

 ズルイ、と私は思う。

 そんな色んなことを持っていて、だからこそ先を見ることができて。

 私は、彼女と今ここで、こうして話して友人でいられることをおこがましく思える。

 私がここにいて本当にいいのか、と思えてします。

 彼女をダメにしてしまうのではないか、と感じてしまう。


「そういえばさ、私が来るまで何してたのー?」

 千秋が暇そうに足をばたつかせながら、聞いてきた。ポニーテールがよく撥ねる。

私はその問いに、あ、えー、と間を開けた。

「図書館にずっと行っていたよ。」

「図書館? あー、そういえば小説書いたりしてるんだったね。ジャンルは?」

「……恋愛。」

 言うのが恥ずかしかった。

「あれっ、恋愛したことあったっけ?」

 ないよ、と私はサラッと答える。

「したことないのに、そんなジャンル書けるの?」

「やっぱ、おかしいかな?」

「まぁ、待て待て読んでから決めるから、かーして。」

 千秋が駆け寄ってきて、私のバックを気を臆することなく勝手に漁る。あっ、と思った時にはすでに目的のノートを手に取っていて、パラパラと捲っていた。推敲してないし、メモ書き程度だよ、というと、了解、と彼女は言った。私はその間、夕陽を眺めた。

 内容はいたってシンプルだった。街中ですれ違った人とのドラマチックな恋とか、ロミオとジュリエットのような禁断の恋なんてものじゃなくて、本当にとある高校生の平凡な恋愛を私が思ったことで書いただけだ。それもただ一方的な思い。品行正しく、真面目で非の打ちどころのないと少年が思える子に恋をするが、自分が矮小で汚く見えて、話しかけられもしない。思いも告げることができず、実る素振りさえも見せない恋の話。

 私にとって、恋とはそういうものだった。夕陽のように燃えるような色ではなくて、ただ光を放ち、思わず目を背けたくなるような黄色のような印象。

 そこにあるだけで満たされ、元気になれるようなもの。

「キレイだけど、純粋!」

 千秋はそう叫ぶ。こっちが恥ずかしくなるわ、と千秋は言った。顔がつい熱くなる。

 いやー、こんな恋してたら、一生無理だわー、と彼女は語った。

「私にはこの少年の気持ちが理解できないよ。思いを告げることはいつでもできるし、何回でも繰り返すことはできる。機会は一回じゃない。それに、時期を逃せば一生こない。」

「自分の魅力がないことを気づいて、承諾してくれないと分かっても?」

「やってみないと分からないさ。どんな状況でも。自分に魅力がないなんて思ってるのは自分だろ。そう決めつけるなよな。」

 そういうもん? と訊く。そういうもん、とかえってくる。

「小説って、作者のことを反映してるって聞くけど、ひょっとして…?」

 それはないよ、と私はあいまいに微笑んだ。だって、恋愛というものをしたことないのだから、恋愛をしているのかなんてことは分からない。

 私はもう一つだけ質問する。何故、千秋が幸樹と付き合うようになったのかを。

 千秋は、理由は一つ、と指を立てて言った。

「幸樹と話すのってなんだか他の奴と話すより話が合って弾んでさ。居てて楽しいんだよ。」

「それだけ?」

「それだけ。」

 付き合うのには、それだけで十分だ、と彼女は言った。



 空はもうすぐ暗くなる。私たちは急いで下駄箱の方へ行った。ふと靴に履き替えているときに、下駄箱から見られる長い廊下に目をやると、電球がまだ点いていなかった。暗く、血のように赤く染められた廊下が浮かび上がり気味が悪い。自然に、昨年の文化祭で二年生がやっていた肝試しの曰くとして、校舎での幽霊話を思い出してしまった。私はその手の話が大の苦手だった。

一階の教室は生徒が使っておらず、静けさが、私を余計に縛っていく。

 ポン、と肩を叩かれた。思わず私はビクッと背筋を立たせる。

「何してるの、早くいくよ?」

 千秋はそう言って、外灯に照らされ始め明るくなり始めた校舎の外へと私に背を向けた。その重そうなスポーツバックを背負う姿は大きくて、すぐ傍なのに私からして遠い。

 どうしても、追い付きそうになかった。

 中学校の時はすごい近く見えたのに。

 急に変わってしまった。前に出るようになって、以前より格段と明るくなった。


 何故?


「単純。」

 千秋は軽く言い放つ。ブンブン前後にバックを揺らしながら、帰路の上を踏みしめて。

「恋してるから、私。」

 やっぱ良い所見せたいし、見ててくれてるから何でも頑張りたいじゃん、と千秋は言う。

 私は戸惑った。私には分からないことだった。

「一年と半年間、だっけ?」

「おっ、もうそんな経つのか、幸樹と付き合って。いやぁ、毎日が幸せだったわ。」

 千秋は恥ずかしげもなく、本当に幸せそうに私の言葉に返答する。

「…まだ、トキメクものなの? 慣れてしまうんじゃないの?」

「トキメクさ。会うたびに新しい発見だよ。慣れてきたと言えば慣れてきた。お互いに気兼ねなくなって、それでも好きに変わりはないよ。たとえ会話の種がなくとも沈黙が心地いい。お互い多忙で会えなくても、短い間でどうなったのか気になってもどかしい。」

 私は段々恥ずかしくなってくる。千秋の真っすぐとした瞳が、私をじっと離さない。

「不安はないの?」

 私は訊く。あるよ、と千秋は答えた。

「いやっ、あったさの間違いかな? ―――毎日がやっぱ怖かった。本当に好きだからゆえに、いつ終わってしまうんじゃないかって。変わらないものは何もないからね。」

 スッ、と千秋が帰り道ではない公園に入って行った。私はすんなりとついていく。千秋の背中がだんだん近くに私には見えてきていた。

 月が、煌々と夜の都会の空に浮かび上がっている。

「長く続けたい、できればずっと、とひたすらいつも思ってた。」

「それで…?」

「あえて私は先を考えることをやめ、不安を切り捨てた。『今』を全力で楽しもう、と。全力で楽しんで、楽しめられれば結果はついてくるのだ、と。――いつの間にか一年半。」

「今でも、そんな心境なの?」

「ううん。長く付き合えば付き合うほど、不安は薄れた。ずっと一緒にいてくれると分かっていって、今は毎日が楽しくなったよ。ずっと続くと私は思っている。いや、心の底から確信している。―――『引き寄せの法則』ってしってる?」

「心の奥底でプラス的であると、プラスのものが引きつけられるっていう?」

「そうそう。―――だから、あの小説の少年も………沙良もプラスに考えてほしい、と私は思う。気持ちひとつで世界は変わるのだと私は言いたい。だからさ、」

 そう言い切って、突然千秋は私に抱きついた。スポーツバックが地面に落ちた音を、私は千秋の髪に埋もれながら感じ取る。柔らかい千秋の匂いが私を包み込む。


「―――だから、私は全然沙良と離れてなんかいないよ。」


 その言葉を言うために。先程までのことは全部前置きだったかのように。

 私は笑ってしまう。

 千秋が、私が毎日に不安がっていることを前から知っていたことを感じとる。

「普通に元気づけてよ、千秋。」

「普通に元気づけてたら抱きつけないじゃん、沙良。」


 千秋の温もりを感じながら、恋がしたい、と私は切実に思った。

 私は千秋のことが好きである。

恋ではないけれど、ずっと一緒にいたいと思える。いつか終わってしまうのではないか、と初めは思っていたかもしれない。いまではそれに慣れてしまって思っていたことを忘れてしまうほどだけど、それは決して飽きてしまったということではなく信頼した証。

きっと、今の千秋と幸樹の関係。


「幸樹のこと好き?」

「好き。」


 即答する千秋はカッコイイ。


「私のことは好き?」

「好きに決まってるじゃん。」



 今なら私も、自信を持って分かる。


 私は幸せ。そしてこれが青春だ。


一読頂き、誠にありがとうございました。至らぬところが多々あり、お見苦しい文章失礼します。

記憶が正しければ、高1の時に書いた短編かと

またなにか、小説を書きたいと思い、なろうに登録してみた次第になります。


今後ともよろしくおねがいします。

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