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さいはてのその先へ

 気がついたら、辺り一面水が張った、終わりのない空間にいた。海は浅く、それが延々と広がっているようだ。座っているはずなのに、お尻も足も濡れなくて思わず水をべしゃべしゃ叩いてみる。水は跳んだけどやっぱりからだ一つ濡れなくて、ここは何処なんだとさらに首を捻った。



 「おっ! 目覚めましたか、おはようございます」

「……ん?」

「名乗らせていただきます、天使です! あなたを吟味しに来ました!」

「……いや名乗ってないし、吟味ってどう言うことなんですか」

「あなたの願いが私たちにとってメリットなのか、調査しに来たんですよ」



 回らない頭のなかに突如甲高い声が聞こえて、一回思考回路は活動をやめた。まさか自分以外に人がいるとは思わなくて、声の主を隅々まで探してみる。



 「上ですよ、上~」

「あ、本当だ。いました」

「もぉ~その敬語とタメ語混ざった感じいらいらします! ではなくて、少し歩きながら話しませんか? 止まっていたってやることはないし、わたしからだ動かすの好きなんで!」

「なんで俺が天使の言うこと聞かなくちゃならないんですか? ……だるい」

「つべこべ言うなっ! 歩くよ!」



 天使に無理矢理手を引かれて、終わりのないこの空間を歩き始めた。つうか、ここは本当に何処なんだろう。天国なのかな、ここ。よく分からない。お腹もすかないし、喉も乾かない。体も疲れない。



 「あの、ここはどこなんですか」

「現世とあの世の狭間です」

「直球ですね。もっと濁して言うのかと思いました」

「なんで濁さないといけないんですか?」

「そんなの、焦ってしまう人が多いからですよ。焦るとまともに会話なんか出来ないですし」

「わたしが会ってきたのは、ここがどこなのか気づいている人が大半なのでご心配なく。あなたみたいな人のほうががイレギュラーです」

「へぇ……」

「質問は以上ですか? じゃあ、そろそろ吟味しても良いですか」

「いや意味がわからないんですけど」

「なんで分からないんですか? 自分のしたことを覚えていないんですか?」

「どういう意味ですか?」

「質問に質問で返さないでください。でも、わたし優しいので教えてあげます。ここに来るには、“あること”をしないといけないのです。そして、その“あること”を覚えているのが普通なんです。だから話はスムーズにいくのに。あなたはどうして覚えていないのでしょう」

「分かりません」



 んー、あること、ねえ。そんなの覚えていたら、こっちだってこんなに焦っていない。どうして、覚えていないの。思い出せ俺の頭! じゃないとこの天使とか言うやつ面倒くさい。全てを知っているような目にイライラする。感情が読めない。

 


 「その、俺がしたことを教えてくださいよ、思い出せないんだし」

「それはいけません!」

「何でですか」

「そうしたら、あなたはここから二度と出られなくなってしまいます」

「なんで」

「そういう決まりなのです、文句なら上層部に言ってください」



 なんだよ上層部って。ここ会社なの。俺拉致されたのかな。もしかして会社でやらかしてここに来たとか……? 取引でやらかしたのかなあ。やっべどうしよう怒られるコース待ったなしじゃん。最悪。

 いや、でも違うか。天使とかこの世とあの世の狭間とか訳の分からないこと言ってるから、ありえないか。



 「じゃあ無駄な時間は終わりにして、吟味させていただきますね」

「だから! 吟味って何なんですか!」

「……うるさいなあ。少し黙っていただけません? 忙しい中わざわざ来てやってるんですよ。何で覚えていないのかって、あなたの注意不足からではないのですか」



 何で俺が怒られなくてはいけないんだ。非常に腑に落ちない。黒い感情がたまって、爆発しそうになる。少しでも落ち着かせようと水をばしゃばしゃ蹴った。



 「じゃあ、まず。お名前は?」

「菅貞慶吾」

「年齢は?」

「……27」

「サラリーマンですか?」

「サラリーマンです」

「脱サラしたいとは?」

「思いません」

「ちなみに趣味は? ああ、あとなんのお仕事を?」

「小さい電気会社の営業やってます。趣味は人間観察」

「……ちゃんと答えていただけません?」

「趣味は……、特にありません」

「最初からそう答えてください。ちなみにここに来る前、何をやっていたか思い出せますか」

「……思い出せません」

「なるほど。承知しました」



 そこで天使は何やらを書き込んだ。どうやら俺の言った言葉を丁寧に書いているようだ。その間、自分はなぜここに来たかを考えてみる。どうしてなのか、まったく思い出せない。ざあざあとノイズ音が頭のなかに響いて、思い出すのを邪魔する。

 不意に、くらあっとめまいがして目の前が一瞬真っ暗になった。思わず膝をつく。その様子に天使がこちらに気づいた。



 「時間が少なそうですね。では、質問を急ぎましょうか。お付き合いされている方は?」

「……います」

「その方のお名前は?」



 それを質問されたとき、ひゅうっと喉が鳴った。いつもどおり、答えればいい。愛している彼女のことだ。さっさとほら、答えればいい。

 でもなぜか、思い出せなかった。さっきよりもめまいが強い。彼女のことを思い出そうとするほど、胸が苦しくなって息が出来ない。何でだろう。ここにある空気も、何もかもが気持ち悪く思えた。



 「……思い出せ、ません」

「はあ。分かりました。珍しいですね、本当。何となく分かりました。では最後の質問にします。あなたは現世に未練がありますか」



 未練。震える頭の中で、その言葉を繰り返す。未練。未練、ない。未練なんてない。そうだ、生きている意味なんてないと思ったんだ。だから、



 「ありません」

「……本当に?」



 そこではじめて、天使がまともに俺を見た。そして、はじめて俺に聞き返した。俺もはじめて天使をまともに見る。なんだか泣きそうな表情をしていて、少し呆けた。え、なに。なんなの。

 と思ったのは一瞬で、今の表情は幻かと言うほど無表情に戻った。いつもの絶対零度な目に鳴った。怖ぇ。



 「早く答えてください」

「未練なんて」



 ……本当はあるんじゃない?

 どこかで聞いたことあるような声が、ノイズ音で埋まっている頭のなかに響いた。未練って、なるほど、俺は死にかけているのか。死ぬのか。死ぬ、死ぬ。



 「あります、未練」


 

 気づいたら、そう答えていた。口が動いていた。ノイズ音は消えていた。頭のなかがクリアになったようだ。

 すると同時に、今までの記憶が舞い込んできた。何故自分はここに来たのか。何故死にかけていたのか。知っていた。本当は受け入れたくなかっただけの話で。話す義務が、ある。天使に話す義務が。



 「俺は! まだ生きたいです」

「どうしたのですか、急に」

「思い出しました。俺が何故ここに来たのか。何故――――死のうとしていたのか」

「お聞かせください」

「俺は8年付き合っている彼女がいました。名前は雨宮香織……、一個下の部活の後輩。でも、彼女は昨年病気で亡くなったんです。気づいてやれなかった、気づくことが出来なかったんです。もっと早期に見つけていれば、こんなことにはならなかったはずなんです。俺のせいでした。俺の……せいでした」

「……続けてください」



 初対面の人に何を言ってるんだろうと思った。でも、止まらない。ずっと抱えてきた思いを吐露するストッパーはもう壊れていた。



 「彼女には家族がいなかったから。全て俺のせいで……、でも彼女、まだそんな症状が強くないとき、言ったんです。あなたのせいじゃない、私は精一杯いきるから、楽しく過ごそうって。大好きだって……! そして亡くなったあと、手紙をもらいました。そこにはこう書いてありました……ありきたりかもしれないけれど、わたしの分まで生きてねって」

「はい」

「だから、俺は生きたいです。俺は未練があります。それは、彼女の分まで生きていないこと」

「……はい」

「それをずっと忘れていた。俺は、馬鹿なんです。死のうとしたんです、彼女のあとを追って。約束を、忘れていたんです。なんて大馬鹿者。でも、ここに来て思い出せた……あなたの、おかげですかね」



 やっぱり天使は何もかも知っているような目で俺を見つめた。そして、背中をばしんと叩いた。いたい。



「痛いんですが」

「吟味し終わりました。お疲れさまでした」

「……」

「あなたは現世に戻ってください。あの世にいくのはまだ早いです。べつに彼女さまに共感したわけではありません。あなたに同情したわけでもありません。あなたは自殺しようと言う罪を犯した。自分を殺すわけですからね、でも」



 天使はふわりと地面に着陸した。



 「生きてください。死んで地獄に行くよりも、あなたは生きているほうが地獄のような気がしました。彼女のいない世界を生きて罪を償ってください」

「はい」

「そしてもう、自殺未遂はしないでください。永遠にここに来ないでください。以上です。なにか質問はありますか」

「ここからどうやって出るのですか」

「ひたすら向こうの水平線まで走ってください。振り向いてはいけません。気がついたら現世に戻っているはずです」

「あと、あなたのお名前は」

「……秘密です。というより、天使に名前はありませんから。天使は天使です。質問は以上ですか」

「はい」

「そうですか。ではお別れです。ありがとうございました」



 天使は俺の頭を撫でて、握手をし、ご自慢であろう立派な羽で上へと飛び立っていった。こちらのありがとうと言う暇さえなく。

 俺は走った。水が跳ねる。それに構わず走った。もうすぐアラサーなのに、ここの場所は不思議だ、疲れない。



 走る、走るんだ。さいはてのその先へ。俺の生きる場所へと。止まらない。止まれない。もうだるくない。生きるのも。言うことを聞くのも。辛くない。

 さあ、生きよう。あなたの分まで。




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