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27日目-6

 大蛇様の忠告通り、一度始まった鬼灯の諍いはそう簡単に治まらないそうだ。

 傷つき倒れた大蛇様の介抱を慌てふためく下女に任せてしまうと、クチナは廊下へと逃れた。女神の言葉をクチナが伝えようとしたところで、聞いてくれる者などいない。女神を斬った罪人、悪鬼という言葉は瞬く間に広がり、大蛇様の傍に仕える下女が直々にその言葉を聞いたところで鎮火には相当な時間がかかった。

 その上、鎮火したところで皆の怒りは治まらない。

 孫を斬られたウワバミのように大切な家族を斬られた鬼灯は沢山いる。

 その怒りは元凶であるクチナに向けられ、女神の雛形としての責任を飽く迄も負わせるつもりでぶつけられてきた。その為、クチナはやはり蛇斬に頼らざるを得なかった。蛇斬が新たな苦痛を産むと分かっていても、その刃を同胞へと向け、呪いを祓う力のある大蛇様は万全でないと脅すしかなかった。


 いかに自分に憎しみを向けるとしても、もはや仲間を斬りたいと言う気持ちは毛頭ない。

 自分は赦された。大蛇様が赦してくれた。ネネと共に生き延びることを許してくれた。それならば何故、刃を進んで仲間に向ける事が出来るだろうか。脅しと防御のみで外を目指すクチナを、勇気ある鬼灯たちが阻もうと刀を取る。

 しかしそこへ、大蛇様の言っていた通りの迎えは現れた。

 ミズチとトグロ、そしてネネであった。


「クチナ! こっちだ!」


 切り開いた道を守りながら、ミズチが叫んだ。同時に、ネネと彼女を守るトグロとがクチナを迎えに走る。彼らが導く先は、光輝いている。クチナにはそう見えた。


「クチナ、大丈夫?」


 手を伸ばし触れてくるネネの感触を受け、クチナは再び泣き出しそうになった。


「大丈夫……ああ、ネネ。大丈夫だよ」


 その手を掴み返せば、ネネはふと首を傾げた。


「クチナ?」


 何かしらの違和感に戸惑うネネを抱きしめて、クチナは囁いた。


「大蛇様がわたし達をお許し下さった。混乱はすぐには治まらないだろうけれど、八花なりなんなり行けばいいと、そう仰った」

「……え?」


 ネネが目を丸くする。やがてクチナの言葉を遅れて理解し、その身体が震えはじめるその前に、トグロが口を挟んだ。


「お取り込み中、悪いのだけれど」


 駆けつけてきた敵方の若人仲間を稽古刀で牽制しながら、トグロはミズチのいる方をさして告げる。


「ウワバミ様みたいなのが来る前に、まずは御殿を離れましょう」

「話はゆっくりと船着き場で」


 ミズチが静かにそう言って、黒霧を消してしまった。トグロの持つ稽古刀だけが若人たちの動きを止めている。それでも、背後に不気味に控える筆頭の姿を気にして、誰も襲ってはこられなかった。

 じわじわと御殿を別の騒動が包みこんでいく。

 クチナが逃げ出した事よりもずっと大きくて恐ろしい事態に鬼灯達は気付いていった。許される者たちの殆どはある場所を目指して集まり、そうでない者たちの半数も安全な場所を求めて逃れていた。

 クチナたちを見つけて歯向かうのは、今やごく少数であった。怒りに満ちた鬼灯の牙が向けられ、その度にミズチやトグロの刃がそれを退ける。クチナは常にネネの手を握って、その様子を後ろから見守った。蛇斬は持っている。けれど、その毒でこれ以上、鬼灯を汚す事がないように、クチナは鞘から逃がさなかった。もう十分過ぎるほど鬼灯は汚されてしまっている。最大の穢れをもたらしてしまっている。


 結局、御殿を離れるのは恐ろしく簡単な事となった。

 目指すは船着き場のみ。


「……大蛇様が?」


 その道中、ネネはそっとクチナに訊ねた。


「間違いなく大蛇様が、わたし達をお許し下さったの?」


 確認するようなその声に頷くと、ネネは感嘆の声を漏らした。クチナの手より僅かにだがその気が流れ込んでいく。

 震えるネネに身を寄せて、クチナは言った。


「もう君を殺さなくていい。一緒に八花に行ってもいいって」

「ああ、クチナ」


 涙をぼろぼろと流すネネの手を指で撫でながら、クチナは続けた。


「鬼灯は多分、変わるのだと思う。混乱が治まるまで、大蛇様を信じて八花か何処かで待とう。二人で生きていける場所で、思い描いたように――」

「嬉しい……嬉しい」


 泣き出すネネを心配し、トグロがやや振り返った。

 彼の眼差しに笑みを返してから、クチナはそっとネネの頭を優しく撫でた。かける言葉が思いつかない。だが、無言の抱擁にネネは縋りついてきた。言葉なんていらない。これでいいのかもしれない。クチナはぼんやりと考えながら、しばし立ち止まってネネの心を慰めた。生じるのは静かな感動。騒動は治まっていなくとも、その大半は落ち着いてしまったかのようだった。


「ネネ」


 ミズチたちがそっと見守る中、クチナは少しずつ心を落ち着けていくネネに囁いた。


「わたしについて来てくれる?」


 目を合わせ、真正面から訊ねるクチナ。その顔をネネはじっと見つめ返してきた。物珍しい赤毛がそよ風に誘われて揺れている。野の蛇に喰われる小動物のような円らな瞳は、クチナの持つアヤカシの目を恐れずに見つめていた。

 やがて、ネネは涙を引っ込めると、眩い太陽のように輝く笑みを柔らかに浮かべると、優しい動きで頷いたのだった。


「勿論」


 クチナの両手を握りしめ、ネネは答えた。


「何度でも言うわ。わたしを……わたしを八花に連れていって」


 攫い、攫われる関係でももうないのだ。クチナはその事実を噛みしめた。


 蛇斬が勝ち取ってくれた未来への道のり。もはや殆ど切り開かれているその道を踏み外すことなく進むためには、あともう少しだけ頑張らなくてはならない。

 待っているのは絶望ではないだろう。辛いという状況はもはや過去のものとなったのだから。

 クチナはそう信じ、ネネの手を握り返して引っ張った。待たせていた姉や仲間の後に続き、混乱から逃れるべく再び歩み始める。

 向かうは船着き場。

 待ち望んだ船出の時が、そこで待っている。

 夜明けの訪れと共に。

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