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27日目-4

 敵方がどのくらい傷ついたのか、そして味方がどのくらい傷ついているのか、クチナには分からないままだった。

 把握している事は、一番目が無事でネネの傍に居てくれていることと、ミズチが辛うじて大した怪我も負わずに耐えていたことだけ。他の仲間達が何処で何をしているのか、クチナには分からなかった。分かろうとする暇もなかった。

 蛇斬を手に突っ込んだ先では、ウワバミと三番目とが目を真っ赤にさせて待ちかまえている。息が切れかかっている姉ミズチの傍へと駆けよるも、相手をする二人の男はどちらも余裕の笑みを浮かべるばかりであった。


「蛇斬は確かに厄介」


 三番目が言った。


「だが、使うのが娘っ子となれば話は別」


 舐めた態度だが、怒りを感じるほどの自信もクチナにはなかった。彼の言う通り、実力は足らない。蛇斬の魔性に頼るしかないのだ。八番目マムシを倒せたのは奇跡。六番目を倒したのは姉の不意打ち、二番目を倒したのは二人掛かりであったからだ。二対二のこの状況では、ミズチのせめてもの助力になることしかできないだろう。


 ――それでもいないよりはましのはず。


 クチナは誇りを持って剣を構えた。


「姉さん」


 隣に立つ姉に声をかけるも、反応は薄い。その目は赤く、ウワバミと三番目の姿から放せぬままであるようだ。ミズチの持つ黒霧もまた、歪みが生じていた。


「姉さん……」

「頼りない姿を見せてすまないな、クチナ。お前の手を借りずとも、老いぼれ一人くらいならば持って行きたいところだったが、どうもそう甘くはないらしい」


 汗の滴るその身体がふらりと揺れたような気がして、クチナは慌ててその身を支えようとした。だが、それを拒んでミズチは言った。


「戦いの最中において、敵の動きから目を離すんじゃない。ジャバラ先生がいつも仰っていただろう? 気を抜くな、クチナ」

「ごちゃごちゃとお喋りな女だ。雑談ならば御殿の地下でして貰おうか」


 三番目がそう吠えて真っ先に走り出す、と同時に、ミズチもまた震えた身体を制して動きだした。遅れてクチナもどうにかそれに続いた。黒霧同士が激しくぶつかる奇妙な音が鼓膜を揺らす。ミズチの攻撃に少し遅らせて、クチナはクチナで三番目を狙った。

 相手は二人。しかし、一人ずつ潰さねば勝てない事は分かっていた。ウワバミは衰え知らずであるが、さすがに現役の八人衆と比べればやや動きは鈍い。ならば、真っ先に相手をすべきは三番目の方であろう。ウワバミは黙って無視されるような男ではないが、クチナは徹底して三番目のみを相手にした。姉ミズチも同じようだ。考えはほぼ同じであるのだろうとクチナは判断した。


「俺を無視するか。生意気な小娘ども!」


 ウワバミが怒り狂い、黒霧に力を込める。その燃えるような感情に共鳴して、刀身が松明のように揺らめいている。斬られればただじゃすまない。それでも、姉ミズチは三番目のみに黒霧を向け、ウワバミの攻撃は全て避けて相手にしなかった。クチナもそれに倣って恐れを捨て、三番目のみを相手にした。

 焦りを見せ始めたのは三番目であった。二対二でありながら執拗に狙われ、その上、片方は鬼灯にも多大な痛手となる蛇斬ときた。実力に伴う自信と余裕はいつの間にか体力と共に消耗していき、気付けばクチナの攻撃を避ける事ばかりを考えるようになっている。それを受けてウワバミが言った。


「焦るな、若造! 冷静になれ!」


 そして燃えたぎる炎のような黒霧でミズチを襲う。クチナは気付いた。ウワバミも同じだ。先程からミズチばかりを狙っている。三番目もそうであっただろうか。だが、蛇斬を向けられた怯えからか、彼のとる行動は防御姿勢ばかりとなっていた。

 クチナが蛇斬を持つ以上、そしてその蛇斬への恐れを一度でも抱いてしまった以上、もはや立て直すことは不可能に近いものなのかもしれない。そのくらい、三番目の動きは八人衆とは思えぬほど無様なものであった。

 程なくして、勝機は訪れた。


「ぐっ……」


 くぐもった呻き声が上がると共に、三番目の両膝がついに地面へとついた。ミズチの黒霧が身体を斬り裂いたのだ。そこへクチナの蛇斬が襲いかかる。ミズチは止めもしなかった。ウワバミも間に合いそうにない。大の男の怯えた目を受けつつも、クチナ自身も自分の動きを止める事は不可能だった。


「ぐっ……うわぁああっ」


 斬った瞬間、三番目は叫んだ。

 黒霧で斬り伏せられた者ならばあげぬ悲鳴だ。なまじ傷が浅いせいか、八番目の時よりも痛がっているような気がして、クチナはそのまま惚けてしまった。


「なんてこと……姫御ともあろう御方が蛇斬で同胞を斬るとは……おぞましい」


 ウワバミまでもが青ざめた顔で、痛がっている三番目を見つめている。三番目は弱った獣が鳴くような吐息と汗を流しながら、その場に転がりこんでいた。異様に苦しむそのさまを目の当たりにして恐れるクチナを、背後よりミズチが支えた。


「あまり見るんじゃない」


 耳元で姉は囁いた。


「今は此処から離れるぞ」


 どうにか頷いて共に去ろうとするクチナとミズチに対し、ウワバミは叫んだ。


「待て。俺がまだ残っておるぞ!」

「相手にするな。これ以上、時間を稼がれては怖い」


 ミズチは呼びかけながら逃げ始める。クチナもそれに倣って走りだした。ウワバミは追いかける気でいる。相手は老人。全力で逃げれば逃げられぬと言う事はないだろう。

 けれど、そんなクチナの思惑を否定するかのように、ウワバミはまだまだ体力を温存していた。先に走るミズチとクチナの間に割って入り、刃にモノを言わせてクチナだけを引き離そうとかかったのだ。


「クチナ!」


 慌てて引き返そうとするミズチだったが、焦りが強まったのだろうか。振り向きざまに奇襲をしかけたウワバミの黒霧は、無駄なく、美しく、ミズチの身体を捕えてしまった。


「姉さん!」


 クチナが叫んだとほぼ同時に、ミズチの短い悲鳴が上がった。手加減はしたのだろう。首を刎ねられるということも、心臓を突き破られるということもなかった。それでも、一度地面についた手はなかなか離せそうにない。一気に青ざめていく姉の顔色が目に飛び込んで来て気が気でなくなったのも束の間、ウワバミはあっさりとミズチの相手をやめて、クチナ一人へと迫って行った。


「くっ……くそ、よくも姉さんを!」

「おあいこですぞ、クチナ様。そちらも二人掛かりで俺の後釜をあのように苦しめたのだ。あとは二人きりで勝敗を決めるのみということかな」


 いやらしく笑うウワバミを前に、クチナは呻いた。

 味方が助太刀してくれるのを期待できそうになかった。皆、動けないのか、誰かしらの相手をしているのか、傍に居ないのだ。一番目もまた少し離れた位置でネネを守っている。オニやまだ動ける若人などを相手に、警戒したままだった。


 ――いや、助太刀などあてにしてはだめ。


「負けるものか!」


 蛇斬を震わせてクチナは叫んだ。


「ここで負けるわけにはいかない。姉さんを傷つけた罰を受けてもらうぞ、ウワバミ!」


 そうして、一対一の戦いは始まった。

 ウワバミは元気そうに見えるが、ミズチとの戦いで疲れをためているはず。いくら鬼灯でも歳には敵わない。怒りが彼を動かしているだけで、身体は限界を向けているだろう。しかし、クチナもまた十五の少女にしては動き過ぎた。何もかもが有利と言うわけではなく、剣術の腕では明らかに不利であった。


 ――だからって、諦められるか。


 クチナは強く思った。

 敵わぬ相手が立ちはだかったからと言って、抗うのを諦めれば未来は閉ざされてしまう。死によって狭い大蛇様の夢幻の檻に囚われ、百年ものあいだ次の少女の訪れを待ちながらネネと二人、偽りの世界でおよそ幸せとは言えない生活を送る。その未来は、クチナがネネと共に逃げながら抱いた八花への憧れとは程遠く、非常に暗いものであった。


 ――諦めるか。わたしはネネと……ネネと一緒に……。


 現実は非情なもの。お互い不利であっても、僅かな差で優劣は決まる。その優劣は明らかに勝敗へと繋がっていた。優勢なのはウワバミ。一番目が来るより前と同じ状況が造りあげられようとしていた。


 ――このままでは……。


 刃と刃がぶつかる度に増していく疲労と共に、クチナの心には焦りと恐怖、そして絶望が顔を覗かせ始めていた。

 そこへ、姉の声はあがったのだ。


「クチナ……」


 痛みを堪えるような声。立って動くことの出来ぬ傷を堪えている声。ミズチは声のみで背後よりクチナの背中を押そうとしていた。


「お前の成長を……見せてくれ……戦いが終わるのを、母さんが待っているから……」


 ――母さん。


 その瞬間、クチナの身体に異様なほど力が宿った。

 一番目が帰ってきたのだ。その意味を忘れていたわけではない。だが、自覚すればするほど、クチナの手には力が宿った。


「ウワバミ……覚悟ぉっ!」


 泣き叫ぶような怒声と共に、クチナはウワバミへと迫った。蛇斬に斬られればただではすまない。その恐怖を感じないわけではないだろう。それでも、ウワバミはウワバミで動じる様子もなく正面から立ち向かった。

 一瞬の攻防。お互いに大した防御は出来なかった。蛇斬に伝わる強い衝撃と、身体に加わる強い衝撃の二つに討ち震えながら、クチナは痺れを感じつつもどうにか立っていた。


 ――母さんが……待っている……。


 先に倒れたのはウワバミであった。

 だが、意地でどうにか長く立つ事が出来ただけで、クチナもまたすぐに倒れてしまった。冷たい地面の感触を肌で味わいながら、クチナはどうにか動く眼で周囲を見ようとした。何処かに実母がいる。探し当てたいという願望は切羽詰まった意識の中で増大し、傷の痛みすらクチナに忘れさせていた。


「クチナっ!」


 そこへ駆け寄るのは愛おしいネネの声。赤い衣と髪の色が辛うじて分かる程度だった。


「クチナ、しっかりして、こっちよ! あなたのお母さんがそこに――」


 ネネがそこまで言ったその時だった。

 空気を揺らす不快な笑い声。低く、とても低く、クチナの傍で響き渡った。地面をごっそりと削って這い上がる影が視界の端で見えた。駆け寄っていたネネが驚いて立ち止まる。息を詰まらせたのは、離れた位置で膝をついたままの姉ミズチも同じだった。

 笑っているのはウワバミ。蛇斬に斬られていながら、彼は身を起こしていた。


「……なるほど、これは痛い。痛くてたまらぬ。だが、残念でしたな、クチナ様よ。このような呪い、大蛇様に心より使える忠臣の俺には……効かぬ……」


 きっと意地であったのだろう。立ち上がって見せるウワバミの姿に、クチナは震えた。


 ――化け物なのか、こいつは……。


 震えるクチナのすぐ傍へとふらつきながらウワバミは近寄った。

 誰も間に合わない。

 絶望だけが後には残った。


「さあ……帰りましょうぞ」


 炎のように揺らめく黒霧の色が、クチナの視界を覆っていた。


「大蛇様のもとへと!」


 クチナの脳裏に焼き付くのは、ウワバミの真っ赤に染まった毒々しい色の眼光。そして、遅れて訪れたのは、意識を手放したくなるような痛みであった。

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