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27日目-3

 大蛇様が黒の少女に蛇斬を早いうちから渡すのは、いずれは自分がその身体で蛇斬を使うからだとクチナは聞かされている。

 剣術の師であったジャバラは、教えの一つ一つが鬼灯の未来を左右するのだと毎回クチナに話していた。そして今、剣術を授けたジャバラも、授かったクチナも、別の意味で鬼灯を騒がせている。

 ウワバミは手強い。屈強な八人衆が力で女に負けるはずもない。自らの力でその座を手に入れ、鬼灯の為に奔走してきた彼が、十五の少女に負けるはずないだろう。だが、クチナが教わったのは大蛇様の剣術。そして、大蛇様の神刀。ただの妖刀でも剣術でもないものを武器にすれば、怖くはなかった。


 蛇斬は邪を斬る刀。大地を荒らしていた怪蛇を斬りったほどの宝刀。大蛇様こそ斬れなかったが、クチナを主人と認めてくれる限り、黒霧以上の力を持つ刀であることは紛れもない事実だった。

 だが、クチナは忘れてはいない。かつてウワバミの孫マムシは単なる名刀で、黒霧を使う兄ニシキの命を奪ってしまったのだ。実力を前にすれば、いかなる条件も覆るものだ。この戦いも、どちらに転んでいくのかクチナにはまったく分からなかった。


「さすがは黒の少女。十五の娘にしてはなかなかいい動きだ。だが、クチナ様、そろそろ御止めになってはいかがかな?」


 ウワバミの言葉に返事も出来ぬまま、クチナは攻撃を続けた。力比べとなれば負けるのは確実だ。クチナに出来るのは隙を窺う事。何度も押しては距離をとり、翻弄して掠り傷の一つでも負わせようと努めた。傷も増えれば負担になろう。少しは有利に事が運ぶはず。だが、刃を向けあってやや経っても、お互いに傷一つ負わせることは出来なかった。

 大きく溜めた斬り払いを避けて、クチナは更に距離を取った。オニたちの円陣は崩れそうにない。崩そうと動けば、もれなく背後よりウワバミの黒霧が襲いかかって来るだろう。


「クチナ……」


 オニの手の届かない位置で、ネネは佇んでいる。巻き込まぬようにと気を配るのも、クチナには負担となっていた。


 ――せめて、ネネだけでも此処から逃がせたら……。


 蛇斬を構えなおし、クチナは走った。ウワバミは一歩も動かずにじっと見つめている。そして蛇斬の白刃がウワバミの腹めがけて襲いかかる直前で、黒霧にてそれを受け止めた。もっとも避けるべき力比べの始まりだった。


「威勢の良さはまるで毒蛇」


 ウワバミは蛇斬を受け止めながら言った。


「大蛇様の器に相応しい勇ましさ」


 その目が徐々に赤く染まっていくのを見て、クチナは焦った。そう、まだウワバミは妖力の殆どを出してはいないのだ。


「だが、クチナ様。いかにあなたが尊くとも、俺はあなたを恨んでおるのです。マムシをその刃で斬ってしまったあなたは、相応の罰を受けなくてはならぬだろう。生憎、大蛇様は私刑を御止にならないときた。さあ、クチナ様っ!」


 ウワバミが叫ぶと同時にクチナを押し返す。

 あわや転倒しそうになるところを上手く着地し、そのまま勘を頼りに飛び退けば、地面をごっそりとウワバミの持つ黒霧が掘り返していった。飛び上がる土塊を見つめながら、クチナは寒気を感じた。黒の少女が耐えられる限界まで斬りつけてくるつもりなのだろう。更に赤く染まっていくウワバミの目が、クチナの動きを見つめている。


「大蛇様は仰せになった」


 黒霧を手にクチナへと迫りながらウワバミは言った。


「黒の少女は生まれ変わり。だが、今世の少女は暴れ馬のよう。いかなる圧力も物ともせぬなら分かるまで痛めつけるのみ。五体が千切れぬ限り、器は駄目にならず。首が飛ばぬ限り、黒の少女は死ぬ事もない。思うままにせよとこの俺に御許しを下さった」


 力任せに黒霧を振り、クチナを狙う。その動きは元八人衆とは思えないほど荒々しく、感情的なものであった。理性を失うことは八人衆であっても恐ろしいこと。だが、ウワバミは恐れる様子もなかった。


「あなた様のお命は、大蛇様のもの!」


 怒りがそうさせているのだろう。獣のように吠えながら、ウワバミは追撃を重ねた。

 ウワバミの怒りは孫を斬られたことによるもの。だが、それだけではないのかもしれない。彼は恐れている。クチナとネネの抵抗、そしてそれに賛同する勢力が勝つことを恐れているようだ。それは阻む者全てが同じ。彼らにとって大蛇様によって長く執り行われてきた伝統は、鬼灯や蛇穴を守り、子々孫々の暮らしを守る上で大事だと本気で思っているのだろう。その為には、クチナとネネの未来は阻まなければならないのだろう。


 ――そんな事、納得出来るか。


 クチナは言葉にならぬ声で叫んだ。


 蛇斬はクチナに同調している。大蛇様こそ斬れなかったが、ウワバミのことは敵として見ているようだ。主人に牙を剥くものの血を欲しがり、まるで悪霊のように呻いている。その感覚を肌で感じながら、クチナは襲いかかって来るウワバミの懐へと潜り込むように突っ込んでいった。


 剣の音そのものに力でもあるように、刃と刃がぶつかった瞬間、クチナの少女らしい細い身体には強過ぎる衝撃が生まれた。クチナの目は既に真っ赤だった。黒の少女として持って生まれた能力は鬼灯の少女に少し毛が生えた程度のものだと分かってはいた。それ以外はほぼ蛇斬の恩恵で成り立ち、そうしてやっと強敵にも立ち向かえる。しかし、クチナは信じていた。何よりも怖い事は気持ちが折れてしまうことだ。首だけになっても噛みつく化蛇のように、最期まで諦めることなく抵抗しなければと思っていた。

 ウワバミも思うところだろう。クチナがなかなか諦めずに歯向かうことにちっとも恐れず、いつまでも相手をしてやろうかと言わんばかりに手を緩めない。

 耐えられそうにないのは、ネネの方であるようだ。

 戦いが長引けば長引くほど、クチナはネネがいま何処に居るのか、その位置と状況が気になった。オニ達はまだ取り囲んでいる。隙を見てネネに手を伸ばす事など簡単な事だろう。あまり長く放っておくわけにはいかない。


「クチナ! 持ちこたえろ!」


 諦めずとも焦りだけは強まっていくちょうどその時だった。円陣の向こうから声が響いた。遠くで筆頭代理を相手にしていたミズチの声だ。次第に近づいて来ていると言う事は、あの包囲を制したのだろう。


「こちらにも援軍が来たぞ。五番目はもはや戦えぬ! 四番目はこちらに下った! ウワバミ、妹を放せ!」


 援軍。その言葉にウワバミがはっとした。

 強過ぎる妖気が辺りに漂っている。訪れたのはウワバミよりも強い鬼灯の男。クチナの母を迎えに行った一番目のものであった。


 ――ああ一番目様、無事だったんだ。


 それはつまり、母も近くにいるということだろうか。


「奴め……我らが女神に仇なすとは」


 ウワバミは円陣の向こうで黒霧を構える彼の姿を見て、恨めしそうに言った。よそ見をしながらもその力は凄まじく、クチナに有利となる様子は全くない。だが、ウワバミの優勢もそこまでであった。


「斬られたくなければ退け、妹達!」


 ミズチの怒声がオニ達を蹴散らした。円陣が崩れるやいなや、ウワバミの怒声が飛ぶ。


「何をやっている、お前達!」


 だが、時すでに遅し。ミズチはネネの元へと寄ると、さらに黒霧の威圧でオニたちの接近を許すことなく、そのままウワバミを睨みつけた。


「さあ、御老体。妹より離れて貰おうか。ナバリとなり、長老入りも確実とされるあなたに刃を向けるのは気が重い。出来る事ならば、穏便にこの場を譲ってもらいたいところ」


 冷静であるが激しい闘志が含まれている。しかし、クチナはその姉の姿を振り返る事が出来なかった。ウワバミの力はちっとも治まることなく、その表情にも全く諦めが感じられないのだ。


「姉さん、ネネを連れて逃げて!」


 ウワバミの力に対して懸命に抵抗しながら、クチナはどうにかそう言った。戦う事に精一杯で頭が回らなかった。

 けれど、その苦しみすらも長くは続かなかった。急に身体を抑え込む力が弱くなったかと思えば、ウワバミが老体とは思えない切れのいい動きでその場を飛び退いたのだ。直後、いつの間にか接近していたミズチの刃が虚しく空を斬り、その手がクチナの身体を後ろへと突き飛ばした。急に飛ばされたものの何とか着地すれば、オニの一人がネネに接近しているのが見えた。蛇斬を手に威嚇すれば、慌てて離れていく。円陣はもはや殆ど崩れていた。中には背を向けて逃亡している敵方の鬼灯もいた。

 残るオニや若人たちもまた、クチナに味方する者たちの相手に追われていた。今、傍に居るのはたった三名のオニだけ。彼女らを睨みつけながら、クチナは蛇斬を構えつつネネの傍に寄った。


「クチナ……大丈夫?」


 耳元でネネが囁く。


「……うん。ネネは怪我していない?」

「大丈夫」


 短くもしっかりとしたその受け答えに安堵していると、一番目の怒声が響いた。


「ネネ様、クチナ様! どうか御返事を!」


 返事をする代わりに別の誰かが二人の居場所を告げる。トグロだろうか。別の少年だろうか。ともあれ、その声を頼りに一番目が近づいて来ると、オニたちはいよいよたじろぎ始めた。

 八人衆というものは実力でなるもの。その順位は活躍ぶりや稽古の様子、そして決闘によって大蛇様や長老たちが決めるものであった。一番目は長らく一番目の地位にいる。それだけの実力があるということであり、鬼灯の中でも相当の力があるということだ。そんな者を相手にするのがどれほど恐ろしいことなのか、子供ならばまだしもオニである鬼灯の女たちには分からないはずもないことだった。

 それでも、ミズチと戦うウワバミは恐れるオニたちを叱咤した。


「何をしておる女ども! それでもオニの端くれか! 恐れずにかかれ!」


 激しく吠えながらミズチの命を奪うかと言うほど手加減しらずな攻撃を繰り出している。そんなウワバミのように振る舞えるものは此処にはいないようだ。オニたちは一番目から視線を外す事もできずにゆっくりと後退していった。


「それでいい、お嬢さんがた」


 一番目は笑みながらそう言った。


「みすみす命を落とす事もあるまい。己の力を知り、相手の力を見据え、時には戦いを避けることで生き延びるということも犬死よりはずっと賢い事。下がるがいい。この状況を大蛇様へ伝えるのもお前たちの役目であろう?」


 オニ達は迷っていた。だが一番目に牙を剥くものは一人もいない。もはやこの場は制したようなものだ。あとはミズチの相手するウワバミを黙らせるのみ。


「腰ぬけのオニどもめ、頭を潰された途端にそれか。それでも鬼灯か!」


 ウワバミがオニに向かって恨めしく吠えた。


「誰か残っておらぬのか! 誰でもいい。若人だろうが見習い子だろうが、加勢せえ!」


 その時だった。答えるようにウワバミに加勢するものが現れた。たった一人で戦うミズチに黒霧をむけて、その身体に斬り込もうとする男。三番目であった。


「ウワバミ様、御怪我はありませんか?」

「生きておったか、後釜よ。なに、傷一つ負ってはおらぬ。――だが」


 目を光らせて、彼はミズチを睨んだ。


「大蛇様の為にも、目の前のこの女だけでもせめて戦えぬ身体にしてやらねばならぬな」


 ミズチ一人を取り囲む。逃れる道は作らないつもりらしい。状況が変わった。優勢なのはクチナ達のほうだが、姉が危険にさらされている。その光景を見るなり、クチナは一番目に向かって言った。


「ネネをお願いします!」


 呼びとめられるも身体は既に動いていた。

 ミズチ一人でも逃れる事は出来るかもしれない。そうは思っても、力の殆ど衰えない元八人衆と現役の八人衆の二人がかりではいかに筆頭とされた姉であっても厳しいと即座に分かったためだった。


 ――お願い、蛇斬!


 クチナは愛刀に念じた。


 ――どうか、わたしに力を貸して!


 その想いがどれほど通じているのだろうか。分からぬまま、クチナはウワバミたちへと斬り込んでいった。

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