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26日目‐6

 何が起こったのかクチナは分からなかった。

 ただ、手ごたえはあった。強い手ごたえがクチナの両手から傷口までへと響き渡り、痛みと蟲達のざわめきが生じた。

 蛇斬は確かに輝き、強い金木犀の香りと共に大蛇様を襲ったのだ。

 手ごたえはあった。確かにあった。

 だが、流れ出している血はクチナのものだけであった。


「……どうして」


 クチナの目の前で大蛇様は表情を殺す。目は真っ赤に染まったまま。燃えるような色をしていながら、どんな冷水よりも冷たくみえる。クチナを睨みつけ、その手でゆっくりと蛇斬の刃を握りしめた。


「無駄だと言っただろう、クチナ」


 貫かれたその刀身を手で引き抜き、大蛇様は冷静に告げた。


「その刃で妾を斬るなど不可能。蛇斬は主人の魂に逆らわぬ。お前が主人であるということは、妾も同じ。お前と妾は一つなのだからのう」

「くっ!」


 動揺を隠せぬまま、クチナは大蛇様の身体から力ずくで離れた。

 大蛇様の目の色や表情は全く変わらない。一対一で負けるなどと全く思っていないそのわけがクチナにもようやく分かった。


 ――蛇斬が通用しない? そんな馬鹿な。


(蛇斬は怪蛇を討つ剣。神蛇は貫けない)


 冷たい声がクチナの頭の中で響く。


(大蛇様に逆らうあなたがむしろ斬られるべき怪蛇)


 ――惑わされては駄目。


 自分に言い聞かせ、クチナは再び動いた。

 切れぬならばどうすればいいか。クチナは素早く判断した。

 大蛇様は静観している。逃がすつもりは毛頭ないだろう。この部屋はもとより取り囲まれている。敵のこなかった場所より大蛇様に従う同胞が駆けつけるまでさほど時間もかからないはずだ。

 それでも、クチナは動いた。大蛇様に斬りかかりはせずに、まっすぐ縛られて囚われているネネの元へと逃れ、その紐を斬り捨てた。解放されたネネを起こしあげると同時に、大蛇様が音もなく迫る。


「クチナ!」


 ネネの悲鳴染みた声に反応し、クチナはその斬り込みを受け止めた。鍔迫つばぜり合いは不利だ。少女の体では大人の女にすら敵わない。況してやそれが女神となれば尚更の事。再び組み敷かれてしまうのは嫌だった。


「くそっ、離れろっ!」


 吠えながら蹴りを入れようとするも、大蛇様には全く効かない。

 蛇斬すら効かない以上、戦いは無意味だ。


「ネネ、逃げて! すぐに追いかけるから!」

「で、でも……」

「いいから早くっ!」


 必死に叫び、踏みとどまるクチナを見つめ、ネネはその背にそっと手を触れた。即座にネネの気がクチナの身体に宿る。


(やめて……)


 蟲たちが拒絶反応を起こして先代の声でざわめいた。痛みと苦しみと共に力が沸いてくる。混乱と興奮の狭間で目を赤く染めながら、クチナは大蛇様を睨みながら押し返していく。傷口から血が流れ出しているような気がしたが、不思議と立っていることが出来た。

 ネネは逃げずに気を与え続けている。クチナが勝てるように願いを込めているのだろう。その温もりに支えられながら、クチナは猛々しく自分を叱った。


 ――しっかりしなきゃ。


「負けるものか……!」


 その言葉が引き金となり、クチナの魂を揺さぶった。大蛇様のもとへ返りたいという無意識の願いは跳ね除けられ、拒否と独立心が勝った。力は蛇斬を持つ両腕に伝わり、やがては大蛇様の身体を抑える全身を駆け廻った。

 怒声と共にクチナは大蛇様の身体を突き飛ばした。

 少女のものとは思えないその力に不意をつかれた大蛇様は、そのままよろけて離れてしまった。それを見て素早くクチナはネネと共に後ろへと下がった。

 ちょうどその時、座敷の扉は開かれた。荒々しいその音に怯んだクチナとネネだったが、現れたその者の顔を見てすぐに警戒心は解かれた。


「クチナ様、ネネ様!」


 二人の姿を見て駆けこむのは、トグロとリンの兄妹であった。稽古の為の刀を手に勇猛にも大蛇様を警戒しながら、二人はクチナ達の前へと飛び出した。


「大蛇様。どうか無礼をお許しください」


 トグロが冷静にそう言った。


「けれど、これは俺達の意思です。強制されたわけじゃない」

「蛇穴の為に心身を病んでいくあなたの姿はわたし達からも見ていられないのです。百年前も同じだったと諭されても、納得がいかないのです」


 人の作りだした名刀などが女神の持つ神刀に敵う訳がない。

 それでも、子供たちに刃を向けられた大蛇様は立ち止まったままトグロとリンの様子を眺めていた。目は赤く、表情は怒りに満ちている。だが、神刀を向けることはなかった。


「向こう見ずで生意気な我が子らよ。納得が行かずともこれは掟。妾の命令に背くとならば、里には置いておけぬ。妾には分かるぞ。八人衆、筆頭、筆頭代理、ナバリ、オニ、下男下女、見習い子に若人ども。立場が何処にあろうと、妾に従わぬ者の名前と顔はしっかり見抜いておる。だが皆、哀れなものよ。そこにいるクチナに惑わされているだけのこと。全てが終わったらお前たちは後悔することになるぞ」


 静かなその脅しに関わらず、トグロとリンは躊躇うこともなかった。

 そして間もなく、トグロ達の姉ジャノメが駆けつけた。名刀を構え、クチナ達に目で合図する。トグロとリンと共に撤退しながら、ジャノメは大蛇様を見つめていた。大蛇様もジャノメを見つめている。その表情から怒りは薄れ、呆れのようなものが浮かんでいた。


「愚かなものよ」


 大蛇様の言葉にジャノメは静かに頭を下げた。


「大蛇様。あなた様にはずっと憧れておりました」


 クチナ達が逃れきるのを待って、ジャノメは言い残した。


「これからもきっとそれだけは変わらないでしょう」

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