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26日目‐4

 勝敗が決するのにさほど時間はかからなかった。

 二番目は心の何処かで分かっていたのだろう。クチナの蛇斬とミズチの黒霧が彼を捕えた時、その表情は意外そうでも何でもなかった。覚悟を決めたように唇を噛み、斬りつけられてからは、痛みを堪えながら呪詛の言葉をミズチにだけ向けていた。先に斬られた六番目ともども、もはや追いかけることなど出来ない。戦いには勝ったのだ。だが、その勝利を素直に味わっている暇などクチナにはなかった。


「姉さん……」

「分かっている。ネネ様を取り戻しに行くぞ」


 梯子を上がりながら、クチナは不安と期待の両方を感じていた。

 ミズチは完全に味方をしてくれる。心強いのが有り難い。だが、ネネは連れていかれてしまった。大蛇様の元にいるのならば、酷いことをされていないか不安だった。


「ネネ……」


 思わずつぶやくクチナに対し、ミズチは何も言わずに先導した。

 体の調子は戻っているらしい。ネネの力によるものだろうか。その功労者がいないことを悔しく思いながら、クチナも共に祭殿を出た。

 そこで、クチナもミズチも思わず身構えた。誰かがこちらを見ている気配がしたからだ。しかし、警戒もつかの間のこと、現れたのはトグロとリンであった。ふたりは周囲を見渡してから、音もなくクチナたちへと近寄って来た。


「御無事で何よりです、姉様方」


 小声でリンがそう言った。

 クチナは頷きつつも、苦い表情で返した。


「ネネが攫われた。姿を見なかった?」

「三番目様のお姿を見ました。すみません、俺たちにはとても……」

「仕方ない。きっと大蛇様の元へ行ったんだ。早く助けてあげないと……」

「大蛇様の傍には他にも側近がいます」

「きっと二番目様方が負けることも考慮してらしたのでしょう」


 トグロとリンが交互に言うと、ミズチがそっと二人に視線を合わせて訊ねた。


「大蛇様の傍には誰がいた? 具体的に教えてくれるか」

「筆頭代理の姉様方、それに、残った若人たちやまだ力の衰えぬナバリ、長老方で周辺を固めているみたいです」

「集められるだけの者か」


 そう言ってミズチは、今はすっかり赤みを失った目で本殿のある方角を見つめる。

 そんな彼女にトグロは囁いた。


「中には蟲にやられている人もいます。正面で蛇斬を見せつけたところで彼らは大蛇様の為ならば命をも落とせるのだと聞きました。そのためでしょう」

「じゃあ、どうしたらいいの……」


 クチナは思わず嘆いた。守りはすっかり固められている。全ては大蛇様が落ち着いた思考のもとで計画していたというわけだ。それに気づいただけでも、敗北してしまったかのような気持ちになる。何よりもクチナは恐ろしかった。ネネに何かされるのではないかと思うと、不安で仕方なかったのだ。


「どうしたら、ネネを……」

「こちらも束になるのです」


 そこへ、リンが小声ながらもしっかりと答えた。


「束に?」


 訊ね返すミズチに、トグロが頷く。


「俺達だけじゃありません。性別、年齢、身分問わず、覚悟を決めて大蛇様の命に背いている者が複数いるのです。七番目様もその一人。説得に応じてくれたジャノメ姉さんやオニの姉様方、それにナバリの方、下女下男のような御方に若人の兄様方や弟分、見習い子や蛇姫蛇彦なんかも集まっているんです」

「お願い、ついて来てください。七番目様に命じられて迎えに参ったのです」

「七番目様が」


 ミズチが遠くを見つめる。


「まさか、ニシキの為に」

「……そう聞いております」


 トグロが静かに答えた。


「集まった者の中には亡きニシキ様を慕っていた御方もいます。それにミズチ様、あなたを慕っている御方もいます。もしもクチナ様たちがお戻りにならなかった場合、皆が助けに行くつもりだった者もいます。皆、この鬼灯に新しい風を求めているのです。クチナ様の今の思いこそが大蛇様の御本心だと、そう信じているんです」


 その強い言葉にクチナは震えた。重たくもあり、有難くもあった。

 味方をしてくれる者がいる。賛同してくれる者がいる。認めてくれる者がいるだけで、どれほど救われる事だろう。

 クチナ自身も自分の意思が自分だけのものなのか、大蛇様から離れたという魂によるものなのかが分かっていない。だが、分からないからと言って疑問を疑問のままにして、大蛇様の命令通りに器となるのは嫌だった。

 クチナは信じた。この抵抗は、大蛇様にとっても救いになるはずのことなのだと信じていた。だからこそ、同じ鬼灯で認めてくれる者がいるということは有難かったのだ。


「行こう、クチナ」


 ミズチが背中を押した。


「七番目様方と共にネネ様を御救いする方法を考えよう」


 頷くほかなかった。


 程なくしてトグロとリンに誘われて、クチナ達は御社の離れの一つへとたどり着いた。七番目が使っている場所である。他の八人衆も同様にこうした場所を持っているが、その距離は遠い。聞こえてくるのは夜鳥の声や虫の音くらいのものだ。


「ミズチ、無事で何よりだ。クチナ様も」


 その静寂を出来るだけ破らぬ小声で迎え入れたのは七番目であった。八人衆の一人でありながら、もはやその本心を隠す気はないらしい。

 見たところ、屋敷は静寂に包まれている。しかし、七番目の案内通りに進んでしばらく。隅の何気ない空き部屋の、隠し梯子を下った先に存在した広い隠れ部屋へと至ると、そこには複数人の鬼灯たちが身を寄せ合っていたのだった。

 ジャノメなどの筆頭代理、ジャバラなどのナバリ、他にも、複数の若人にオニ、見習い子といった者たちの少数である。

 その他の下女下男や蛇姫蛇彦を入れれば少ないわけではないが、多いと言うわけでもない。大蛇様の権威に背く勇気のある者だけが七番目の住まいに隠れているようだった。


「大した数のようですね、七番目様」


 ミズチがやや皮肉めいた事を口にした。


「見た所、戦える者は少数。大蛇様は反逆者に手厳しいものです。束になったところで、その多くが仲間に斬られてしまうでしょう」

「ああ、そうだろう。だが、戦えることだけが重要なわけではないぞ」


 そう言って会話に割り込んできたのは、別の男。彼を見て、クチナは驚いた。その顔を見たことがあったためだ。七番目でさえも此処でこんなことをして驚いたというのに、その男にはもっと驚いた。なぜなら、彼こそが一番目であったからだ。

 一番目はクチナと目が合うと、丁寧に頭を下げた。


「クチナ様、私が何故、お手を貸すかはお察しいただければ幸いです。今回のことはもはやあなただけの問題ではない。これを機に、日ごろの疑問と鬱憤、一番目という身分を犠牲にしてでも晴らさせてもらいましょう。此処に居るのはそんな者ばかりです。これ以上、蛇穴の為に鬼灯を酷使したとしても、大蛇様の権威が失墜していく一方だ」

「一番目様……あなたまでも?」


 ミズチもまた驚いていた。一番目は立ち上がり、今度は驚くミズチに目を合わせて微笑みを浮かべた。


「ミズチ。無事で何よりだ。嫌悪を浮かべながらも私のめいに背けずに祝い酒を飲み干したお前が、ここまで私情を露わに出来るとは思わなかった。だが、これも何かの業。お前は両親の所以で私をあまり好まないだろうが、共に戦わせてもらう」

「……あなたがいれば百人力でありましょう」


 そう言うミズチに一番目は首を振った。


「私は既に老いぼれ。お前の父の魂に誓った日のあの若さはもうない。いつ二番目以下や威勢のいい若人に陥れられるか分かったものじゃない。今回はお前と七番目で共に引っ張って行くといい。クチナ様が楽に動けるように援護するのだ」


 二人のやり取りを見上げながら、クチナは高ぶる感情を抑えていた。


 筆頭のミズチに七番目。その二人の味方だけでも心強いというのに、一番目に登りつめた男までもが味方してくれるなんて。

 強い追い風に背を押されているようだった。だが、風に乗り誤れば危険な事になることもクチナは重々承知していた。

 ネネを助けるには先走ってはいけない。味方として集まってくれた者たちの期待と協力を踏みにじるようなことはしてはならない。

 クチナは強く思いながら、蛇斬をしまう鞘にそっと触れていた。金木犀の香りがクチナの心を少しだけ落ち着かせた。

 そんなクチナのもとに、七番目は近づき、しゃがんで目線を合わせてきた。


「ネネ様が攫われてしまった事は既に聞いております。ネネ様は恐らく大蛇様の元におられることでしょう」


 七番目は言った。


「我々が周囲を崩しにかかるので、あなたはただネネ様の気配だけを辿ってください。あなたの蛇斬と大蛇様の神刀はほぼ対等。ですが、一対一で敵うというわけでは御座いません。なるべく戦わずにネネ様だけを保護し、逃げるのです。我々もすぐに駆けつけますので、それまでどうにかネネ様と共に逃げてください。蛇斬を過信してはなりませんよ」

「……分かりました。しっかりと心得ます」


 そう言って、クチナは七番目の言葉を心にしっかりと留めた。ネネの事となれば自分がいかに冷静さを欠いてしまうのかよく自覚していた。


「とにかく今は此処へ。もどかしいでしょうが、攻め込む時は今ではありません」


 促されてクチナはおとなしく従った。


 大蛇様にもしも本当に千里眼があるのなら、この光景をも見抜いているのだろうか。だとしても、その千里眼が万能ではないということをクチナは既に知っていた。読めるのは全てではなく一部。無駄を嫌う大蛇様は、確信の持てぬ事でわざわざ鬼灯を刺し向けたりしないらしい。今確実な事は、クチナがいずれネネを取り返しに向かって来ること。その為にならば攻め込むよりも迎え討つ事を好むだろう。

 少なくとも、大人達の見解はこうだった。


 一番目や七番目がいるからといって彼らに判断の全てを委ねるような者はいない。ミズチもそうであるし、複数のナバリや筆頭代理のジャノメ、オニや若人、見習い子もそうだった。下女下男もまた気になる事は発言し、年頃の蛇彦蛇姫までも議論に参加する中、クチナだけは押し黙ってしまっていた。

 善意に甘えて任せきりになってはいけないと思いつつも、ネネの元へ早く向かいたいという気持ちはやはり抑えられず、上手く頭が回らなかったのだ。顔を青ざめていくクチナを心配してのことだろう。トグロはその肩にそっと手を置いた。


「クチナ様はネネ様の事だけを考えてください。特にその蛇斬は仲間を斬るのではなく、ネネ様を御救いすることに使って欲しい……」


 憂うその顔は本来仲間であるはずの鬼灯達に対してだろう。クチナはそう思った。

 一番目や七番目が戦える同志を寄せ集めたように、大蛇様も全ての戦える者に命じているらしい。この場に居ない顔見知りは、クチナを阻むために駆り出されているのだろう。だとしたら、自分は親しかった者にまで刃を向けねばならなくなる。それはクチナに限った事ではなく、トグロやリンといった子供達だけではなく、ミズチのような大人達も同じはず。負けるわけにはいかずとも、命を奪うような事は避けたいだろう。反乱をおこす以上、甘い事ではあるかもしれないが、その気持ちはクチナの中にも確かにあった。


 ――鬼灯の為を思うが故、その鬼灯の命を奪う事はあってはならない。


 クチナを逃がしたためにに船乗は私刑に傷ついた。それを行った大人達と同じことをすれば、大蛇様を非難できる資格もないとクチナは思っていた。


 議論が進む中、変化は訪れた。

 蛇姫や蛇彦が複数人、梯子を下りてきたのだ。彼らは隠し部屋の隅にいた見習い子に何やら耳打ちする。その後、見習い子の方が皆に告げた。


「偵察が戻ってきました。ネネ様はやはり大蛇様の御座敷に匿われているよう。そこへ至る道は全て誰かしらが塞いでいるようです」

「塞いでいる者の詳細は分かるか?」


 一番目の言葉に、偵察に言っていた者たちが頭を下げた。


「北の通路は四番目様、南は五番目様、西は三番目様が立ちふさがっておいででした。東は八人衆の御方々はおりませんが、長老入りを控えた名のあるナバリの御一人が黒霧を露わにして睨みを利かせているようで……それぞれに筆頭代理の姉様方が御一人ずつと、オニが十数名ほど、ナバリの御方々のほか見習い子や若人も均等に配属されておりました」


 見習い子の一人が代表してそう答えた。


「長老入りを控えたナバリの一人とは何方かな?」

「ウワバミ様です。目を真っ赤に染めて周囲を睨みつけておいででした」


 ――ウワバミ……。


 クチナはふと寒気を感じた。


 長老は複数いる。年を重ねただけでは任命されず、その中から大蛇様が相応しいと判断した者だけがなれるのだ。身分は様々であり、下女下男だった者でも任命されることもある。長老は大蛇様の側近であり、相談役でもある。ウワバミという男は、近々その役になると噂されているものだ。長老になるにはまだ若い。元は八人衆の一人であるが、彼が怒りを露わにしている理由に心当たりがあったのだ。

 ウワバミはクチナが蛇斬で倒した新八番目マムシの母の父。つまり、祖父であるのだ。それも、数ある我が子の中でも特にお気に入りの娘の子であるらしい。クチナにとっては兄の仇であったがウワバミにとっては可愛い孫。それも、自分と同じく八人衆へと君臨した子だ。さぞ誇りに思っていたことだろう。そして、さぞクチナに対して怒りを覚えた事だろう。


「ウワバミか。厄介だ。体力は衰えているかもしれぬが、噛みついたら離れない気性の者を相手にするのは危険だろう。同じ理由で南――五番目の守る通路も駄目だ。あれは特に大蛇様を盲信しておる。ああいう奴の剣は鋭い。となると、西か北となるが……」


 一番目がそう言うと、七番目がそっと付け加えた。


「個人的には西――三番目の守る通路がよいかと思う。三番目は実力者だが日和見だ。七番目の私やミズチは甘く見るだろうが、一番目が相手である上、二番目や六番目までやられたとあれば、さすがに動揺するだろう」

「確かに、三番目はそういう男だな。ミズチ、お前はどう思う?」


 一番目に問われ、ミズチは軽く頭を下げる。


「三番目様はネネ様を攫っていった張本人。少しばかり乱暴に話を伺うことも出来ましょう。ですが、北を守る四番目様も気になっております。噂を耳にしたので」

「噂?」

「我が弟ニシキのことでマムシ様に苦言を呈したとの噂です。御悔みの言葉を頂いたので本当かどうかそれとなく訊ねた所、どうやら本当のよう。彼もまたよくよく話せば理解を示してくれる男なのでは……?」

「四番目か。無口な男だが成程、たしかに奴もニシキと仲が良かった」


 考え込みながら七番目は言った。


「どちらにせよ、一か所だけで攻め込むのは危険だ。それに、クチナ様を御通しする場所は危険の少ない方がいい。二か所までならこの人数を分けても問題ないはず。よって、まずは一陣が西を攻め込み三番目を惹きつけ、混乱が起きたところで、二陣がクチナ様と共に北に突入するのがよいと思うがいかがでしょうか」

「ああ、それで構わない」


 計画は、ほぼほぼ定まった。あとは組みを分けて突入するだけ。

 血の騒ぎを自覚しながら、クチナは呼吸を整えた。

 この里を逃れ、ネネを攫って八花を目指した時とは比べ物にならない緊張を感じながら、クチナはその闘志を静かに蛇斬に伝えていた。

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