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26日目‐1

 雑木林で身を隠せる茂みは貴重なものである。

 朝日が昇り、アヤカシにとっては不快でもある日光が木々の間より射し込む中、クチナとネネは薄暗い茂みの中で息を殺して半分ほど眠りに落ちていた。

 御社からはまだ離れ切ってはいない。この島を出るための船着き場も、少し走れば辿り着くという距離ではない。眠気は容赦なく二人を襲い、逃げ足も鈍る状況下に現れたこの大きな茂みは、二人にとってこの上ない隠れ家であった。


 だが、深く眠る事は出来ない。

 クチナは時折茂みの外を窺った。

 昼間であるということは、大蛇様の可愛がる影鬼たちが動きだすということだ。下位のアヤカシであっても鬼灯とは違って移動速度の速い彼ら。影鬼達に見つかれば、オニ達が泥人形を送りこんでくる。そうなれば、どんなに離れた場所に逃げていたとしても絶対ではないのだ。大蛇様の手から真に逃れるには、やはり蛇神の威光の薄い場所――八花等の遠くの国へと逃れる他はないのだろう。

 蛇斬を握りしめながら、クチナは警戒を強めた。

 全ては未来の為。逃がしてくれた者たちに感謝しつつ、信じてくれたその想いを無駄にしない為にもやり遂げたいとクチナは思っていた。


「クチナ……起きているのね……」


 ネネの小声があがる。振り向くクチナを彼女は疲れの取れない表情で見つめていた。


「疲れているでしょう? 見張りを変わるわ。クチナも寝て」


 そう言って起きようとする彼女にクチナは首を振った。


「疲れているのは君の方だよ、ネネ。わたしは大丈夫だから寝ていて。君の気をたくさんもらい過ぎてしまったから」


 気を狂わせるほどの大蛇となったあの姿から元に戻してくれたネネ。その時に使われた気は相当なものであっただろう。お陰でクチナは半分ほどの眠りで満足できた。もう少し休めばまた走りだせるだろう。だが、ネネは違う。クチナに気を与えている分、彼女は疲労と溜めこんでしまう。茂みに身を隠しながらどうにか獲ってきた千鳥梨を食べる事すら億劫な様子のネネに代わって眠るなど、クチナに出来るはずもなかった。

 それでも申し訳なさそうに見つめるネネの頭をそっと撫でながらクチナは言った。


「大丈夫。わたしは鬼灯なんだ。君も見たでしょう? 人間じゃないんだ。それも鬼灯の中でも丈夫に作られている。だから、安心して寝ていてよ」


 そう言いながらそっと気を奪うと、ネネはぼんやりとした表情を浮かべ、そのまま意識を睡魔に攫われていった。気を奪えば奪うほどネネの体力は落ちてしまうだろう。だがそれでも、眠りは彼女の疲れを癒すはずだ。


 ――わたしにもネネに与えられる力があればな……。


 蛇斬に触れながら、クチナはそんな事を考えていた。

 と、その時だった。

 小枝を踏みしめる音が響き、クチナの身体に緊張が走った。茂みの中より息を潜めて窺えば、複数の鬼灯の姿がすぐに見えた。影鬼などではなく、泥人形でもない。鬼灯の数名がクチナ達の隠れている茂み付近でうろうろとしながら辺りを見渡していたのだ。


 ――ついに来ちゃったか……。


 蛇斬を持つ手に力が籠る。


 ――……トグロ?


 そこにいたのは脱出を手伝ってくれたトグロとリン。しかし、それだけではなかった。名も知らぬ弟や妹と彼らの母であるナバリのジャバラがいたのだ。

 ジャバラは幼い頃のクチナに教養や剣術を授けてくれたナバリの女である。そんなジャバラもまた元筆頭の女。今は身重でもないために地下に閉じ込められてはいないが、それはつまりいつでも気兼ねなく黒霧で暴れられるということだ。少々年を重ねてはいるが、現役の頃については姉ミズチよりも評判高く、八人衆の末端よりも格上とまで持て囃されていた時代があったことを忘れてはならない。


 ――厄介な人が来てしまった。


「クチナ様はこちらに逃げたのね」


 やや厳しめな声でジャバラは我が子達を問いただす。

 筆頭代理に身を置く長女ジャノメから聞いて此処まで来たのだろう。さすがのトグロ達も母には敵わないと見えて、クチナはとうとう蛇斬を鞘から抜いた。


「お前たちは本当にお父様に似ているわ。あの人は私に似ているというけれど、私はそうは思わない。勇ましいのか向こう見ずなのか。少しはジャノメ御姉さまを見習いなさい」


 呆れた様子でそういうジャバラにトグロとリンの兄妹は不満そうな顔をしていた。そんな母子の会話を見つめつつも、クチナはいまだ警戒心を解かずにいた。

 ジャノメなど傍から見ればただの母親にしか見えないだろう。だが、元筆頭や元八人衆のナバリというものはいつだって牙を隠し持っている。大蛇様に一度与えられた黒霧の刀は、一生離れることなく常に使用者に寄り添っているのだ。ジャバラが居場所を見つければ、すぐにでも黒霧の脅威が襲いかかってくるだろう。そう思うと焦りは高まっていく一方だった。


 ――気付かれる前に、やるしかない。


 抜いた蛇斬の鞘を置き、クチナは飛び掛かるまむしのように身を構えた。その闘志で目が赤く染まった瞬間、ジャバラもはっとした様子で身を構え、我が子達を後ろに下がらせた。


「……お母様?」


 リンが訪ねる中、トグロがそれを制している。

 ジャバラはというと、目を真っ赤に染めた状態で黒霧を呼びだしていた。


「クチナ様」


 真っ赤な目はクチナの隠れている辺りを迷いなく見つめ、警戒心を露わにしたままの状態で極力潜めた声でジャバラは言う。


「どうか御姿を御見せ下さい」


 下手にも関わらず逆らえぬほどの覇気を伴う命令口調に、クチナは大人しく従うしかなかった。蛇斬の輝きを見せつけるようにしてクチナは茂みを這いだし、しっかりと大地を踏みしめながらジャバラを睨む。


「御久しぶりですね、先生」


 睨みつけながらそう言うクチナを見つめ、ジャバラは表情を歪めた。


「そう呼ばれるのは久しぶりね。もう、トグロのおばさんでいいのよ。教養も修行もその師となる資格は若い人に譲ってしまったから」

「それでもあなたはわたしにとって先生にかわりません。わたしに大蛇様の剣術を授けて下さった。姉や兄もそうだったと聞いております。……そして、わたしを阻む力もまだまだ衰えてはいないのでしょう」

「あなた達は特にいい教え子だったわ。その教えによって多くの鬼灯が混乱している現状は悲しいものです。ネネ様も茂みの中ですね? さぞ、お疲れでしょう。お気持ちは分かりますが、無謀すぎますよ」


 冷静に言われ、クチナは蛇斬を手に震えた。


「無謀は承知の上。こうでもしなければわたし達に未来はないのです。ネネを守るためにはこうするしかない。わたし達は生贄になどなりたくないのです」


 ジャバラがその気であるのならば、たとえ恩師であろうと牙を剥くしかない。

 脱走を手伝ってくれたトグロとリンの前でそんな事はしたくないが、捕まるくらいならば蛇斬で身を守るしかない。

 切羽詰まったクチナが怯えを強めていっていると、ジャバラは急に深いため息をついてクチナから目を逸らした。トグロに何やら合図を送ると、今一度クチナへと視線を戻して黒霧の矛先を地面へと下げた。


「私は戦いに来たのでも、あなたの主張を聞きに来たのでもありません」


 そう言うジャバラの横をトグロが通り過ぎる。近づいて来る彼の手にあったのは、蛇の目模様の風呂敷であった。


「その中にあなた達に必要なものが入っています。特にネネ様は人間の子。あなたと違って疲れやすいでしょうから」


 トグロから風呂敷を渡されて、クチナは呆気にとられていた。

 様々なものが入っているらしく、柔らかいものから固いものまで様々であった。蛇斬と風呂敷を抱え、クチナは目を赤くしたままトグロと、そしてジャバラの顔をじっと見つめた。驚きを隠せなかったのは、筆頭代理のジャノメの悲鳴染みた声が今も耳から離れなかった所為かもしれない。


「この機会は一度きりかもしれませんね」


 ジャバラはクチナに言った。


「その一度を逃してはなりません。あなたの逃亡は大きなきっかけ。あなたの行いで大蛇様のお考えがもしも変わるならば、蛇穴の為に費やされる鬼灯の負担も減りましょう。その達成でどれだけの鬼灯が希望を持てることか」

「先生……」


 惚けるクチナにジャバラは目を細めた。


「船着き場で私共と志を同じくする者がいます。あなたの逃亡を手伝った少年の父親です。会えばきっと分かります。彼に頼めばこの島からも出られる筈ですよ」


 そう言って踵を返すジャバラを、クチナは引き留めようとした。だが、ジャバラは振り向き、クチナへと小声で言った。


「静かに。用はこれまでです。もう少し茂みに隠れていなさい。大蛇様はきっとこの光景もご覧のはず。間もなく追手が来ることでしょう。それまでネネ様の傍で休んで、英気を蓄えておきなさい」


 そう言ってジャバラは今度こそ幼い子供たちを連れて立ち去った。

 トグロとリンがクチナに視線を送る。

 共に何か言いたげではあったが、言葉も見つからぬようで躊躇いつつ共に母や弟妹の後を追って走っていった。その背をいつまでも見送りたいと思ったクチナであったが、言いつけ通り茂みへと戻っていった。


 ――味方がいる。


 眠り続けるネネの隣で風呂敷を開きながら、クチナはその有難みを実感した。


 ――わたし達に生きていて良いと言ってくれる人がいる。


 中に入っていたのは鬼灯向けの食材ながらもネネの口に遭いそうな軽食と、水の入った瓢箪ひょうたんが二つ。そして、小刀に手ぬぐい、人間の世界――蛇穴や他国でも通用する貨幣などであった。


 ――わたし達の逃亡はきっと大蛇様を変えてくれる。


 鬼灯の複数が味方をしてくれる今こそ、変革の時。クチナはそう信じた。大蛇様を縛り、少女の犠牲を前提に成り立っていた契約を変容させてみせる。

 蛇斬の輝きに誓うクチナの自信は、既に復活を果たしていた。

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