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25日目‐6

 蛇斬を構えたままクチナはトグロに従って物置へと入った。トグロが変な真似をすれば同年代の子供であろうと容赦をするつもりはなかった。

 招かれるままに物置へ入ってみれば、そこにはトグロの他に複数の子供たちがいた。男女数名。中には若人にもオニの見習い子にもなれないような幼い鬼灯――蛇彦、蛇姫などと呼ばれる者もいた。誰もが鞘にも収めず蛇斬を見せつけるクチナを恐れてはいるが、敵意を露わに飛び掛かってくるような様子はなかった。

 トグロがぴしゃりと扉を閉めると、子供たちは皆、ほっとしたように息を吐いた。


「クチナ様、お逃げになりたいのでしょう?」


 真っ先に訊ねてきたのは、オニの見習いになったばかりの鬼灯の少女であった。トグロの妹でもある。共に稽古をしたこともあるため、その名をクチナは覚えていた。


「リン……か。此処の者たちは――?」

「皆、あなたの味方です。あなたを外に出した船乗のお兄さんと同じ。七番目様のご意向もよく知っています」


 リンは小声でそう言った。


「……味方? 君たちが?」


 にわかに信じられなかった。

 トグロとリンというこの二人はクチナにとって少しは見知った関係でもあった。だが、それは気が合うからというわけではなく、この二人もまた優秀な近親者がいる子供として注目されていたからに過ぎない。

 二人の姉は筆頭代理の一人。ミズチの跡を継ぐ可能性の高い人物である。ミズチの妹分であるといっても、その志は間違いなく大蛇様に近いものだろう。そして母に至っては元筆頭である。父も八人衆の一番目に昇りつめた男であり、大蛇様から期待された兄妹でもあった。

 そんな彼らがこんな事をするなど信じられるだろうか。


「頭の固い大人たちと俺たちは違いますよ。それに、私刑を受けて今も苦しんでいる船乗のこともあります。汚い大人のやり口が許せない。それを止められない姉さんたちも同じ」

「わたし達の他にも今の鬼灯や大蛇様に不満を持つものはいるみたいです。子供だけではなく、大人にも――あなたを逃がしてくれたのも、そんな人たち。わたし達は彼らの頼みも引き受けているの。七番目様とミズチ様。それに、ニシキ様だって気に病んでいたわ。でも、大蛇様に訴えたところで聞いてはもらえない」

「だから、こうして陰ながらお手伝いするしかないの」


 蛇彦の一人が小さな声でそう言った。

 トグロの合図を受けて、子供たちは物置の床板を外した。見た目では分からないが、ぱっかりと開いたその場所は床下へと続いている。間違いなく外への逃れ道であった。


「此処からなら裏庭まで行けるはずです。裏庭から雑木林へ出れば、御社からすぐに離れられますよ」


 名も知らぬ少年がクチナにそう言った。


「お二人で進むには狭いかもしれないけれど、大人たちに追われる心配はほとんどないはず。さ、今のうちです。ついて来て」


 リンがそういって先に潜っていった。

 そのあとに続いて、クチナはネネと共に床下へと潜った。暗くてじめじめとしたその場所は、恐ろしく埃っぽい。あらゆる虫やネズミがいることだろうが、そんなものに構ってなんていられない。

 クチナとネネが下りると、あとからトグロも下りてきた。物置に残る子供たちに向かって彼は小声で命じた。


「あとは頼んだ」


 そういって板を戻されれば、光が奪われて殆どなにも見えなくなった。だが、先を進むリンの目が赤く光り、それを目印にクチナは進んだ。後ろにつくネネを引っ張ってやりたいところだったが、この狭さではそれもかなわない。

 そんな中でクチナはどうにか二人に訊ねた。


「何を頼んだの?」

「攪乱ですよ」


 先に行くリンが答えた。


「大人たちに向かってクチナ様を見たという証言をあちこちでしてもらうのです。子供は早く寝ろと怒られるでしょうけれど、せっかくの証言を無下にするわけがないですから」


 にやりと笑いながらリンは先へと進んでいく。

 とっさに考えたわけではないだろう。それでも、味方が多くいるということは有難いことだった。


 ――けれど、本当に大丈夫なのだろうか。


 ふとした不安が頭を過ぎる。もしも失敗すれば、この子達もまた酷い目に遭うかもしれない。かの船乗の少年のように。


「あの船乗の子は……どうしているの?」


 そっと訊ねてみれば、後ろからついて来ていたトグロは小さく笑った。


「大丈夫。奴ももうしょうもない話で人を笑わせるくらいには元気ですよ。それどころか一丁前にクチナ様を心配していたくらいです」

「……あの子にお詫びしたい。わたしのせいであんな」

「お詫びなんていらないですよ」


 先を行くリンが透かさず言った。


「わたし達だってあのお兄さんだって自分の考えで行動しているんです。筆頭の姉様や七番目様のような御方々だっている。だから、とっ捕まって懲らしめられたとしても、クチナ様が頭を下げる必要なんてありません」


 堂々とした年下の子のその言葉に、クチナの方が怯んでしまった。

 だが、それほどまでにこの子供たちはクチナを信じていた。彼らにとってみれば、黒の少女もまた大蛇様と同等。その魂が大蛇様のものであるというのなら、後はどちらの神を信じるかと言うだけの話だったのだ。


「鬼灯を変えてやりましょう。その為に僅かばかりの助力をいたします。どうかクチナ様はご自身とネネ様のことだけを考えてください」


 トグロの言葉に、クチナは救われるような気持ちになった。

 地下に閉じ込められていた時とは大違いだ。鬼灯の中にも手を伸ばしてくれる者が複数いるということがどれだけ有難いものか。


「有難う……皆……」


 これまでとは違う涙を流しそうになりながら、クチナはリンの案内に従って前へと進んだ。ネネは始終不安そうにクチナの後にぴったりとついてくる。此処に居る人間はネネだけ。鬼灯以外いないこの環境下で、さぞ居た堪れない事だろうとクチナは感じた。その手を握ってやれる時間は少しずつ近づいて来ていた。

 先を進むリンの向こうで明りが見える。

 御社の床下を這いだせば、雑木林へと続く裏庭が現れるのだろう。裏庭にも誰かいるはずだが、走って逃げてしまえば問題ない。クチナは逸る気持ちを抑えながらリンの後に続いていった。

 そして、ようやく床下の世界から解放されるかという時であった。


「リン?」


 裏庭から声がかかり、一斉に緊張が走った。


「リンよね? 何故、そんな所にいるの?」


 先頭を進んでいたリンは身を強張らせつつも、その者に床下を覗かれる前にさっさと出て行ってしまった。クチナはさらに身を伏せ、息を殺した。

 裏庭にはい出して土埃をはらうリンの傍に女の姿が見える。その人物の顔を、クチナは床下から確認した。知っている顔だった。リンとトグロの姉であり、筆頭代理の身分でもあるジャノメという女だ。


「どうしたの? とっくに寝ている時間のはずよ?」

「御免なさい、お姉さま」

「何故、あんなところに? 何かあるの?」


 覗こうとするジャノメに気付いたのか、最後尾からトグロがクチナとネネを押しのけて這い出していった。


「御免、リンは悪くないんだ。俺のせいなんです」


 にやけながら床下を這いだして、トグロはリンの肩を叩いた。


「リンが眠れないって言っていたから、床下に冒険に行ってみようって誘ったのです。生憎、何にもありませんでした。でも、ちょっと運動したら眠れるんじゃないかなって思ったんだよね」


 悪びれることなく言う弟の姿に、ジャノメはあきれた表情を浮かべた。


「トグロ。あなたね、十五にもなって何をしているの? いつまでも子供のつもりでいてもらっては困るわ。あなたのお父様はどなただと思っているの? 一番目様よ? あんまり子供染みたことをしてはいけません! お母様が聞いたら呆れてしまうわ」

「はーい。ところでお姉さま? お姉さまはこんなところで何をしているの?」


 リンの肩に触れながら、トグロは無知を装って訊ねる。

 ジャノメは溜め息をつきながら、有り物の刀の鞘をぽんと叩いた。


「お仕事中よ。大蛇様がミズチ姉様の所に行っている隙に、クチナ様とネネ様が御逃げになったの。八番目様は酷い御怪我をなさったというし、とても危険だわ」

「クチナ様が?」


 悪戯っぽく首を傾げるトグロを、ジャノメは睨みつけるように見つめる。


「ふざけないの。クチナ様のお持ちの刀は蛇斬なのよ? あなた達の身に何かあったらと思うと恐ろしいこと」

「そっか、じゃあさ、お姉さま。もしも俺達が人質に取られたりしたら、お姉さまはどうする?」

「やめなさいよ。そんな不吉な質問」


 ジャノメが叱る中、クチナはぴんと来た。


「……ネネ。わたしの後に続いて」


 背後にそう言うと、蛇斬を握りしめ、ゆっくりと這い出していった。にじり寄るのはトグロとリンの元。ジャノメと話すトグロの後ろで、リンがさり気なく床下に寄っていた。そのすぐ足元へと近寄ると、クチナは目を光らせた。


「真面目に答えてよ、お姉さま」


 トグロもその気配を感じているのだろう。

 姉の手を掴んで、彼は更に訊ねた。


「もしもクチナ様が俺達を斬りつけようとしたら、どうする?」

「――どうするって。あなた達、まさか!」


 ジャノメがはっとした時、クチナは床下を飛び出した。蛇斬をすぐさま抜くと、リンの身体を引き寄せる。抵抗はなかった。端からその覚悟があったのだろう。斬るつもりなんて一切なかったが、その光景はジャノメの動きを止めるのに十分なほどだった。


姉様あねさま、申し訳ありません」


 クチナは言った。


「妹御の御身体を大事に思うのなら、下がってくれませんか?」


 目を赤く染めながら脅すクチナの姿に、ジャノメの顔が青ざめる。


「……リン!」


 動こうとする彼女を、クチナは刀で牽制する。その隙に、ネネも床下から這い出して、クチナのすぐ後ろに隠れた。リンは緊張しつつも全く抵抗しなかった。クチナに全てを委ねているようだ。クチナは蛇斬を持つ手に集中して、慎重に雑木林へと寄った。

 ジャノメはそんなクチナを目にして、刀帯から手を放して懇願した。


「お願いです。妹を返してくださいませ」

「追ってこなければ、そうします。わたしだって妹分を斬ったりしたくはない」

「ああ……」


 クチナの本気の様子を見て、ジャノメはその場にしゃがみ込んでしまった。


「クチナ様、お許しください。あなた様のお気持ちも分かるのです。けれど、わたくしは筆頭代理の身。上の命令には逆らえません」

「その為なら、実の妹を見殺しにしても仕方ないと言うの?」

「そんなわけありません! お願いです、リンを返してください!」


 悲痛な叫びにクチナは心が動かされそうになった。既に背後に隠れるネネはジャノメに同情していることだろう。クチナはそんなネネにそっと左手を差し伸べると、しっかりと手を握った。よくない気配は常にしている。いつまでもジャノメ一人に気を取られているわけにはいかなかった。


「……リン、御免ね。ここまで有難う」


 小声で詫びると、クチナはリンの身体をジャノメの方へと思いっきり突き飛ばした。そして、ジャノメが受け取れたかどうかを確認せずに、そのままネネを引っ張って雑木林へと入って行った。


「お、お待ちください、クチナ様! だ、誰か! 誰かっ!」


 ジャノメの声が響く中、クチナは懸命に走った。ネネを背負う暇もなかった。呼ばれた以上、すぐにでも追手は来るだろう。大蛇様がもうミズチの部屋を出たのかは分からないけれど、脱走したと分かれば手は緩めないはずだ。


 ――幾らなんでも大人が束になってきたら逃げ切れない。


 不安を煽るように薄灰色の夜明けが林を照らしだしていた。

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