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18日目‐1

 ネネとクチナが十日と少しかけて歩んだ道のりも、七日ほどでオニ達は進んでいった。

 細石も蛇穴も、二人が目にした時よりも寂しげな光景に見えたのは何故だろう。オニに拘束されたまま、ネネはぼんやりと感じていた。


 ネネが連れられたのは故郷の人形の里ではなかった。

 船に乗せられ、鬼灯の里のある火の小島へと真っ直ぐ連れられていった。


 そして里の御社にて、ネネは初めて彼女の姿を見たのだった。

 蛇神大蛇。

 全ての鬼灯の祖であり、蛇穴の人間たちの暮らしを守り続ける女神は座ったまま筆頭やオニ達の帰りを待っていた。淡白な報告が終わり、オニや筆頭の労いが終わると、クチナだけ何処へともなく連れられてしまった。


 ――クチナ……。


 生まれてこの方信じてきた女神を前にした緊張に有りながらも、ネネは連れ去られていくクチナの姿に心配を深めた。この七日、クチナはとうとう目を覚まさなかった。傷は塞がったようだが、触れさせても貰えず、傷を癒す事など全く出来なかったのだ。


 ――大丈夫かしら、クチナ……。


 黒の少女は神の器。目の前に居る女神をいつか宿す者。その為に丈夫に作られているとネネは道中聞かされた。それでも、ネネの心は晴れなかった。身体は丈夫でも、精神が持たなくては意味がない。苦痛の果てにてもがき苦しんでいるのならば、今すぐにでも助け出したかった。


「ネネ」


 だが、その憂いはこの場を支配する者のたった一言でかき消された。

 大蛇様。彼女の見た目は他の鬼灯と同じく人間のようだ。妙齢の女性の姿をしている。その身体を器としてからは、もう百年ほど経つはずなのだろう。それでも、老いは特に見られない。瑞々しい身体を簡素に着飾って、異様に白い手でネネを招いた。

 ネネの中で緊張が一気に高まる。凍りつく彼女の背を、筆頭がそっと押す。その促しに乗じてどうにか一歩、二歩と近づけば、大蛇様は自ら手を伸ばしてネネを捕まえた。


「無事で何よりだ。あんな子供の誘いに乗るなんて悪い子。雌鶏もずっと心配していたのだよ。勿論、妾も同じこと」


 惚けてしまうくらい優しい声に、ネネは戸惑った。

 雌鶏様がいつかしてくれたように、大蛇様はネネの頭を撫でていく。幼子を可愛がるように微笑むと、ネネに言い聞かせたのだった。


「これからは、妾の膝元で過ごせ。寂しい思いはさせぬと約束しよう。悔いも残さぬように図ってやるぞ。お前は何も按ずることなく、気楽に過ごせばいいのだよ」


 慰めるように大蛇様はネネを抱きしめた。


 ――悔いも残さぬように……。


 その言葉と抱擁に鳥肌が立った。

 優しげに見えて大蛇様はやはり自分を殺す気でいる。この場に居る全ての者にとって、自分は生贄であり、それ以外の何者でもないのだ。

 そう思い知らされて、絶望が深まったのだ。


 ――死ぬのは嫌……。


 かつて諦めてしまえていた感覚など思い出せなかった。


 ――殺されるなんて嫌……。


 況してやその役目がクチナものもだなんて。


「クチナ……」


 ふと大蛇様に抱きしめられながら、ネネはその名を口にした。


「クチナは何処に連れて行ったのですか」


 恐る恐るその顔を見上げ、ネネは訊ねた。その切実な目に、大蛇様は哀れむような表情を見せてから、落ち着いた様子のまま答えた。


「場所は言えない。けれど、必ずまた会える。穢れを祓えばすぐにでもお前に会わせることが出来るだろう」

「……クチナがわたしの命を奪うのだと聞きました」


 震えながらネネがそう言うと、大蛇様はすぐにじっと頭を垂れ続けるオニと筆頭へと視線を移した。妖しげに目を細くして、迷うことなく一人を見つめる。


「ミズチ。お前だったな」


 その名を呼び捨て、大蛇様はやや厳しめの口調で告げた。


「妾は見ていたぞ。筆頭となってからのお前の活躍はたいしたもの。だが、これからはこの子を怖がらせるんじゃないぞ。クチナも同じ。あの子はお前の妹として生まれてはいるが妾の一部なのだ。それを忘れるな」


 その命令に無言のまま頭を下げ続ける筆頭を見据えてから、今一度、大蛇様はネネへと視線を戻した。


「……その通りだよ」


 誤魔化す事もせずに、大蛇様は言った。


「お前は妾の為に存在する生贄。だが、食すのは妾ではなく次の器となるクチナ。あの子がお前を食らうことは契りでもある。大昔に妾が人間と契りを交わした時、この力の全てを蛇穴の人間の為に使うという約束の証としてお前は生まれた。赤の少女を食らうことで新たな器は想いに縛られ、その力の全てをまた蛇穴の為に使うこととなる。今の妾のように、土地を離れもせずに百年、蛇穴を支える礎となれるのだ」


 ネネの頭を優しく撫でて、大蛇様は告げる。


「お前たちがどんなに拒もうとも、この契約は取り消せぬ。人々の強い想いを無視出来ぬ限り、妾はどんな手段を使ってでもあの子にお前を喰わせなくてはならぬ。許しておくれ、ネネ。蛇穴を更に百年安泰とするためにも、お前の望みを叶えることは出来ないのだ」


 雌鶏様によく似ているとネネは感じた。

 決して怖がらせず、傷つけもせず、生贄であるネネを蔑ろにはしない。


 ――わたしの願い……。


 きっとクチナと逃げている間、大蛇様は全てを見通していたのだろうとネネは思った。この御社を抜けだせぬ代りに、クチナやネネが抱いている想いを見つめていたのだろう。


 神様でさえも叶えてくれぬ未来への希望。

 思い描いた夢物語が、あまりにも遠すぎるものだと思い知らされて、ネネはますます悲しくなってしまった。

 声も漏らさず泣きはじめるネネを、大蛇様は静かに撫でた。

 その手には蛇とは思えぬ温もりがあった。雌鶏様がいつかしてくれたように、大蛇様はネネを抱きしめて慰める。


「お前のように拒む者も珍しいわけではない。クチナのように逃げ出そうとする者もいる」


 囁くように大蛇様は言った。


「妾も毎度その想いを受け止めてきた。彼女たちの想いは今も妾の心の中で燻ぶっておる。だが、女神が好きに過ごせば蛇穴は歪み、人間たちが困ってしまう。この契約が変わらぬ限り、諦めるしかないのだよ」

「その契約を……変えることは出来ないのですか……」


 涙で潤む両目を覆いながら、ネネは大蛇様に訊ねた。

 クチナは言っていた。大蛇様は間違っているのだと言っていた。分かってもらう為に、逃げているのだとそう言っていた。赤の少女と黒の少女が逃げてしまえば、大蛇様を縛る契約も解消される。クチナが狙っていたのはそういうことだったのだろう。


「大蛇様。その契約は大蛇様さえも苦しめているのではないのですか……?」


 黙ったままの大蛇様に縋るようにネネは訊ねた。

 しかし、大蛇様の返事は頑ななものだった。


「契約に縛られ、守ることもまた妾の役目。そして、蛇穴の人間を守る事は妾の血を引く鬼灯を守る事でもある。苦しくないと言えば嘘になろう。それでも、契約を破るわけにはいかない。約束通り、来年の夏にはお前をクチナに喰わせ、成熟したその身体と妾は同化する。お前たちの心は妾の中に収められ、次の百年を待つ事となるだろう」


 これまでずっとそうだった。

 赤の少女は黒の少女に殺され続け、黒の少女は器となって大蛇様に支配される。今のネネとクチナの苦しみは、歴代の少女たちの苦しみと同じなのだ。

 そう言い聞かせられたからといって、どうして諦められるだろう。

 ネネは受け入れられなかった。しかし、抗う術も持たなかった。反論する言葉すら見つからず、溢れてくる涙を流すことでしか心を保てなかった。


「もう考えるのは御止しなさい、ネネ」


 泣きだすネネの背をさすりながら、大蛇様はそう言った。


「今すぐに命を奪う訳じゃない。時が来るまでは静かに過ごせ。何もしなくていいし、何も考えなくていい。約束は反故にはせぬ。儀式の時までに、お前の望みは極力叶える。八花への道は夢のまま勘弁しておくれ」


 ――そんなの嫌。


 クチナとの未来。共に十六より先まで生きる事。一番叶えて欲しい望みは叶えられない。そうである以上、何を与えられたとしてもネネは不幸のままだった。蛇穴の為、契約の為、人間の為、大蛇様の為、その尊い犠牲として未来永劫敬われる存在であるのだとしても、ネネは嫌だった。


 八花に行きたい。

 蛇神の力の及ばぬ場所に行きたい。

 やっとネネはクチナの真意を汲み取ることが出来た気がした。


 ――契約の為ならば、どんな手段を使ってでも。


 その言葉を思い出し、ネネはクチナの身を按じた。何処に連れて行かれたのか、何をされているのか。穢れを祓うとはどんな方法なのか。次に会える時、クチナはクチナでいられているのだろうか。


 嫌な予感ばかりが生まれ、何も考えない事なんてちっとも出来そうにない。

 それでもネネは黙り続けた。

 抗う力を持たない限り、黙っていることしか出来なかったのだった。

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