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11日目‐2

 静かだとネネは思った。

 あれほど恐怖を与えてきた白鬼は、呆気なく事切れた。


 彼に襲われ深く傷ついたキツや双子熊たちは、大鴉たちに介抱されていた。その様子を遠目に見つめながら、ネネは少しだけ安堵し、後は寒気ばかりを感じていた。暗闇の中、白鬼の首が大鴉たちへと渡される血塗られた光景を見つめながら、ネネはクチナと寄り添いつつ身構えていた。


 蛇斬を握りしめ、クチナは別のオニに取り押さえられながら周囲を睨みつけている。そんなクチナを筆頭は面の下より冷たい眼差しで見つめている。


「よもや逃げられるとは思っていないだろう」


 筆頭がクチナに言った。


「それなのに随分と反抗的な目だな、クチナ。誰に助けてもらったと思っている。誰の我がままでネネ様を危険にさらしたんだ」


 責めるようなその口調に、ネネは庇うようにクチナに寄り添った。


「クチナ様を庇う気ですか、ネネ様」


 別のオニが口を挟む。


「その御方は背徳の大罪を犯したのです。それも、御自分の立場がありながら。大罪を庇うのもまた大罪。この事を人形の里の人間たちが知ったらどんなに嘆くことか」


 オニに言われ、ネネは表情を歪めた。

 雌鶏様はきっと嘆いているだろう。しかし、それはもうとっくに諦めたことだ。クチナを信じてクチナと共に歩むと決めてからは、人形の里の者たちに恨まれることなどとっくに覚悟したはずなのだ。


「誰に嘆かれようと構わないわ」


 ネネは自分に言い聞かせるように言った。


「わたしはクチナと一緒に行きたいの。生贄なんて嫌……」


 訴えるように筆頭たちにそう言った。


「クチナと一緒に暮らしたいの」


 本心から出てくる言葉だった。これまでずっと思い描いてきた未来。此処で諦めれば一生手の届かない未来。その未来への想いが強過ぎて、ネネは苦しかった。

 筆頭はじっとネネを見つめた。

 おもむろに黄金の面を取り、素顔を曝すと、そこには何処となくクチナに似た顔があった。鳶色のまま変わらぬ目でネネを見つめると、ちらりとクチナへ視線を戻した。


「どうやら、ネネ様は何も聞かされていないらしい」


 冷めた顔でそう言ってから、筆頭は今一度ネネを見つめた。


「ならば私がお教えしよう。黒の少女――あれの正体。あれがあなたにとってどう関わる存在なのかをお教えしようじゃないか」

「待って……姉さん!」


 突如、クチナが焦り出す。その切実な態度に、ネネは不穏を感じた。


「クチナ……?」


 その名を呼ぶも、筆頭の言葉はネネの心を掴み続けた。

 黒の少女とは何か。クチナがなかなか話せなかった事実を、筆頭は教えてくれようとしている。聞いていいのか、いけないのか、葛藤がありながらもネネはやはり好奇心と願望に勝てず、じっと筆頭の顔を見つめ続けた。


「黒の少女はね、ネネ様」


 筆頭は怪しげに目を細めながら言う。


「これは大蛇様なのですよ」


 ――え……?


 言われた意味が分からず、ネネは惚けた。


「正しくは、大蛇様の一部。百年に一度の生贄を口にして、霊力妖力に満ち溢れた器となって大蛇様を宿す尊い御方だ」


 言葉が刻まれるようにネネの頭に沁み込んでいく。


「来年の夏、あなたの全てを奪い去るのは他ならぬクチナなのです。そうなるべくして生まれ、抗えぬ本能として赤の少女の血肉を欲するもの。それが黒の少女なのです」


 それら一つ一つの意味を理解することは、非常に困難なことだった。


「……嘘……そんな、だって――」


 遅れて分かった時には、震えが止まらなくなっていた。


「だって……クチナは……」


 縋るように見つめた先で、クチナは俯いていた。ネネと一切眼を合わせず、オニに取り押さえられたまま力無く地面を見つめている。その目からはこれまではっきりと見たことのない涙が零れ落ちていた。


 ――クチナは……。


 その涙の光を見て、ネネはもう反論できなくなった。

 黒の少女というものを何故、クチナが教えられなかったのか。自分の事を話せずに怖がっていたのは何故なのか。ネネと同じようでいて同じではない。生贄は生贄なのだろうが、あまりにも違う存在だった。

 無言のまま、ネネはクチナを見つめ続けた。


「御分かりですか、ネネ様。これとあなたは共存できないのです。蛇穴から逃れ、遠き地に向かったとしても同じ。これは常にあなたに欲望を感じている。そうなるように大蛇様が御造りになったのです。いつの日か必ずこれは欲望に心を潰され、あなたに手を出すことでしょう。あなたはこれの心を蛇穴に繋ぎとめる為の生贄なのだから」


 自分のものだと言っていた。

 その本当の意味をネネはようやく理解した。


「でも……それでも、クチナは言ったわ。一緒に遠くに行けば、友達にも仲間にも、家族にだってなれるって」


 初めて自覚した憧れ。共に逃げ続けたのは、ずっとその憧れを手に入れる為だった。八花に行けば、クチナともっと親しくなれるはず。共に暮らし、共に生きて、生贄だったことなんて忘れたい。その願いのきっかけともいえるのが、その言葉だった。

 しかし、嘆くネネを冷たく見つめ、筆頭は言った。


「そんなもの、これがあなたの心を支配するために吐いた嘘でしかない。どう足掻いてもあなたはクチナの為の生贄。これまでの少女たちと同じ。家族どころか友にすらなれないまま、殺し、殺される関係でしかない」

「やめろ!」


 耐えきれなかったのだろう、クチナは思いっきり叫ぶと暴れ出し、自分を取り押さえていたオニの手を離れて、素早く蛇斬を抜いた。

 警戒するオニや大鴉達には目もくれず、彼女はまっすぐ筆頭を睨む。恨みのこもったその目で蛇斬を振るうと、そのまま真っ直ぐ筆頭へと飛び掛かった。


姉様あねさま!」

「いい、下がっていろ」


 慌てるオニ達とは裏腹に、澄まし顔で筆頭は黒霧の刀を何処からともなく抜く。そして冷静にクチナの攻撃を防ぐと、一払いでその身体を突き飛ばした。


「我武者羅に斬りかかったところで時間の無駄だ。やるなら私の首を狙うがいい。ここで私を斬り捨てられるのなら、お前を阻める者など何処にもないだろうよ。その後、好きにするといい。大蛇様の手の届かぬところで、ネネ様を絶望させるがいい」

「姉様、何を――」


 咎めるオニ達に耳も傾けず、その目は鳶色のままクチナを見つめていた。

 一方、クチナの目はネネが震えるほど赤く染まっていた。怒りに満ちているのは何故か。勝手に自分の事を喋られたからなのか、それとも――。


 ――クチナ……。


 心に浮かぶのは憐れみか、恐れか、悲しみか。ネネは分からずとも、それでも確かに感じていた。心の中には残っている。クチナへの期待と親しみがどうしても消えずに遺されたままだった。


「お前に何が分かる!」


 泣き叫びながらクチナは筆頭に斬りかかった。


「わたしとネネの何が分かるっていうんだ!」


 感情的なその攻撃を、筆頭は冷静に避ける。

 素顔であるはずなのに、面を被っているようだとネネは感じた。そのくらい、筆頭のクチナに対する視線は冷たい。そんな姉に対し、クチナは蛇斬を見せつけながら吠えるように言ったのだった。


「首を取る? ああ、やってやろうじゃないか」


 震えた声。怯えているようにも感じた。荒々しくて血生臭くてネネにとっては恐ろしいものだけれど、クチナの目に宿る赤には悲しみも存分に含まれているような気がして、それがとても気がかりだった。


「蛇斬を甘く見ているお前に、その名の由来を思う存分味わわせてやるよ」


 ――クチナ……。


 止めようにも止められない。

 ネネは固唾を飲んで見守った。


「決まりだ。皆、手を出すんじゃないぞ。一対一だ。全力で来るがいい、クチナ」


 筆頭が声を低めて言うと、間も置かずにクチナが動きだす。

 立ち向かっているはずなのに、まるで何かから逃げ出すかのよう。

 人形の里から攫われて以来、十日と少しばかりだというのに、ネネはもう何百回もクチナが誰かの血を流してくるのを見た気がした。滅多な相手では苦戦せず、数を数えるのも面倒なほどあっさりと倒してしまうことも多々あった。


 苦戦するのは高位のアヤカシの時。

 それでも、白鬼のように恐ろしい者が相手でも、クチナは勇気を振り絞って立ち向かっていった。運が味方しなければ命を落としていたこともあっただろう。しかし、クチナがこんなにも怯えを見せた事はあっただろうか。


 オニの監視の元、ネネもまた震えを感じながら戦いを見守った。

 怒声と共に斬りかかるクチナと、それを無言で避け続ける筆頭。黒い霧のような刀を持ってはいるが、ひと振りもしない。受け流す事さえもせずに、ただ単にクチナの攻撃をかわすだけ。時間が経てば経つほど、クチナは焦りを強めていく。


 その焦りを振り払うように、クチナは声を張り上げた。

 目がさらに赤くなったかと思えば、今までを凌駕する速さで大地を駆け抜け、筆頭の懐めがけて飛び掛かっていった。狙うは本当に首なのだろう。実の姉であっても、躊躇いは見受けられない。


 ――本気なのね、クチナ。


 本気でネネとの未来を勝ち取ろうとしている。それはこれまでネネの信じた未来の為か、それとも。


 しかし、何であってにせよ、その本気の一撃は、筆頭の首を捉える前に黒い霧の刀によって受け流されてしまった。反動で怯むクチナを見逃すはずもなく、筆頭もまた刀で躊躇いもなく実の妹を斬りつけ、間髪いれずに蹴り飛ばした。

 悲痛なクチナの悲鳴と流れ出す血の色に、ネネの頭の中は真っ白になった。


「クチナ!」


 助けなければ。癒さなければ。

 そんな思いがネネを走らせる。目指すはクチナの倒れた場所。今も呻き、傷の痛みに顔を歪ませている場所。だが、そんなネネの動きに気付いた筆頭は、怒鳴るように仲間に命じた。


「ネネ様を」


 皆まで言わずとも、オニ達は動きだす。下位のアヤカシでさえも脅威であるネネが、オニ相手に逃げ惑えるはずもない。あっさりと捕まり、クチナに触れることさえ許されなくなってしまった。


「クチナ……ああ、お願い、お願いです。放してください!」


 嘆くネネの様子を、感情の乏しい顔で筆頭は見つめる。


「なりません。あれを癒して貰う訳にはいかない。まだ勝負はついていないのですから」


 筆頭の言う通り、クチナはまだ屈服していなかった。

 苦痛に歪む表情ながらも目は赤く、蛇斬は握りしめたまま。どうにかして筆頭の首を狙おうと、まだ戦うつもりでいる。無謀でしかない。ネネは血の気が引くのを感じた。クチナは既に深手を負っているのだ。いくら頑丈とはいっても、もう戦えるはずもない。

 それなのに、筆頭は黒い霧の刀を手にして、立つことも出来ないクチナの元へとゆっくりと歩み寄っていくのだ。


「まだ抗うのなら、こちらも全力で行くぞ」

「お願いです、もうやめてください!」


 ネネは必死に訴えた。

 その訴えが届かないと分かっていても、訴えずにはいられなかった。


 筆頭に躊躇いはなかった。そしてクチナもまた悲鳴があがるまでその目の色を変えたりしなかった。あまりに残酷に、そして、あっという間に、勝敗は決してしまった。

 黒い霧の刀よりどす黒い赤色のクチナの血が垂れている。もはや睨みつける力も残ってはいないだろう。それでも死なずに、クチナは虫の息のまま筆頭の足元で蹲っていた。いかに黒の少女でも、明日、明後日では治らぬ怪我であるだろう。


「お願い……」


 弱り切ったクチナの姿は、ネネを更に焦らせた。


「お願い、放して。クチナに触れさせて!」


 その訴えは虚しく響く。

 オニは誰も聞いてくれなかった。筆頭も同じ。筆頭の視線はただじっとクチナへと向けられていた。息をするのがやっとである妹の姿を見つめ、その額を撫でるように触れてから、ようやくオニの仲間たちへと向き直った。


「目的を果たした。すぐに引き返す」


 そして、その目を遠くで見守っていた大鴉へと向ける。


「騒がせて申し訳ない。この詫びは白鬼の首で容赦頂けると有りがたい」


 筆頭の見つめる先では、大鴉の大将格と思しき者が白鬼の首を握りしめたまま立っている。面に隠れたその顔がどんな表情をしているかは分からないが、その者はゆっくりと頭を下げて、応えた。


「勿論、そのつもりの事。あなた方の宝を無事に御返しできて何よりです」


 ネネはちらりと周囲を見つめた。いつの間にか、キツたちの一部――傷の浅い者たちもこの様子を窺い、ほっとした様子だった。別の大鴉は負傷した双子熊を大事そうに抱えている。そこまで見たところで、ネネはオニの一人に抱えられてしまった。


 大鴉と会話を交わした後、筆頭は逃げることも出来ないクチナをそっと抱きあげた。その表情に含まれる感情はごく浅いものだが、労わりのようなものが含まれているようにネネは感じた。何にせよ、筆頭が傷つけ、全てを封じてしまったのには変わりない。この状況はもはや覆せないだろう。


 ――ああ、終わってしまった。


 オニの一人に抱かれながら、ネネは静かに涙を浮かべた。


 ――わたし達の夢が……終わってしまった。


 それはネネにとって、あまりに悲しい現実だった。

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