#9 キャプテン・チーム・意識の意志
半年。それは凄く短い期間だった。ロサンゼルスに向かうその日が来る一週間前。八神監督が、皆にプレゼントを渡した。それは新しいバスケットシューズだった。
「今のうちに履き慣らしておきなさい」
八神監督は、そう言って配った。あたし達のバスケットシューズはもうボロボロになっていた。
「後、一週間で、渡米だ。皆分かっていると思うが、気合を入れて行け!」
「チーム名は何て付けるんですか?」
雫が問いかけていた。そう言えば、決まってなかった。それに、AチームBチームのそれぞれのキャプテン、副キャプテンも決まっていない。
「好きなように名前は付けろ。提出は渡米前まで。それじゃあ、練習を始めろ!」
あたし達は、新しいシューズを履き、そして気持ちを新たに練習に入った。
あの日から一年が経とうとしてるんだ……一気に駆け抜けて来た気がする。右も左も分からない日本に来て、日本語に戸惑いそして、仲間と交し合ってきた友情はあたしの支えだった。
絶望と怒りもあった。だけど、それももうあたしの中の疑問を打ち消してくれた。後は、これからの旅立ちに必要な心構えだけ。目的達成のその時まで、あたし達はまだまだ頑張らなければならない。
いつもと変わらない練習。それでも、新たな気持ちで取り組んだ。新鮮さがそこに有った。
もう、あたしの苦手な物は克服できた。ディフェンスでは春樹に抜かれることが無くなった。逆にスティールすることも出来るようになっている。成長する自分が楽しかった。
雫もかなり身長が伸びていた。今では真と同じくらいの身長になっている。友則は丁寧に物事を判断できるようになった。健二は、リバウンドに磨きが掛かった。ゴール下では亮と薫を押し留めることが可能になっている。柔軟性が出来てきた。真は力強い積極性が出来た。
見事なまでに成長を遂げた。これって凄いことだよね?何処までも成長を楽しめる。人間ならではの面白さ!エンジニアでいるより、選手としての自分が凄く好き!素直にそう思える。 ああ、気持ちが良い〜!最高だ!
そんな感傷に浸っていると、涙が出てきた。
「アイーシャ!何、泣いてんのさ!」
雫が、あたしを見て珍しくオロオロしていた。こんな雫見たこと無かった。
「嬉しいからだよ!嬉し泣き!涙腺緩んじゃったよ。チキショー!」
涙を見られて恥ずかしいって思った。だから思わず腕で涙をゴシゴシと拭った。でも、目が真っ赤。まるでウサギみたいに……
「素直になれよ〜アイーシャ?」
ああ、それは分かってる。喜怒哀楽って必要だよね。あたしはそんな事を感じながら、皆を見た。イキイキとした表情。ああ、このまま時が過ぎていけば良いのに……何故か皆と離れ離れになってしまう気がしてくる。
不安?これは不安なの?でもどうして?
不安なんか感じる様な要素はここには無いのに。何故だかこれからの事を考えると落ち着かない。渡米を前に気持ちがあらぬ方に揺さぶられているとでも言うのだろうか?いい加減目覚めないと!あたしが今ここに居ると言う真実は代わりの無い物なんだから!
「それじゃ、試合を始めるぞ!」
八神監督が、皆を集めた。あたしはその言葉を聞いて皆と共に集まった。しかし何かおかしい。遠くで何かを言っている気がする。何だろう?聴き取りがたい。何を言ってるの?監督!聞こえないよ!存在が、気配が、あたしの前から遠退いていく……気付くと真っ暗な世界にあたしは身を投じてしまっていた。
「アイーシャ!大丈夫か?」
何?これは……
「雫?あたしどうしたの?」
訳が分からない状態で腰から起き上がった。何だかフラフラする。
「どうしたの?はこっちの台詞だぜ!急に倒れやがって!」
倒れた?あたしが?ああ、そう言えば何だか視界が揺れた覚えがある。
「少し熱っぽいぞお前。体調が悪いならそう言えよな?」
体調が悪いとかそんなこと思わなかった。ただ、存在があやふやで。
「雫、ちゃんとここに居るよね?あたしの前に居るよね?」
急に気になった。見えてる物が本当にそこに在るのか?その心配。でも、雫があたしの頬に手を寄せてくれてちゃんと存在していることが確認出来たから、あたしはやっと落ち着けた。良かった。ちゃんと居るんだ。
「疲労かな?今日は見学しておけ。八神監督が、帰りは車で運んでくれるそうだから」
「あ、うん」
あたしは、素直に頷いた。皆が寄せ集めてきた衣服があたしの身体に掛けられていた。
汗と埃の匂いがする。生きてる証だと分かってほっとした。
「アイーシャ?」
八神監督が、あたしに声を掛けてきた。
「無理、させ過ぎたか?この僕は……」
「いいえ?」
八神監督は、試合の審判をしながら考え事をしているようだ。あ、あたしのチーム四人しか居ないから、かなり苦戦してる。それに、さっき雫がここに居たって事は、それまで三人でやっていたことになるのだろうか?
今日負けると、百八十二対百八十一、七引き分けになって先を越される……こんな時だってのに勝ち負けを意識してしまった。
「そう。なら良いんだ……あの時、君を助けた事が本当に良かったのか?悩んだことも有る……アイーシャ?君はもう、僕が何者なのかを知っているね?」
まるで、誰かに聞いて知っているかの様に話す。この人は自分の存在をどう思っているんだろう?
「日本の総理大臣。ってことですか?半年前位に知りました。そして皆にも話を聞きました……」
何故か、言葉を紡ぐのが難しい。勝手に人の秘密を知ってしまっているという罪悪感から来るものなのだろうか?
「別に、隠そうとか、そんな事は思ってはいなかったんだ。でもね、君は余りにも世界を知らなさ過ぎたから。言っても信じてもらえないだろう?そういうのが頭から有ったんだ。その辺は、許して欲しい。でもここに残ってくれたと言う事が、これからの世界を変えることになる一歩だった。僕には君が必要だった。そして、この日本にも」
それは、あたしがここに居て良いってことですか?
「あのヒューマノイドの試合で君を一目見て判った。人間だってね。僕は偶然あそこに居た。ヒューマノイドばかりだから、大した物を見れるとは思ってはいなかった。ただ、現状把握だけをしたかった。何処まで人に近いヒューマノイドを造っているのだろうか?その研究」
研究?只その為だけにあそこに居合わせていたのか。
「社会人のエンジニアが造り出して来たヒューマノイドのプレーも見てきた。でも、ピンと来るものは無かった。全部偽者に感じた」
そうかな?あたしには、やはり格差って物を感じずにはいられなかったが?所詮中学生が造るヒューマノイドが、社会人の造るヒューマノイドに勝る物はない。それに、あたしは、社会人の造ったヒューマノイドを見て育った。ちゃんと生きているように見えた。でも、テレビという媒体を通しての感想だ。実際にこの目で見た訳ではない。
「アイーシャは、テレビでしか見たこと無いんだろうね?知っていたかい?あのテレビ放送は、すべて過去の映像で有るのだと言う事を……」
「過去?って……どういうこと?」
じゃあ、本当の社会人の造ったヒューマノイドの試合は?あたしの両親が造り上げていた物は!
「放送されているのは録画された、何千年も前の過去の遺産。本物の人間の試合だ。実際のヒューマノイドの試合は、ごく僅かしか無い。それも各国のお偉いさん方の目の保養用の為だけに用意されている。だから、一般の者達がその試合を見ることは禁止されている。極秘の事だ」
トレーニングルームや、施設は?あたしの両親がやってきた事は、そういう人達用の極秘の仕事?それって重要な(シー)問題じゃない!何故問題にならないの?全てが虚像の世界だって言うのに!
「次世代を創る為の只のまやかしに過ぎないからだ。『自分達は、こういう物が造れます!これ以上を造りましょう!』それを目標にして向上心を掻き立て、やる気を出させる。皆騙され、そして完全な物を目指す。有り得ないのにな?」
ん?有り得ない?
「人間は不完全な物。そんな物から完全な物を造り上げる事など出来ない。気付いている筈なのに……それを求める。ならばいっそ、不完全な物のままでいた方が素晴らしいと言うのに!」
そこで、雫が春樹の手を叩いてしまったらしい。八神監督は、審判の仕事を忘れてなどいなかった。ファールの警告。
「雫、ハッキング!オフェンスボール!」
時間が今に戻った。ハッとあたしは試合に眼を向けた。あたしが居ないから、かなり厳しい状況だ。一人居ないだけで、チームはガタンと形を変える。五人と言う人数。そして仲間。信頼が出来るからこそ成り立つ種目。
人間だから勿論感情が有るし、必要以上に拘る。だから、ヒューマノイドに一縷の望みを見い出した。が、それも只の虚像。何を持って完全なる世界を作ることが出来るのであろうか?いや、無いであろう。
試合は続行した。
「八神監督?一つだけ訊いて良いですか?」
始まった試合を見ながら、あたしが今度は問いかけた。
「世界を変える為に、あたし達は存在するんですよね?」
肝心な事。信用して良いのだろうか?この日本の総理大臣である、八神監督を。この人には疑問しか持っていなかった。でも、信じられる物が欲しい。これって、只のあたしのエゴだけどそれが必要なんだと判った。
「そうだよ。そして、僕も君達を信頼している」
八神はそう言って、滅多に見せない表情であたしに笑い掛けてくれた。安心しなさい。そう言っているように見えた。
試合はその後直ぐに終了した。あたし達のチームの完全なる負け試合だった。
「所で、キャプテンは誰がやる?」
あたしが車で送られて、皆が自転車でプレハブに戻った後、それぞれ話を切り出した。丁度、輪を作るかのように。勿論、直ぐ横では春樹達も話し合いを行っていた。
「健二で良いじゃん。一番の年寄りなんだし」
雫は面倒だって顔をしてそっけなく言った。
「良いじゃんで、済まされるのか!」
真面目一本やりの健二は反論した。反論もしたくなるだろう。だって、このチームの方向性は健二の性格に一致してないのだから。誰が見ても、ポイントガードの性格が滲み出たプレーが大いに目立つ。
「もっと、真剣に考えてだな〜」
健二は指を立てて真剣に考えろと言っている。それを真は、
「一理あるね?」
珍しく本気。話に乗ってきた。
「僕が考えるに、年とか関係ないと思うんだ。まず、チームの方向性が重要!僕たちのチームは、アイーシャ?君に掛かってる。今日プレーをしてて思ったんだ。君がいないとどうもしっくり来ない。君がキャプテンをやるべきだと思う」
突然一番味噌っかすのあたしに話が振られた。
「ちょっと待った!あたしがキャプテン?」
健二や真を差し置いて、そんな大役出来る訳無いじゃないか!そりゃ、経験が無いとは言わないけどさ……
「友則、雫!何とか言ってよ〜!」
でも、あたしの意志など関係なく、
「あ、それ良いじゃん!俺、賛成〜!」
友則はあっさり言って退けた。賛成って……雫、何か言ってやってよ!あたしは、眼で訴えるように雫を見た。でも雫は、
「俺も賛成。アイーシャがキャプテンだったら、ポイントガードの力を十分世間に示せるし?」
あらら……そんな意見があり、多数決で決まった。チームのキャプテン・アイーシャ軍団。
「じゃあ、副キャプテンは……?」
むくれてあたしは言った。キャプテンを支えるのは、副キャプテンの大事な役目だ。
「アイーシャの事、良く判ってる奴がやれば良いじゃん?」
それって、誰よ?あたしは周りを見渡した。
「真、お前やれば?」
雫は、ケロッとした顔で言った。何ともあっさり言ってのけるな。こいつ……
「僕?僕より雫の方が良いだろ?アイーシャ?」
え?ドキッとした。イキナリあたしに話を振らないでよ!ある意味、あたしを誰が一番理解出来てるか?って事は、あたしと一番親しいのは誰か?に繋がるだろう〜!ああ、これを女のあたしが決めろって事?男が決めろ!って言いたい。日本男児の名が泣くぞ!
「真だろ?」
「雫だよ!」
ああ、揉めてる……
「多数決採れば?」
友則は我、関せずだし……健二と言えば、
「う〜んどっちもどっちだよな?」
って考え込んでる。決めるのはあたしなのかい!
「キャプテンが決めれば?」
ああ出たよ……お得意の無責任発言。こういう時は、健二も別に何も反論しない。全く頭を抱えてしまう。とにかく落ち着こう。
真は、確かに優しいし、気配りが出来る。頼ろうと思えばきちんと応えてくれるだろう。だから、素直に甘えることが出来る。
雫は、勝手に判断してしまう。けど、そのヨミは正しい。こちらから言わなくて良いだけ気が楽だ。
「ん〜じゃ、あたしが決める!」
あたしは立ち上がって力説でもするかの勢いを見せていた。後の四人は驚いてあたしを仰ぎ見ていた。何が始まるんだと隣も目を見張り始めた。
「し……」
「し?」
皆が見ている。何だ、この視線は……
「し、雫!あんたがやんなさい!」
ドッと皆が沸いた。何だ?この有様は?
「あはははは〜やっぱ雫じゃん!」
「へ?」
あたしは、素っ頓狂な声を出して突っ立ってしまっていた。
「はいはい。掛け金、ここに入れてね〜」
もう皆大騒ぎ。何だこれは?友則が、茶色い小袋を持って周りをうろついている。そして、あたしは初めてここで気が付いたのだった。あたしが、車で移動している間に賭けをやったんだと。何にも知らないからって……こいつら〜
「そのお金、没収!」
駆けずり回ってあたしは友則を捕まえた。そして、家計の足しにしたのは言うまでもない。
チーム名は、『南風』
日本名でそう決まった。
「何で南なのさ?東じゃないの?」
東洋の国、日本。なら東が当たり前だと思った。
「寒い国だろ?ここは……だから南国にちなんで南。気分的に気持ちが良いだろう?風は流動的で、躍動感がある。だから『南風』」
名付け親は雫。あたしはこう言うの考えるの苦手だから、副キャプテンになった雫に頼んだ。皆反対しなかった。あたしは説明を聞いて納得し、そして心から良い名前だなと思った。
「さて、渡米は来週です。まず、皆体調を整えておいてください!練習も、微調整へと移します。でと、ふつつかなキャプテンですが、宜しくお願いします!」
最後にあたしは締めくくった。もう、夜中になる。身体を休めないと……特に言いだしっぺのあたしは!只でさえ今日倒れてしまった。こんな迷惑を掛ける訳には行かない。それは、責任感から来るものであるし、ヒューマノイドとして参加するのであれば、試合放棄になってしまう。
しかし、革命はどうやるつもりなんだろう?ふと疑問が出来た。ヒューマノイドとして参加し、本当は違います!って言い出すつもりなのだろうか?そんな事で人が感動するとは思えない。きっと、あたしがあの時出場してしまった様に、観客は批判するだろう。それだけで済むだろうか?国家を賭けた一大博打。そんな波乱が起こる気がする。
眠りに就く。心地が良い夢を見た気がする。
何だろうこれ?ああ、暖かい。まるで、太陽の下のんびりとしているような気がする。いつまでもこのままで居たい。そんな抽象的な夢だったような気がした。