#4 ポジション
「朝だぜ!起きろ〜!」
ガンガンと耳元近くで鳴り響く鉄の音。何が起こったんだとあたしは跳ね起きた。
「何!」
あたしは、冷たい空気を感じて、再び布団を引き寄せていた。
「朝。起きろ」
せっかく引き寄せた布団を、健二が引っぺがした。
「何時よ。今……」
まだまどろみの中にいたい気分。
「六時!もう皆起床してるぞ!起きてないのは、アイーシャ、お前だけ!」
周りを見回した。あ、本当だ。あたし以外もう着替え終わってる。
あたしは渋々起き上がり、着替えを始めた。寝惚けていた為、周りが男だと言う事さえ忘れていた。パジャマの上を脱ごうと裾を引っ張り上げた時、ふと、視線が気になり寝ぼけ眼で振り返った。皆がこっちを見ていた。
「見てんじゃないわよ!バカ〜!変態!痴漢!」
思わず自分の荷物の一部を投げつけ叫んでしまった。皆は笑いながら外に出て行った。本当に、疲れる生活だ。
外は、朝が早い為か風が肌を刺す様に冷たかった。そこに、ラジカセを持って健二が立ちはだかった。
「おはよう!皆。朝飯前のストレッチを始める!位置に付け!」
って、何だかこれからやり始める気らしい。健二が、地面にラジカセを置くと、皆が配置に付くように並んだ。暫くすると音楽が流れてきた。日本語の男の人の声と音楽。何だこれ?歌か?
あたしは訳も判らず皆を見ていた。すると一斉にリズムに合わせて踊り出した。
「?」
何じゃこりゃ?思わず吹き出してしまった。それを、
「アイーシャ?これはラジオ体操と言って、朝の柔軟には効果的なんだよ?」
横に居る真がそう言った。が、朝、ストレッチ以外は解からない。まあ、皆もやっているし真似をしてみた。その内に体がホカホカとしてきた。ああ、体操か?位に思った。
今日の朝御飯は健二と、真が作る予定になっているらしく、慌しくキッチンで物音を立っていた。
不思議そうにキッチンを覗いているあたしに気が付いたのか、雫が、
「ご飯の用意は、一日交代なんだよ。朝と夕方の二回。特に朝はキツイよな〜残った材料で作らなきゃならないしさ?」
「その上、眠たいしね……」
雫が欠伸をしているのを捕まえて、あたしは意地の悪い事を言ってのける。
「あはは〜バレてるのね?良いけど……」
その通りと言わんばかりに、雫は頭を掻いていた。
「あ、悪いんだけど、また日本語教えてくれる?練習はお昼からなんでしょ?」
「あ、うん良いぜ〜」
あたしと雫は二人して日本語の勉強を始めた。雫は別に面倒臭がらないから、親しみが沸く。それに話しやすい。同じ年だからだろうか?接しやすい気がした。
その頃の皆。友則は外でランニング。英治、亮は読書。春樹はストレッチ。薫は腕立て伏せ。陸は腹筋とそれぞれのことをしていた。
三十分経った頃であろうか?健二と真が朝御飯の用意をするように言い渡した。流石年長者であり、キャプテンと副キャプテン。威厳が違う。皆ゾロゾロと集まった。
「健二?今日の味噌汁少しダシが薄いぜ?」
文句を垂れたのは、のっぽの薫だった。
「それは俺のせいではない!真だ!」
「僕の?全く都合が良いですね、あなたは……皆?キャプテンが嘘付く時は、鼻を見て下さいね?」
にこやかに、真は言った。
「何の事だよ!全く……」
あ、鼻が膨れた。自分で気が付いてない様子が可笑しくて、ドッと爆笑した。
「五月蝿いな〜ったくここの連中は!」
健二の怒る顔はもう見慣れてきた。結構短気なんだと分かった気がする。怒らすのが面白い。ん?もしかしてあたしもその類に入るのか?気を付けよう……人の振り見て〜だなと。
しかし、この箸と言う物は使い辛い。皆が扱うようにやってみたがてんで使いこなせない。その様子を見ていたのか?隣に座っている雫が、
「こうやって、使うんだよ」
と、わざわざ使い方を教えてくれた。
「初めは慣れないかもな?俺達だって、使いこなすの難しかったもの?」
あの、ボール捌きが器用な春樹が言った。なら、分かる気がする。とあたしは頷いた。
「使えないようだったら、スプーン出そうか?何も無理して食べなくたって良いことだし?」
真が気を遣ってくれたようだが、あたしは、それを断った。ここでこれから生活するのに日本の文化に慣れないのは……それに、負けず嫌いのあたしの性格が許さない。
「いいえ。このままで、良い、です」
かたこと日本語で、喋ってみた。
「おお〜アイーシャが日本語喋ってるぞ!」
皆がどよめいた。あたしはそれだけで少し嬉しい気分になった。もっと早く覚えよう。そうしたら、会話が出来るようになる。もっと、ここでの生活が楽しくなる。
あたしは気付くと、皆と一緒に笑うことが出来るようになっていた。
お昼になる頃、昨日と同じようにこのプレハブの小屋を出た。そして、新たなあたしの門出が始まる。自転車をこぎながら、身体を温める。これがこれからの日課。そう思うと、張り切る気持ちも、不安もごちゃごちゃと頭を巡る。皆も少し考えることが有るのだろう?何も話すことなく自転車をこいでいた。
時代遅れの建物の中に入ると、既に八神がパイプ椅子に座っていた。
「こんにちは!八神監督!」
皆が皆、八神に声を掛けて頭を下げる。
着替えを終え、モップがけの掃除が終わると、柔軟体操を行った。昨日と同じだ。その後軽くランニング。そして、フットワークを終えるとボールを使ってのパスの練習。
全て基礎の基礎。そんな中、あたしはかなりの疲労感を感じていた。端から見てるだけならそう大変ではないように思えたけど、実際やってみるとかなりキツイ。あたし一人ゼエゼエ肩で息をついていた。特に、フットワークはあたしの身体を消耗させた。身体を低い体勢にキープしなければならなかったからだ。
それから、昨日あたしが不安に思っていた連続タップの練習が始まった。五人でのこのタップ。難しい上に疲れる。
いつもあたしの所に来ると、詰まる。流れ的に止まるのだ。
「アイーシャ?空中にジャンプするだろう?その時に、一時溜めるんだよ。空中で止まるように!そうしたら、ボールを置いてくるように手放す。まあ、この練習苦痛でも何とも無いぜ?」
雫はそう言った。言葉で言うのは簡単なのよ……体がそれに付いて行かないと意味が無いでしょ?と言ってやりたいが、そこはあたしの頑固な所。
「了解!」
負けず嫌いは治らない。
「空中で、止まるようにと……」
考えながらやると、今度はジャンプしボールを取るタイミングが合わない。身体で覚えるしかないのかな?と思い始めていると、
「うーん。練習にならないな……アイーシャ?壁に向かって一人で練習して来い!」
健二が溜息をつきながら、壁を指差した。
「う……はい」
悔しいけど、邪魔にしかならないなら、その方が良いかも知れない。
あたしは言われた通り、壁で練習を始めた。
壁でやると、自分一人でのタップ練習になり、さっきまでの流れは無くなった。気になる物が排除されたわけだ。
より高い所でボールを取る。それから、空中で少し身体を止めるようにしてボールを放つ。その練習を何度も何度も繰り返した。少しだけコツらしい物は掴めた様な気がする。
その練習が終わったら、今度はドリブルシュートの練習。
これは、あたしが何度もやって来た事だから苦でも何でもない。逆にウキウキして臨んだ。基本のレイアップシュートは得意中の得意。だから、練習も楽しく出来た。
「アイーシャ?これは少し様になるな?」
雫が苦笑いで言った。
「これだけはね……」
あたしには雫の苦笑いの意味が判らなかった。
「雫?アイーシャにドリブルの基礎教えとけ!」
「ほーい!」
しかし、健二はあたしのドリブルが気に入らなかったのだろう。雫に言って聞かせていた。
「アイーシャ?こっちに来いよ」
雫は、コートの空いた所にあたしを呼んで、ドリブルの基礎を教え始めた。
「もっと腰を下げる!重心は体の中心。そして、ボールは後ろから前に少しスナップを利かせる様に回転を加える!」
「はい……」
あたしのドリブルって、ただボールを下に叩きつけているだけの物だと見えているらしい。確かに、そう見えるだろうな。他の皆がドリブルをしてるのを意識して見ると、違うんだなと初めて分かった。皆がシュート練習している間あたしは、ドリブルの練習だけを行った。基本を教えてくれている雫に集中しながらも……またもや前途多難だ。
そして、ドリブルシュートの各練習が終わった所で、八神があたし達皆を集めた。
「今日は、昨日話しておいたチーム分けのメンバーを発表する。考えに考えた末、次の様に変わった。まず、Aチームは健二、真、友則、雫、アイーシャ。そしてBチームは、薫、亮、陸、英治、春樹。何か意見が有る者は居ないか?」
あたしが、Aチーム?キャプテンの健二に、副キャプテンの真。友則に、雫。で、あたし。それがチーム……
「あ、はい!八神監督!訊きたい事が有るんですが?」
英治が挙手して八神に何か言っている。
「キャプテンと、副キャプテンを一緒のチームにしてしまって良いんでしょうか?」
その言葉に、健二と真は確かにそうだと言う表情で顔を見合わせていた。
「アイーシャが何処まで成長するか?それを考えての配慮だ。今のままではまず、こういう方法を取らなければならない。他に質問は?無ければ、各ポジションについて発表するつもりだが?」
英治以外の質問は無かった。
「ならば、ポジションについての発表だ。まだまだ成長期だから、変更は可能だが、僕の意見として言わせてもらう。まず、健二。変更無くセンター。真、変更無くスモールフォワード。友則変更無くパワーフォワード。雫、変わりなく……と言いたいが?オールラウンドでやってもらう。アイ―……」
「ちょっと待った!」
雫が、あたしのポジションを八神が話そうとした瞬間、口を挟んだ。
「俺、無理です!オールラウンドだ何て!この背ですよ?センターもフォワードも向かない!ポイントガードにして下さい!と言うか、ポイントガードが良いです!」
あっさり本音を言い出してしまった。自分に素直だな。
「あ、まあ〜今まで一番馴染んでいたから分かるけれども、僕は君の成長を面白く感じているんだ。ここは、一歩引いてくれないか?」
ポイントガード。それは、ゲーム自体を作り上げる要。言うなれば、頭脳だ。バスケットが好きで、ゲームを楽しむことが出来る者は、このポジションを大切に感じているはず。
勿論、得点の要となるセンターやフォワードも欠かせない。けれど、身長の低い者が憧れるポジションはやはり、ポイントガードであろう。それを、オールラウンドだなんてと思うのも分からない心境ではないであろう。
「じゃあ、誰がポイントガードを?」
雫は一歩も引かない様子である。
「アイーシャ。お前だ!」
当然残っているのはあたし。覚悟はしていた。ああ、雫の視線が痛い……
「アイーシャにやらせるんですか?ポイントガードを?笑わせるな!じゃあ、言わせてもらいますが、これから一週間で俺とアイーシャのどちらがポイントガードに向いているか?それをテストしてもらおうじゃ有りませんか!」
ああ、雫が反撃に出ている。言葉は解らないけれど、確かに、悪意を感じる。
「ちょっと待て?オールラウンドは、ポイントガードも兼ねての事だ!何もそこまでムキになる必要は無いだろう?雫?」
八神は雫に言い聞かせようとした。しかし、雫は口をへの字に曲げて聞き入れようとはしていなかった。
「そこまで意地を張るならば、分かった。一週間のテスト期間をお前達にやる。アイーシャ?雫と競争をしろ!それで納得いく道をお前達で選べ!」
「はい」
あたしと、雫は返事をした。何だか嫌な雲行きだ。
「次にBチーム。薫、変更無くセンター。亮、変更無くセンター。陸、スモールフォワード。英治、ポイントガードと言いたい所だが、パワーフォワード。春樹、ポイントガード。以上だ!」
Bチームは何も問題は起こらなかった。変更のあった英治だったが、自らの身長がフォワードとしても生きるから、別にこだわりがあるようではない。あたしは、そんなBチームを羨ましく思った。これからの一週間、あたしは、雫と張り合わないといけない。仲良くやって来たのに、何て事だろう?たった一日でこの関係を清算しなければならないのか?そんなことを考えながら、練習に戻ろうとした時、
「アイーシャ?宜しく!」
雫が、右手を差し出してきた。
「何?」
「握手!どういう結果になっても、チームはチームだ!俺は喧嘩がしたい訳じゃ無いからな!正々堂々と勝負だ!」
「そう言う事ね?判ったわ!宜しく!」
あたしは、雫の言葉に少し気分を入れ替えた。そして、硬く握手を交わしたのであった。
八神の収集が終わると、各チームでの練習に早速変わった。
Bチームはキャプテンも副キャプテンも居ない為、仕切る者がいない。だからか、ポイントガードでムードメーカーの春樹が指示を出していた。遠目で見ていたが、一つ年上の薫達に比べれば向いている気がする。それを支えるのが、英治。粘り強さではこのチーム内で一番だからか、春樹の言う事を纏めていた。うん。あれならば、大丈夫だろう。
それにしても、問題はこちらだ。健二の指示は的確だ。で、ムードメーカーの真の言う事も的を射ているものばかり。けれど、何故だろう?お互いの主張が反発している物が見え隠れする。お互いが今まで仕切って来たからなのだろうか?主張がちぐはぐ。
その上、あたしと、雫の件で良いムードとは決して言えない。こんなので上手く行くのか?だんだん不安になって来た。
「あのさ、このままじゃチームとしてどうなんだかな?」
そんな中、友則があっけらかんと言ってのけた。何だ何だ?と思っていると、雫が隣に来て通訳してくれた。
「どういう意味だ?友則!」
健二は渋い顔で友則に詰め寄った。
「だって、キャプテンも副キャプテンも、言ってる事がお互い噛み合ってないじゃないか?これじゃ、このチームの色が分からない」
あ、同意見。健二の堅実なチームプレー重視と、真の柔軟な個人プレーでは噛み合わない。
「どうせなら、ここで決着して貰えば良いんじゃん?ポイントガードをどちらがやるか分からないお二人さんに……」
友則は意味有り気にあたしと雫を見比べた。
「雫とアイーシャにこのチームの柱になれと?まだ無理だ!」
健二ははっきりとそう言った。
しかし真は、
「面白そうじゃん?やってもらおうよ。別に僕は自由にプレーが出来れば文句は無い。副キャプテン自体、面倒臭いしね?」
にしても、真らしい言葉が返って来た。全く無責任なものである。綺麗に整った顔して言う事全く筋が通ってない。自分勝手だな〜
「おい、真!無責任にも程があるぞ?そういう考えで今までやって来たのか!」
真面目一本やりの健二がついに切れた。真に詰め寄り胸倉を掴んでいる。
「はいはい。お二人さんちょっと待った!俺はここでこのまま格闘を拝見するのも楽しいなって思うけど、練習をしたい。どうする?雫、アイーシャ?」
ここで、友則はあたし達に話を振った。どうするって言われても……あたしに何が出来る?まともに練習も出来ないのに!
それに相反して雫はニッコリと笑ってこの話に乗り始めた。
「これで、チームを引っ張ることが出来て、ポイントガードのポジション貰えるんなら俺としては何も文句は無いぜ?この申し出、承ったよ!」
断然、強気発言。あたしは頭がクラクラした。あたしはどうしたい?ポイントガードじゃなければ、もう何処のポジションも出来ない。只でさえ女だ。雫と違って、今の身長がこれ以上伸びるとも限らないし……いや、これは真剣に考えなければならないことだ。あやふやな気持ちで答えることは出来ないのである。悩みに悩んだ末、自らの重い腰を上げた。
「あたし、ポイントガード、したい」
まるで宣戦布告のようだなと思った。
「んじゃ、決まりだね?僕はのんびりと傍観視出来るし、楽しいよ」
「本気か!真?それで良いと思っているのか!」
健二は未だ拘っている。それもそうだ、今まで作り上げた物を一から訳の分からない者の手に委ねないといけないと言う事は無謀に近い。新しい事をやるって事は、それだけ危険を伴う事だ。
「冗談じゃ無いよ?勿論本気さ。どういう風に仕上がるか?楽しくない?」
真はこの意見に食いついた。
「そうですよ。健二さん?もうこうなったら、二人に任せてみましょうよ!じゃあ、多数決!これで良い人、手を挙げて〜」
友則が勝手に仕切った。勿論四対一で、健二は敗北。
「任せたよ!お二人さん?」
真はニッと笑って、これからの事に耳を傾けたのである。
「じゃあ、これから三対二の練習をする。俺と、友則と健二がディフェンス。真とアイーシャがオフェンス。三本取ったら交代。アイーシャ?お手並み拝見するよ!」
雫はクスリと笑ってあたしを見て、ポーンとボールを投げて渡した。何だか気分がスッキリしないけど、だけどあたしはとにかくこの雫とのゲームに負けることは出来ないんだと、改めて感じ取ったのであった。
三対二の初めての練習。味方は真。この個性を使っての攻め方は?短くドリブルをしながらあたしは、考えていた。今は、ゾーンでのディフェンス。真は外からの攻撃に使える。ならば……
あたしは、真がいる右サイドまでボールを運んで行った。雫がゴールを背にし、あたしの動きを見て、ガードしてくる。あたしはそれを見越して、雫をガードし、外にいる真にパスをする。
「真、シュート!」
「え?」
そう、狙ったら外さない。それが真の長所。
雫が、真を押さえに回ろうとしたのを身体で止めた。行かせない!
慌てて友則が駆け出し、押さえようとしたが、真の方が一足早かった。綺麗な弧を描いたボールはリングの中に吸い込まれるかのように入った。
「ナイス、シュート!」
あたしと真はお互いの手を叩いた。
「ヒュー。やるじゃん?真の使い方を理解ってるみたいだな?」
負け惜しみとかそう言う訳ではないらしい。雫は思った事を素直に口にするタイプだ。だから、嫌な気分にはならなかった。
「んじゃ、こちらはマンツーマンと行きますか?」
あたしには雫が、真には友則が付く。健二はどちらにでも対応できるように中心に待機。
何だか攻めづらいな……まず、この雫をどうにかしないといけない。そこが難しい。力の差は歴然。スティールされないように、雫に体を向けながら腰を下げドリブルして考える。ドリブルの注意は今日教えられた通りだ。ああ、初心者丸出し。だけど、何とかしないと……
あたしは、見よう見真似。昨日春樹がやって見せたビハインドザバックをやってみようと思いついた。左に行く振りをして、ボールを体の後ろに回し、素早く右手で受け取ると、
右に向かって走った。まさかやるとは思ってなかった雫は、上手く騙されてくれた。
「あっ!健二ヘルプ!」
抜いたそのカバーを健二に任せた。しかしあたしはきちんと、真の行動が見えていた。真も上手くフェイントで友則からフリーになっている。
あたしは素早くバウンドパスでここまで走ってくるだろうと予測出来た範囲にボールを送り込んだ。受け取った真はゴール下までボールをドリブルしていくと、ジャンプシュート。決まった!
「イエーイ!ナイスプレー!」
何だか上手い事行っているみたいだ。こう、上手く行くと気持ちが良い。
「すまん〜抜かれちまった!」
「ドンマイ!」
雫の顔が真剣になってくる。そりゃそうだ、ドリブルもまともに出来てなかったあたしが、この雫を抜いたのだから。余計に力が入るだろう。
「アイーシャ?お前、器用なんだな?」
ドリブルしているあたしに雫は話し掛けてきた。器用?なのかな?
「意外に見ていないようで見てる。うん。張り合い甲斐があるよ!」
そう言って笑った雫は、今度は真剣な表情で、あたしの前をガードした。
ピッタリと付いてくるディフェンス。隙がない。力では突っ込むことが出来ないし。昨日の雫みたいなダックインなんてあたしには到底出来ない。そうだ。分かっている。力では勝てない。ならば頭を使うしかない。
あたしは、真のいる方へと勢い良くドリブルして行った。勿論、雫も付いて来る。そして、友則をガードするように、スクリーンを掛ける。真にはボールを手渡した。丁度鉢合わせになった雫は、
「しまった!健二ヘルプ!」
健二は真を捕らえたが、ここは、真の演技力の勝ち。シュートすると見せかけて身体を沈め、ワンドリブル。一歩引いてジャンプシュート。勿論決めてくれたよこの男は!
「ちっ!やられた〜」
雫は、苦笑いして腕を組んでいた。
「これで交代ね?」
あたしは自慢げに腰に手を当てて、踏ん反り返っていた。
「アイーシャ、やるね〜!見直したよ。基本が出来て無くても、ゲームを理解ってる!」
真はニッと笑ってあたしの背中をバンっと叩いて行った。
「痛いよ、真〜」
あたしは、ゴホゴホと咽てしまった。
「さて、俺達も始めますか?」
雫は、ニンマリと含み笑いをして、あたしの手からボールを取り上げた。
「健二、友則、俺達も負けずにやろうぜ?」
ああ、張り切ってる。雫も負けず嫌いなんだなと、よく分かった。それでも素直に言葉に出せるのが羨ましい。
こちらは二人。あたしは、友則と、雫をマークしなければならない。腰を落として、動きを察知!後は基本を忠実に!目標を見失わないように!考える事はそれだけ。点を入れさせてなるものか!
「健二!相手は背が低いぞ!積極的に中に入れ!」
雫がそう言うと、健二はゴール下へと入り込む。あ、高さで対抗してくるつもりか?
思わず真を見てしまった。その隙を突いて、雫自らがお得意のダックインをかましてくる。
あたしはシマッタと、足が動かず雫の手を叩いてしまった。
「ハッキング!ディフェンスのファール……ね?」
雫は上手いこと言って、また、始めからやり直し。いや、ファールなのは分かってるけれどもね……ああ〜足が動かないと意味が無い。もっと、この辺りを重点的に練習しないと!
雫は、再びドリブルを始めた。友則の存在がやけに気になる。健二を使わずに、友則か?
などと、勘が先走る。チリチリと頭の何処かで鳴っている。
その通りだった。雫は、友則にパスを出した。あたしは、思わずバッと飛び出してそれをカットしていた。
「え?」
勝手に動いた足は、そのままそこで止まった。
「何で……分かった?」
雫は有り得ないと言った表情であたしを見た。いや、あたしにも分からない。どうして出来たのかなんて……あたしはボールを握り締めたまま突っ立っていた。そのボールを、雫は取り上げた。
「勘が良いんじゃないかな?」
真はのほほーんとそんな事を言っていた。
「もう一回行くぜ?」
またもや、雫がドリブルを始めた。低い体制。これはこのまま突っ込んでくるだろう。そんな予感がする。あたしは、友則を無視して雫の前にはだかる。すると、雫と正面衝突してしまい、あたしは床にお尻からドスンと倒れこんでいた。
「オフェンス、チャージング!」
真が、審判気取りでそう言った。
「俺か?ちょっと待てよ、今のはアイーシャのファールだろう?」
雫は、真に抗議していたが、健二も、友則も、そうだよって顔で見ている。
「雫の場合、力で攻めてるからそう見えるんだよ」
真は何故そうなのかを具体的に言った。
「そんなつもりは無いぜ!」
雫は思いっきり膨れ面をして言い返したが、誰から見てもそうなんだから仕方ない。
「分かったよ!ファール一個ね!」
ブツブツ言いながらも、あたしの腕を掴んで引き起こしてくれた。そして、もう一度仕切り直しだ。
「今度こそ得点に結び付けてやる!」
いきなり、ダックインしてきた、あたしは突然の事で擦り抜けた雫を追うことが出来なかった。それを追い掛けようとしたが、友則がスクリーンであたしをディフェンスしてきた。しまった!二対一に縺れ込んでしまう。あたしは気が付いたら、友則にフェイントを掛けて雫の後を追い掛ける。そして、後ろからボールを弾いた。勢いでボールはコート外へと飛んで行く。
「!」
皆が驚いていた。あたしだって驚いている。何故か体が勝手に動くからだ。考えるより先に体が動く。不思議な感覚だった。
「アイーシャ、お前……」
雫は不思議な物を見るような目であたしを見ていた。
「あ、今のはファールじゃ無いよね?」
自信が無いわけではないけれど、この感覚があたしをぐら付かせていた。
「ナイスカット!アイーシャ、少しはこっちにも華持たせてくんない?」
真は笑いながら言い切った。
雫は、逆に項垂れてしまった。
「一週間っての、もう良いや……ポイントガードはお前に任せる!」
雫は不本意だと思っているかも知れない。あたしは、何だか釈然としないけれど、ポイントガードを譲り受けてしまった。
「でも、オールラウンドでも、ポイントガードは出来るんだし……」
この言葉は、今の雫に対して失礼かな?
「……そうだよな?だからもう良いって言ったの。俺、八神監督の所に話しつけて来る!」
負けず嫌いの雫なのに、こうアッサリと引き下がるのは何故だろう?根に持たれるのも問題だけど、あっさりしているのも変な気がした。
「あ〜あ、一週間が一日?雫も張り合いの無い奴!」
友則は初めて英語でそんな風に、あたしに話し掛けて来た。もしかしたら、雫以外も皆英語を話せるのではなかろうか?そんな気がしてくる。じゃあ、今までのあたしの会話は筒抜け?ああ、自己嫌悪!でもそんな事で落ち込んでいられない。
「どう、思い、ます?」
雫の事が気になって訊いて見た。
「う〜ん。俺は、アイーシャの方がポイントガードとしては雫より向いてると思う。それを悟ったんじゃない?あいつ……」
友則は日本語でそう言った。あまり聞き取れなかったけれど、雫を傍観視した言葉を言っているような気がした。表情が、他人事のように感じられたからだった。
「ま、問題はないぜ。気にするなよな!」
友則が、あたしの金色の癖っ毛の髪をクシャクシャに混ぜてポンポンと叩いた。安心しろって事なのかな?それならば良いけれど。
雫は、依然とパイプ椅子に座っている八神と話している。八神が雫の肩をポンポンと叩いて何か言っているようだった。そして、雫は戻ってきた。
「これで問題はないよ。さてと、俺も心を入れ替えて練習に励みますか?」
八神は何と言ったんだろう?励ましの言葉?それとも、叱咤?判らない。ここに居る誰よりも八神の事はあたしには理解出来ない存在だった。