#3 考えられない一日
キャプテンの健二、副キャプテンの真、そして雫、友則、英治、春樹、薫、陸、亮。もう、名前は覚えた。
試合後、皆の笑顔が八神の下集っているのを見回した。誰も疑問すら持ち合わせていない様な笑顔だった。そんな中、
「明日からの練習では、チームの変更をする。アイーシャが入ったらまた違ったチームになるだろうと思われるからな。今日はこれで練習は終わりだ。そうそう、言っておくが、来年にはお前達を連れて、ロサンゼルスに行こうと思っている。これがどう言う事を意味するか?十分に考えて練習に励め。以上、解散!」
ロサンゼルス?って言った?今……
あたしは、皆がモップで掃除している中、一番気軽く話せるであろう雫を捕まえて問いかけていた。
「あん?お前何にも聞かされてないんだな?俺達は、八神監督の下で、ヒューマノイドとしてロサンゼルスでの試合に出るのさ。それが目的で俺達は今バスケットをやってるの。分かったら、お前も手伝えよ。掃除。この後、食料の買い出しして、飯作らなきゃなんないんだからさぁ〜言っとくけど、今日の飯当番は俺とお前だから」
雫は、ケロリとした顔で英語であたしにそう言った。
聞いてない〜!何だよそれは?確かにヒューマノイドとして働いて貰うとは言ってたけど、ロサンゼルスでなんて聞いてない!あたしの事が有ったってのに、何故なのよ?八神って一体何者なんだ?バレるに決まっているじゃない。こんな人間臭い人間達が、他に何処にも居ないでしょうが!
「アイーシャ!早く掃除しろって!」
何やら日本語で雫が言っている様だが、今のあたしの頭の中はパニック状態で、それどころじゃなかった。
「アイーシャ!」
そんなあたしの肩を叩いたのは、キャプテンの健二だった。流石にハッと気がついた。かなり高いところから見下ろされている気がした。そして、この威圧感。馬顔で刈り上げた頭はスッキリしている。
「お前もこのチームの一員なら、掃除をしろ!」
日本語で言っている。解かんないって!逃げ出したくなる。が、掴まった。
「掃除!」
健二があたしの手にモップの柄を握らせていた。
「……はい」
あたしは、仕方なくモップを握って足を動かした。広い建物。使ってもいない場所まで掃除した。こんな扱いは始めての事だった。
自転車で一時間掛けて戻ったプレハブの小屋。へとへとだった。皆が、部屋の中をうろついて、着替えをしているところを見ると、どうやらここに住むことになるらしい。にしても、汗臭いな〜一瞬にして浮浪者になった気分だった。
あたしはそんな中で、自分の荷物を自ら用意されていると教えてもらったスペースに入れた。色々手が掛かる。そんな時、雫があたしの所にやって来て、
「これから自転車で買い出しだ!さてと、今日のメニューはと……」
メニュー?雫が日本語でそんな事を言っているから、眺めている物を見た。
プレハブ小屋のキッチンは二人入るにはキツイ。献立はどうやら、一週間を分けて表にして書いているらしい。何とまあご丁寧な事で……
「今日は、木曜日だから、カレーか……面倒じゃなくて良かったぜ」
「カレーね……」
「んじゃま、行きますか?」
あたし達は、自転車に跨って富士山が見える方角へと道ならぬ道を走り抜けて行った。道案内は雫がしてくれるから、あたしはその後を付いていくだけだ。にしても、人っ子一人いない。本当に店なんて在るのか怪しい物だった。
そんな時、急な上り坂に出くわした。こんなの自転車で登れるわけ無いっ!て言う程の傾斜で、あたしは仕方なく自転車から降りた。しかし、雫は何も無いかのようにスイスイと上って行った。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
しかし、あたしの声が聞こえないらしく勝手に先に行ってしまった。悔しい!と思い、あたしは走りながら自転車を押した。
「雫の野郎〜初めから置いていくつもりだったのか!」
ゼエゼエ言いながら上った先に、雫は居た。
「とろいな〜皆、こんな坂くらい朝飯前だぜ?」
「何言ってるのか、解んないわよ〜!」
雫はニタニタ笑いながら、あたしの顔を覗き込んで、
「だから待っててやっただろ?」
狸顔の癖に生意気な〜!ムキになったあたしは、道も分からないのに勝手に自転車をこいでいた。
「アイーシャ!おい、そっちじゃないぞ?こっち!」
自転車に跨ったまま呼びかけられて、指をさされ、墓穴を掘っているあたしは、恥ずかしくなり顔を真っ赤にしていたことだろう。でも、力を使い果たしている今の私は、暑さで顔を赤らめていると勘違いされていた。
「お前、体大丈夫か?」
「……」
どうしてもっと素直になれないのか?いや、まあ、あたし自身が負けず嫌いなんだけどさ?って自慢にも何にもなりはしない。
その先をずっと進むと、野外販売の小さな店が出ていた。木であしらわれた露天商みたいな物?だった。
「俺、野菜類買い込んでくるから、ルーと、肉類買い込んで来てくれるか?肉は鳥な。これお金だから。うん。多分これで足りるはず。買い終わったら、ここに集合」
流石にここでは英語を話してくれた。
「はい」
あたしは、肉を買う為にウロウロと辺りを見渡した。古びた服を着た人でごちゃごちゃして分からない。只でさえ視界が悪いってのに!全く何処にこんな人達が隠れていたのだろう?と思うくらい人で溢れ返っていた。仕方なく、思い切って中に潜り込んだ。
「おっと!そこの姉ちゃん威勢が良いな?どうだいこの魚!獲れたて、新鮮だよ〜!」
何を言っているのかさっぱりだ。見た所、魚を手で持ち上げているから、望んでいる物とは違う事は判った。
「ノー!」
あたしはそうやって、色々な勧誘?を切り抜け、やっとの思いで必要な物を買い尽くし、
元の場所まで戻って来れた。
「確かに……どう?慣れた?」
雫は既に買い終えて、あたしを待っていた。そして、買い物袋の中身を眺めてそう言った。
「慣れるも何も無いだろう!殆ど押し売りじゃ無いか!」
まくし立てるあたしを宥める様に、
「これが普通なのさ。ロサンゼルスがどうなのか知らないけどさ?」
クククと笑って、自転車に跨ると、
「戻るぜ!これ以上時間を掛けることは出来ないから!」
また日本語を使う。ちくしょう!良い奴何だか、悪い奴何だか判らない〜!
買い物籠に一杯入った食材を乗せて、あたし達はあのプレハブ小屋に戻った。行きに有ったあの坂は、帰りは楽だった。
「たっだいま〜」
雫はノリノリで、ドアを開ける。中では、筋トレをする者。読書に勤しむ者。等などで一杯だった。また胸焼けがする。男所帯は慣れているはずなのに、息が詰まる気分。
「遅かったな?明日の分まで買って来たなんて言うんじゃないだろうな?」
友則が、黒く長い髪を結びながら言った。
「んなんじゃないけど、アイーシャがまだ慣れてなくってね?」
「なら、お前が全部買ってやれば良いじゃ無いか?いつもお前が買い出しに行く時はそうだったんだから」
真がそっけない感じで言った。
でも、あたしには何を言っているのかさっぱりだった。
「慣れなきゃ意味無いだろ?それとも、俺達がアイーシャに合わせる事が出来ないって言うんじゃないだろう?」
おいおい、何だかこじれている気がするぞ?と思っていた所に、
「何でも良いから、早く飯を作れ!食べれる事を待っている!」
健二が一喝した。何て言ったのか解らないが、纏めたのだろう。そう思うことにした。
「アイーシャ!カレー作れる?」
「ノー!」
んなもの、作ったこと無いわ。お手伝いヒューマノイドの仕事だもの。
「ノーじゃなくて、いいえ」
「はい。いいえ」
「仕方ない。見てろよ、そこで……」
ジャガイモの皮、人参の皮、お肉を切り、玉葱の皮を剥いで切り……凄く手馴れてる。
「あ、お米研いでおいて!」
「お米、研ぐ?」
「あ。アメリカ人がお米知る訳無いか……」
そう言うと、キッチンの床から白い粒々の入った半透明の袋を取り出し、そこから十杯位木箱で掬ったのを、鍋に入れた。
「これに水を入れて掻き混ぜて!白く濁らなくなったら終わりだから!」
そう言うと、勝手にあたしに任せて、雫はカレー作りの方に取り掛かった。
あたしは、白く濁らなくなるまで水を足し、抜きしながら、お米という物を洗った。こんな手間な事をしなければならないとは……ヒューマノイドを造る方がどれだけ簡単か?など思ってしまった。
「出来た!」
あたしは、出来た物を自慢げに雫に見せた。
「ならそれ、火に掛けて。弱火でな」
「?」
何を言っているのか解らないあたしに気が付き、
「あはは、こうやって、ガスの元栓開けて、火を点ける。分かった?弱火はこの位」
「はい」
結局あたしは、お米を研ぐ事位しか出来なかった。後はみんな雫がやってのけてしまったからだ。他にあたしがしたのは、お皿を出したり、お玉で、カレーをよそったり。昨日の残りのサラダを冷蔵庫らしきひんやりした箱から出したりしただけ。
しかし、これだけの人数分をよく把握しているなと感心する。お皿に分けちゃんと足りるんだから驚きだ。
「じゃあ、食べますか?」
健二が指揮をとるかのようにして、皆が部屋の真ん中に在る台を取り巻くように座って手を合わせた。あたしも習ってそうしていた。宗教の違いだからなのか?お祈りは一切無し。これにはカルチャーショックを受けた。
「いただきます」
あたしも習ってそう言った。
ご飯を食べる際、気が付いたんだけど、皆、右利きなんだな〜って事。あたしは左利きだから、肘が隣とぶつかって食べにくい。
「すみません……」
と、真に言いながら食べてしまった。この席、あたし変わった方が良いのかな?なんて思っていた時に、
「あ、アイーシャ、左利き(ポー)か?なら俺の隣に来いよ!俺、本当は左利き」
雫が、あたしを台の端で呼んだ。ちょっとまごついてると、
「良いから行きなよ!気にしながら食べるのって美味しく感じないよ?」
真がそう言った。
「同感だ」
健二も。皆、頭を縦に振っていた。
「皆、こっちに行けって言ってるんだぜ。来いよ!」
ああ、そうか〜何も遠慮する必要は無いんだ。あたしらしく無い事してた。って思い、
席を雫の隣に替わった。ここに来て、自分が一人で出来ることが無いと分かってしまったから、知らない内に畏まってしまってたんだ。
そうか……そうなんだ。そう思うと、狸顔の垂れ目の雫に思わず微笑んでしまった。
「ん?何だよ……気持ち悪いな〜」
何て言ったのかなんて解らない。けど、
「後で、辞書貸してくれるんでしょ?勿論貸して貰えるよね?」
今は、この日本語の嵐を吹き飛ばす位の勢いで必死に勉強しようと思っていた。
「風呂〜沸いたぞ〜」
陸が、外から入ってきた。あたしと雫が夕食後の後片付けをしていた時の事だった。
「何て言ったの?陸は?」
「お風呂が沸いたって、言ったの」
「ふ〜ん。お風呂って、何処に在るんだ?」
このプレハブの中にはシャワーなどない。
見た覚えが無かった。トイレは在ったけど。
「外。ドラム缶に水を張って、下から火を点けるのさ」
「へ〜……」
あたしは聞き流していたが、
「……ちょっと待った!あたしはこれでも女よ!普通にお風呂は無いの?冗談じゃ無いわよ!」
そう、冗談じゃ済まないわよ!何処で髪を洗えって?何処で身体を洗えって?只でさえ凍えるように寒いのに、外って一体、何!
「あ、カーテンはちゃんと付いてるから」
雫は事も無し気にあっさり言った。
「カーテンって……」
ワナワナ震えている時に、
「アイーシャ?先に入れよ。男共が入る前の方が湯は綺麗だぜ?」
陸が、ギュウギュウ詰めのキッチンに入って来て言った。が、あたしの怒りが爆発寸前を見越して、
「アイーシャ?郷に入らずんば?はどうなってい〜るのかな〜?」
と、ニタニタ笑いの雫が止めを刺した。
「分かったわよ!入れば良いんでしょ!入れば!着替えは何処!タオルは何処!」
ドスドスと辺りにわめき散らしながら、あたしは外のお風呂場とやらに行った。皆があたしを見て不思議そうにしているのにも気が付かずに。
「あ、本当に外に在る……しかも何これ?レーンをプレハブに固定して、カーテンを垂らしてるだけじゃない?風が吹いたら捲れるかも知れないって……ここは露天風呂かっての!」
でも仕方ないから入る。ここ以外に無いのなら仕方が無い。入れないよりかはましだ。
「何だか疲れたよ……明日からは、練習も有るって言うのにこんなんで大丈夫なんだろうか?先が思いやられるよ。トホホ……」
身体を洗い終えた後、水を足してドラム缶に入り、身体を温めた。ドラム缶は、鉄で出来ているため、念のため竹を内側に張り巡らせていた。まあ、そうよね?こうしないと、皮膚が火傷するわ。そして思わず空を見上げた。ロサンゼルスで見る夜空とは違う。くすんだ空気に星が瞬いているのが分かった。そうか、これだけ寒くても、このスモッグで綺麗に見えないんだ。全く残念だ。そんな事をなんと無し気に思った。
「ただいま〜」
確かこんな響きだった。覚えたての言葉で、あたしはドアを開けた。
「何してるの?」
あたしは、皆が集まってるのを見て、不思議そうに問いかけた。だって、コソコソしてるんだもの。
「あ、早かったんだね?」
雫は、アハハ……と笑って、あたしを輪から外した。
「ん?」
訳が分からないけど、何かしら企んでいるのだけは分かった。
「ちょっと見せなさいよ!」
強引に、突っ込んで入った先に有ったのは、紙と鉛筆。で、紙に何かしら交互に線を引いていた。
「何これ?」
「ああ〜本人が来ちまったら意味無いじゃん!」
英治がそんな事を言ってのけた。
「ん?」
あたしには、解らなかったので、雫に、通訳を依頼した。その内容とは、あたしが何処で寝るか?のくじ引きをしていたと言う事だった。
「……あのですね〜?あたしは何処で寝ようと良いんですけど?寒くない所だったら!」
マジ切れ寸前。雫が止めなかったら、この騒動はやばかったかも知れない。思わず、フライパンが飛ぶ所だった。
「雫。あたしの隣で寝なさい。以上!」
まあ、雫だったら安心だろう。という配慮だった。皆それぞれ反省はしてるようだったので、この件は後には引かない物となる。
あたしは、結局、この日夜遅く迄、日本語の基礎を蝋燭の明かりの下、雫とマンツーマンで教わった。
「日本語。言葉、多くて、難しい」
「単語一つ一つ意味が有るからね?それに、動詞の位置が違うし。慣れたら良いだけだよ」
確かに。言っている意味は判らんでもないが、それでもかなり時間が掛かるだろう。
「ねえ、雫。あなたハーフって本当?」
そう言えば、そんな事を八神は言っていた。
「自称って、聞いたけど?」
その事に関しては、雫は何も言わなかった。
「ハーフでも、そうじゃなくても良いじゃん?俺達は、人間なんだよ?それだけで十分じゃないかな?」
雫は、今まで見せたことの無い表情で真面目に言った。だから、あたしはこれ以上突っ込んだことは聞けなかった。人間であること。
それが、一番大切な事だと言いたいのだろうと判ったからだ。
「明日、八神監督が新しいチーム分けを提案してくるから、楽しみだな?同じチームになるか?ならないか?それは判らないけど、お互い頑張ろう!」
あたしはその言葉を聞いて、
「そうだね」
としか言えなかった。足を引っ張る存在になるだろう自分の事を考えると、余り喜んではいられなかったからだ。
「さて寝るか?」
あたしは、雑魚寝の畳の上。布団は皆にあつらえられた薄い物だけ。それでも有るに越したことはない。そんな中、一番奥に陣を取っていた。そこは他より少しだけ暖かく感じられた。だから、疲れた体を癒すには凄くいい待遇だと素直にそう思った。
その夜夢を見た。
あたしがまだ三歳の頃の事。家は、ロサンゼルスの一角。青空が広がる中、キラキラの陽射しが降り注いでいる。
あたしは、そんな外の印象よりテレビ画面に食い入っていた。ヒューマノイドがバスケットをやっていた。スムーズな動きが印象的で、瞬きもせずに見入っていた。そして、一人のヒューマノイドに釘付けられた。まるで人間の様に心を持っているかのような、意志を持ち合わせているかのような動きと判断力に魅入られてしまった。そしてバスケットに興味を持ったのである。
両親は、バスケットのヒューマノイド開発のエンジニアをやっている。大きな会社に属し、あたしは何度も両親の会社に顔を出したことがあった。そこはトレーニングセンターのような設備があった。不思議な空間。
だから、きっとあたしもバスケットの選手になるエンジニアになるんだろうと思っていた。しかし、何故か自らがユニフォームを着ている姿を鏡に写し取って、夢から醒めた。
そう、現実はあたしを光り輝くライトの下、選手として向かえたのであった。