第十二話
闇が一層強くなる中、竜は傷の為か丘陵で一休みを取っていた。
――ヤレヤレ、私ノ体モソロソロ潮時カモシレンナ。
竜は自身の体の傷をまじまじと隅から隅まで眺めていた。全身から夥しい量の血が流れていた。両翼は特に酷く血が滴っている。ほとんど原色を留めていない、血で真っ赤に染まっている。しばらく時間を置いて回復をはからないと、このままでは低空飛行すら難しいだろう。爆炎によって片脚は使い物にならないぐらいの傷を負った。今は寝そべっている体勢ではあるが、血は絶えず地面に落ち、時間が経つに連れ草の緑色を真紅に染めていっている。痛みはあるが、だいぶ傷も回復してきた。竜の再生機能は人間よりも何倍も速い、ある程度の骨も折れてはいるだろうが、多少の痛みならすぐに和らげることが出来る。だが、今回は痛みは取れても、傷が縮まっていくのがとても遅いと感じた。出血は止まる様子もなく、流れ続けている。このままでは血が足りなくなり死んでしまうかもしれない。既に眩暈もしてきている。
竜の感度の鋭い耳に、人間の士気の声が聞こえだしてきた。人数までは分からないが、多数。こちらに近づいてきているのが分かった。直感的に閃いた。恐らくは先程襲った王都の兵士達だと。当然だ、押さえ付けかけた脅威をみすみす逃すわけもなかった。
まだ遠いとはいっても時間の問題だ。すぐにそれは現れるだろう。
竜は覚悟を決めた。よろよろと体を起こす。ふらふらする脚を無理に押さえつけた。
「あまり無理はしない方がいいんじゃないのか」
竜は驚いた。すぐ隣にいる男の気配は感じることが出来なかった。いくら自分が弱っているとはいえ、このような経験は稀にも見ない。兜は外れていた。
――ウィザード。
ウィザードは自身の脳に直接入ってくる言葉に心底安心した。非常に優しい声だ。多少だが、心は開きかけてくれているらしい。だがそれも弱々しく、明らかに体力が底を尽きそうな事が分かった。無理もなかった、あれほどの砲撃を直に受け、それでも尚これだけの血を滴らせながら平然と立っていることがウィザードには信じられなかった。竜の存在の大きさを、目の前で再確認した。
「俺はあの国を裏切った。だが後悔はしていない。俺は俺自身を正しいと認識している」
――助ケナド要ラン……!
正直のところ竜は意地を張ってしまったと一瞬思った。だが敢えて心の中でそれに首を横に振った。
「俺は別に貴方を助けたいと言っているわけではない。俺は俺自身の尻拭いを今この場で行おうとしているだけだ。だけど、それも俺一人では到底無理な話だ。……力を貸してくれないか?」
――…………。
竜は突然のことに口篭ってしまった。
「……名前を、教えてくれないか?」
目の前の人間はいつも突然すぎる、と竜は苛ついたが、不思議とそこには安堵感も混ざっていた。というよりそちらの感情のほうが、圧倒的に前者を上回っていた。
――私ニ名ハ無イ……。
「……!」
ウィザードは絶句してしまった。問おうとしても次の言葉が見つからなかった。だが、答えは自然と返ってきた。
――私ハドウヤラ竜族トイウヤラノ亜種、変種デアルラシイ古イ記憶デハアルガ、私ニモ親トイウモノガ勿論ノヨウニ存在シタ。ダガ、私ヲ見タ奴ラハ……。
ウィザードは察して話を中断させた。経験は無いが気持ちは痛いぐらい分かった。差別というものが竜たちの中でも発生していたことを聞き、彼は驚いた。しかも身内という話に彼は胸を痛めた。竜という存在は書物では関心を持っていたが、体色のことまでは頭が回らなかった。
「それでは人間と同じではないか。汚れた人間と同じではないか」
――人間ト同ジヨウニ、竜ニモ感情トイウモノガ備ワッテイル。感情ヲ持ツトイウコトハソンナモノダ、所詮ハ生物。賢イモ美シイモ、強イモ弱イモ、ソンナコトハ関係ナイノダ。コレガ現実ダ。ソシテ私ノ体モナ。
一瞬竜が瞼を伏せたような気がした。
「貴方の体……?」
――今回ノコトデヨクワカッタ。私ノ体ハ亜種ヤ、変種トイウ綺麗事デハ成リ立ッテオランヨウダ。
「……?」
ウィザードは眉を顰めさせた。
――呪イトイウ類ダロウ。モウ既ニ傷ハ膿ミ、出血ハ止マラン。痛ミモ徐々ニデハアルガ再始動シテキテオル。体ノ内部カラ腐ッテキテイルコトガワカル。スグニ虫ドモモ群ガッテクルダロウ。四肢モ殆ド使イ物ニナラナクナッテキテイル。放ッテイテモ、モウ死ハ間近ダ。逃レラレン。コレモ摂理ダ。
「……そんな節理は、無い」
――ウィザード、コレガ私ノ運命ダ。コノ世ニ命ヲ請ケル資格ガナカッタノダ。
ウィザードの表情が徐々に険しくなっていく。それと共に地鳴りが激しくなってくる。兵士たちももう間近に迫ってきているのだろう。
「運命は定かではない!定めなんだ!自分で起こすものだ、他人が決めるものではない!たとえそれが神であっても」
その言葉に竜の失われかけた瞳に輝きが戻った。よく見ると眼も膿んでいる。それに竜の体からはもう美しさが消え、黒ずんできていた。竜自身が呪いと主張するものの侵食は速度は相当なものなのか。
――……定メ、チカラ、ワタシノオモイ。
殆ど何を言っているのかが分からなかった。蝕まれ苦しんでいるのだ。
「見つけたぞ、ウィザード」
どこかで聞いた声だ。にっくき王だ。
大勢の兵が同時に到着した。全軍を統率するように最前には王がどっしりと構えている。
竜はそれを確認すると、待ち構えていたように、ふわりと低空に浮き上がった。傷むであろう両翼を羽ばたかせている。それを驚いたような表情で見るのは、ウィザードだった。
――ワタシノサダメトヤラハドウヤラ、コウイウトコロデチカラヲフルウコトシカ……デキナイラシイ。……ウィザード、オマエハイキ……ロ。私ノヨウニ……ハ、ナル……ナ。オ前ノ力ハ、……タイセツナモノヲマモルタメニ、信念ヲツラヌクタ……メニ、…………
後半はよく聞こえなかったが、ウィザードの眼には涙が浮かんでいた。
――……ウィザード、イイ……名……ダ。……オマエ……ハ、……生……キロ。
ウィザードの頭に刻み込ませた後、竜は何十基もある大砲目掛けて吹っ飛んでいった。
最後に竜の片目に少量の滴が見えた、かもしれない。
ウィザードは竜とは反対方向の丘を駆っていた。竜の覚悟を無駄には出来なかった。本当はすぐにでも加勢したかった。
彼は涙でぐしょぐしょになった顔を兜で覆い隠し、走り続けた。朝焼けの空に向かい止まることは無かった。最後に振り返らずに、さようなら、と告げた事など誰が知り得ようか。