プロローグ
ここは暗い暗い闇の底。人間のいる世界から遥か離れた地底。空気が淀み、光などは影を潜め暗闇だけがその場を支配していた。所々からおぞましい声が聞こえてくる。人間のものではない。というより他の生物の声とも思えない低く唸るような声は闇の中をも支配していた。
だがしかし、そんな片隅で今にも産まれそうな小さい卵を見ながら歓喜の声を上げる一組の夫婦がいた。赤々とした華麗な鱗に覆われたその巨体は見る者を圧巻しそうな程である。見事に空を仰ぐ角に、太い質感のある尻尾。岩をも噛み砕きそうな牙が非常に禍々しい。
――俗にいう竜である。人間が束になっても敵わない。偉大なる存在。
だが、彼らを恐れているのは一部の、彼らを良く知る人間のみである。竜は争いを好まない。実に知能的で、自らを謙遜し、仲間意識が強くお互いが誇り合い信頼し合う、そんな関係で彼ら自身は成り立っている。
強大な力を持った竜達を恐れるのは、愚かな人間と決め付けてしまってもいいだろう。――所詮、人間は力を恐れ、力に溺れる。――それは、竜達も秘かに解っていた。
紅に染まった鱗を持つ二匹の竜達が自らが産んだ卵を凝視していると、途端にその顔は驚嘆の色を覗かせた。卵の殻が少しわれ、中の光りが漏れてきたのである。。それとともに、中から殻を破りだそうともがく赤ん坊の暴れる声が、わずかだが聞こえてきた。最初に出来た風穴から小さな手が空を仰いでいる。その姿が非常に愛らしくて、妻である竜が夫に寄り添った。
――もう少しだ、とでもいうように彼らは固唾を呑んで見守っている。だがしかし、夫婦の願いはすぐにピリオドを打った。
かすれた音が目の前でした。卵が完全に内部から破壊された音を聞いて、無論夫婦ともども眼前の愛しい息子を見た。…が、彼らの顔はいとも簡単に凍りついた。そしてその場を静寂の空気が襲った。
まるで恐ろしいものを見るかのように二匹は後ずさる。目の前からは力づよく泣く異色の竜がいた。
――ナンダコレハ…?
竜が発した言葉に温かみはない。人間の世界でいう乞食を見るような眼で自分の子を見下している。
それもそうだろう。目の前の小さい子は自分たちと相対色を身に纏い、そして自分たちには無い――人間でいう手のような――物が翼に取り付いていた。それには驚きを隠せない夫婦。何が起きたら赤色をした自分たちからこのような蒼白色の子が産まれてしまうのか。この竜でさえ脳の動きは完全に停止していた。ただただよちよちとこちらに向かってくる我が子に後退りしながら、睨みをきかすしか出来なかった。――本能のままに。
それに何気なく気付く子は、怯えてぴたりと泣き止んだ。眼から滴が少し溢れている。それでもまだ近づいてくる息子に、父は翼で思わず叩いてしまった。
叩く程度といえど成熟した竜のその一撃は子を一瞬で虫の息までにさせた。ひくひくと体が痙攣しながら、しかしそれでも必死に翼を伸ばし聞こえもしない声で鳴いている。
それを他所に夫婦は振り返り空の闇に消えていった。翼の音が完全に消え失せたと同時に、彼も眼を閉じた。産まれたばかりの竜でも非常に知能は高い。彼は薄れ行く意識の中で、自分が何を今受けたのかを、正確に判断し、それを頭の底に焼き付けた。
何とか一命を取りとめた彼を待ち受けていたのは悲しい現実だった。周りの竜の容姿とまるで違うのだから周囲から罵声を浴びせられることになった。そのせいか一人でない時はまず無かった。たちまち彼は何も信じることが出来なくなった。
ある程度大きくなったその竜は次第に蒼白色の体は輝きを増していった。だが、周りから飛び散る止まない罵声に、ついには自己嫌悪に陥った。
積もり積もった彼の怒りと憎しみの心は、彼自身の身体を蝕み、心の中で悪循環を繰り返し、負のエネルギーを増殖させていった。負のエネルギーは力を増し、それは形となってみるみる竜は巨大化しまわりのありとあらゆるものを破壊していった。無論、同族も躊躇無く跡形も無く消し去った。
周囲を滅茶苦茶にした彼は、暴れたりなく飛び立った。見慣れない彼の地へ向かって…。
――全テ、破壊シテヤルサ。ソレガ我ノ運命ナラバ…!
竜の体よりもやや薄い快晴の空に、低くおぞましい声が響き渡った。