土曜日
金曜の放課後。空は夕焼けに染まりかけていて、吹く風も湿気を孕んでいた。
俺は無言で帰路を歩いていた。そのすぐ後ろを、例の転入生がついてくる。
数歩後ろ、けれどぴったり。無言で、視線は下。歩幅もぴたりと合わせてくる。時折、靴が石に当たる音がする以外、音はない。
曲がり角を三つ過ぎても、彼女はついてきていた。
俺は立ち止まった。
主人公「……ついてくんな。もう家だ」
振り返ると、彼女は小さく頷いた。声は発さず、ただその場でぺこりと頭を下げる。そして、ゆっくりと道を戻っていった。
その背中をしばらく見送ったあと、俺はようやく玄関の扉を開けた。
──そして、翌朝。
珍しく早く目が覚めてしまった。時計の針はまだ6時台を指している。目覚ましも鳴っていない。
二度寝する気にもなれず、俺はジャージに着替えて外に出た。少し歩けば、頭も体もすっきりするだろうと思った。
まだ朝靄の残る坂道を下りたところで、彼は違和感を覚える。
──視界の端に、いる。
黒い服。フリル。大きなリボン。足元まであるスカートと、レースの傘。
……ゴスロリだった。
主人公「おい」
俺が声をかけると、転入生はぱち、とこちらを向いた。
化粧はしていない。髪も相変わらずぼさついている。それでも、衣装だけは完璧だった。胸元には意味深なクロスのチャーム、手には黒いハンドバッグ。何かのイベント帰りかと思ったが、時間が時間だ。
主人公「……なんでお前、こんな朝っぱらから……それで……」
転入生「……ふ、ふふふ……あの、似合ってますか……?」
声は震えていた。いつものように小さい。笑っているが、目は明らかに不安そうだった。
主人公「知らねぇよ。勝手にしろ。……てか、ついてくんな」
転入生「はい……」
返事だけは素直だったが、やはりついてくる。
坂道を登っても、川沿いの道を歩いても、転入生は二歩後ろでついてくる。いつもの制服姿ではない分、視線の痛さが倍増していた。
主人公「……もう、いい。帰る」
主人公がそう告げると、彼女は口を開きかけ──けれど何も言えず、うつむいた。
帰路につこうとしたとき、視界の端で彼女がぴたりと立ち止まった。
つられて視線をやると、カフェの前。ガラス越しに見えるのは、色とりどりのパンケーキ。ホイップ、ベリー、バナナ、チョコレート。
彼女の目が、それに吸い寄せられるように光った。
主人公「……食いたいのか?」
転入生「……あ、……いえ、その……」
言いながら、視線を逸らし、くるくると指先を捻る仕草。どう見ても食べたいくせに、入る勇気がないのは明らかだった。
俺はため息をついた。
仕方なく、ドアを押して中に入る。
主人公「すいません、パンケーキ……これ。テイクアウトで」
店員「はい、お待たせいたします。店内でもお召し上がりになれますが……?」
主人公「いや、外で」
彼女の分も注文し、代金を払い、包装されたパンケーキを受け取って外へ出る。
転入生は、道端の電柱の陰で縮こまっていた。人に見られるのが怖いのか、衣装のフリルを握りしめていた。
主人公「ほら」
俺がパンケーキを差し出すと、彼女は目を丸くした。
転入生「……え、あ、あの、これ……」
主人公「食えよ。どうせ我慢してたんだろ。……俺は食わねぇから」
転入生「……ありがとう……ございます……」
声が小さい。だが、目が潤んでいるように見えた。
包みを開け、フォークを手に取る手が震えている。そのまま一口。
転入生「……」
言葉もなく、彼女は目を細めた。ささやかな幸福が、顔の奥に滲む。表情に出すのが下手なのかもしれないが、それでも伝わるものがあった。
頬を染め、口元にクリームをつけながら、ゆっくり、ゆっくりとパンケーキを食べている。
……なぜだろう。
その姿を見ていると、胸の奥がざわついた。
可愛い、とは少し違う。守ってやりたい、とも違う。
ただ、こうしているのが悪くない、と。気づけばそんな感情がじわじわと浮かんできていた。
自分がどれだけ無口で、無関心を装っていたか。どれだけ他人を寄せつけずに生きてきたか。それが、少しずつ崩れていくのを感じていた。
目の前で、緊張と喜びを噛みしめる少女を見ながら、主人公はそっと目を逸らした。
主人公「……次は、自分で頼めよ」
転入生「……はい」