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  作者: ぬん
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転入生

この小説はAI補助が行われています。不快感がある方は閲覧をオススメしません

彼には名前があったが、誰もそれを呼ばない。呼んでも返事をする気もないからだ。


顔はそこそこ。運動能力に関して言えば、むしろ優れている部類。手を出せば、たいていの相手は物の数ではなかった。だがそれ以上に、性格の部分に致命的な何かを抱えていた。


怒りを覚えたとき、手が出るのではない。怒りを感じた瞬間には、すでに「出してしまっている」。その衝動にブレーキは利かず、スイッチが入れば、どこか別の世界にでも飛んで行ったかのように動き続けてしまう。


それが「やばい」と認識されるまでに、さほど時間はかからなかった。


中学の頃はそれでも通った。周囲の大人も見て見ぬふりをしたし、警察沙汰になる寸前で止める教師もいた。だが、高校に入ってもそのままではいられないと本人も薄々気づいていた。世間というやつが、ようやく自分の首に縄をかけはじめた。


最近はずいぶん丸くなった。いや、丸くなったというより、理性で自分を縛り上げる術を学んだというべきか。


班活動も、人並みにこなすようになった。とはいえ、誰かと積極的に喋ることはないし、誰かから話しかけられることもなかった。目が合えば皆、そっと視線を外す。面倒なやつに関わる必要はない、という空気が学年全体に共有されているようだった。


そんなある日。


転入生がやってきた。女だった。


見た目は地味。どこか陰のある顔立ち。前髪は目元までかかっていて、表情はほとんど読めない。だが、肌は透けるように白く、鼻筋も通っていて、元の素材だけ見れば悪くはなかった。ただ──何かが欠けていた。


最初に彼女を見た時、彼は思った。「ああ、こいつ、外じゃなくて中のほうに問題があるタイプだ」と。


その予感は外れなかった。


翌日から、彼女はなぜか、彼に話しかけてくるようになった。


転入生「……おはようございます」


最初の挨拶は、耳を疑うほど小さかった。蚊の羽音かと思った。聞き返すと、もう一度、ぎりぎり聞き取れる程度の声で繰り返された。彼は無言で教室に入り、椅子に腰を下ろした。


次の日も、また次の日も、彼女は同じように話しかけてきた。授業中も、休み時間も、掃除の時間ですら、なぜかその距離は縮まってくる。


転入生「……そのノート、見せてもらってもいいですか?」


転入生「……今日の体育、ひとりじゃいやなんです」


転入生「……となり、空いてます?」


声は小さいくせに、やけに粘っこい。遠慮がちな態度と裏腹に、踏み込んでくる足取りだけは妙に重い。


彼は最初、無視した。次に、露骨に嫌な顔をした。しまいには「うっとうしい」とまで言った。が、彼女は怯むどころか、なぜかさらに近づいてくる。


無遠慮ではない。だが、必要以上に引かない。距離感の壊れたコミュ障というべきか、押しの強さがどこか病的で、彼は徐々に苛立ちを募らせていった。


──限界がきたのは、放課後のことだった。


彼女がいつものように話しかけてきたとき、彼は教科書を机に叩きつけた。そして、無言で立ち上がり、彼女の肩を掴んでそのまま──振り払うように、力任せに──壁に叩きつけた。


鈍い音が教室に響いた。


空気が凍りついたように、教室の一角が静まりかえった。


彼女は、崩れるように床に座り込んだ。


──が。


彼女は笑っていた。


口元だけがにい、と引きつったように歪み、何かをこらえるような、狂気とも怨念ともとれる表情を浮かべていた。笑っている。しかしその目は──完全に死んでいた。


焦点が合っていない。何かを見ていないふりをして、実際に何も見ていない目だった。


転入生「……ふへ、へ……」


乾いた笑いが漏れた。


彼はその時、ようやく気づいた。


自分が何か、決定的にやばいスイッチを押してしまったことに。


だが、もう遅かった。


俺「……立てるか」


彼は小さくため息をつきながら、手を差し出した。自分でも、なぜそんなことをしているのかわからなかった。だが、それ以外にどうすることもできなかった。


彼女は少しだけ首を傾け、まるで迷子の子どものようにおそるおそる手を伸ばし、彼の指先にそっと触れた。


そして、立ち上がる。


転入生「……また、来て……いいですか」


彼女は、まだ笑っていた。不気味なくらい穏やかな顔で。まるで、「壊れていること」に気づいてすらいないように。


俺「勝手にしろ」


そう言い放ち、彼は背を向けて歩き出した。


振り返ることはなかったが、背後から感じる気配は、確かにそこにあった。ぴたりと張りついたような足音。一定の間隔を保ち、だが確実に、彼の歩調に合わせてついてくる。


それはまるで──


何かの影が、彼の背後に張りついているような感覚だった。


夕焼けが、窓から差し込んでいた。教室の床に伸びる彼の影に、もう一つ、細くて白い影が寄り添っていた。


彼は歩く。彼女はついてくる。


その距離は、いつしか固定されていた。


振りほどいても、無視しても、暴力を振るっても──


彼女は、それでも「そこ」にいた。


彼がそれをどうするかは、まだわからない。ただ一つだけ確かなのは。


この時点で、彼の平穏な日々は終わったということだ。

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