銃撃された夫の「どうやら守ってくれたみたいだ。君の懐中時計が」に感動した直後、浮気が判明しました
私ヨハンナは台所で朝食の後片付けをしていた。
気分はウキウキしている。
(今日は結婚記念日ね。うふふ)
結婚して四年目。
子供はまだだけど夫婦仲は良好。
「ヨハンナ。会社に行ってくるよ」
夫のジェフがスーツのネクタイを整えながら台所を覗いた。
「ええ、そろそろ出発しないと汽車に間に合わないものね」
軽くエプロンを整えながら一緒に玄関に向かう。
ここは街から少し離れた一軒家。
ジェフは最寄りの街の駅から別の街の会社に汽車通勤している。
「いってらっしゃい。ジェフ」
「うん。そういえば今日は結婚記念日だね。遅くなってしまうかもしれないけど、ヨハンナが喜びそうなプレゼントを買ってくるから」
「楽しみにしているわ」
軽くキスをしてジェフを送り出す。
遠ざかって行く後ろ姿を見つめながら昔の結婚記念日のことを思い出していた。
(そういえば三年前の最初の結婚記念日には、ジェフに時計プレゼントしたわね)
手の平に収まるサイズの懐中時計。
ジェフは素敵なプレゼントをありがとうと言って喜んでくれた。
(三年経った今でも身に着けてくれていたら嬉しいわ)
そう思っているとジェフが角を曲がって見えなくなった。
「さてと。お天気もいいし」
私は二階に上がって寝室のベッドの布団をベランダに干した。
ゆっくりと外を眺める。
近くに家は無い。
ふと小道にいるジェフの姿が見えた。
コート姿の女性と向かい合っている。
(誰かしら?)
不審に思って様子を窺った。
どうやら女性はジェフに何かを言い立てているらしい。
不意に女性が何かを取り出すと、それを両手で突き出すようにして持った。
「っ!」
私は息を呑んだ。
女性の持っているものが拳銃だったからだ。
しかも銃口をジェフに突き付けている。
ジェフが両方の手の平を女性に向けながら後退する。
だがその直後────。
パァン!
乾いた音が響き渡り、ジェフは後ろに吹っ飛んで倒れた。
私は自分の目を疑った。
数秒後、女性が銃を下ろすのを見て我に返った。
「そんな! ジェフ! 行かなきゃ!」
ベランダから寝室へ。
寝室を出て階段を駆け下りる。
(嘘よ! ジェフが撃たれたなんて!)
小道に近い台所の裏口から飛び出して走った。
女性の姿は無かった。
だが小道には間違いなくジェフが倒れている。
駆け寄って抱き起こした。
ジェフは苦しそうに目を閉じている。
「お願い! 目を覚まして! ジェフ! ジェフ!」
私は必死に叫んだ。
「う、ん」
ジェフが呻いて目を開けた。
「ヨハンナ。君か」
「そうよ! 良かった! 生きてきたのね!」
私はジェフを抱きしめた。
「痛っ!」
「あっ、ごめんなさい」
私は慌てて少し体を離した。
片腕はジェフの背中に添えたままだ。
「スーツ姿の女性に銃で撃たれてジェフが倒れるのを見たわ。大丈夫?」
「痛いけれど、命に別状は無さそうだ」
だがジェフは吹き飛ばされていた。
銃弾は直撃したはずだ。
そう思っていると、ジェフがスーツの内側に手を入れて何かを取り出した。
「あっ」
「どうやら守ってくれたみたいだ。君の懐中時計が」
ジェフの手には、私が三年前に贈った懐中時計が握られていた。
「これが弾を防いだから、ジェフは助かったのね! 奇跡だわ!」
私は溢れてくる涙を指先で拭った。
「こんなときに言うのも何だけど、嬉しいわ。何年も前に贈ったその時計を、今もジェフが持っていてくれて」
「そうだね。もう一度お礼を言わせて欲しい。素敵なプレゼントをありがとう。ヨハンナ」
「どういたしまして。ふふ」
私は再びジェフの手の中の懐中時計を見つめた。
「あら? おかしいわね」
妙だった。
傷一つない。
「その時計が銃弾を防いだなら、壊れたり傷ついたりしているはずなのに」
「あ」
ジェフは何かに気付いたようだ。
懐中時計をスーツの内ポケットにしまった後で胸ポケットをまさぐった。
胸ポケットには穴が開いている。
「こっちだったみたい」
ジェフが胸ポケットから私が贈ったものとは別の懐中時計を取り出した。
銃弾がめり込んでいる。
「あはは。銃弾を防いだのはこっちの懐中時計だったみたいだね」
「そうね。結構高価なものみたいだけど、これはあなたが買ったの? 」
「いいや。僕は買ってないよ。リゼットにもらったんだ」
「リゼットって誰?」
「僕を撃った女性の名前だよ」
「ええっ!」
私は驚きの声を上げた。
「どうして?」
「いやー。僕とリゼットは恋人同士だからね」
私は唖然とした。
「な、なんですって?」
「妻の君とは近いうちに別れるから、一緒になろうって言ってあったんだけど」
(……………………)
「でも待ちきれなくなったみたいで撃たれちゃった。あ、やばい」
ジェフが不意に懐中時計を胸ポケットに戻した。
「死んだふり。ガク」
ジェフがぐったりとした。
「ちょっと? ジェフ?」
ゆさぶっても反応がない。
「あなたがヨハンナね? 家を探してもいなかったけど、行き違いにでもなったのかしらね」
不意に女性の声がして振り返った。
先ほどのコートを着た女性が私を睨んでいる。
「あ、あなたは?」
「リゼット。ジェフの恋人よ」
リゼットが悲しそうな表情を見せた。
私の抱きかかえているジェフに視線を向けているようだ。
「私といっしょになるという約束さえ守ってくれれば、死なずに済んだのに」
いや、死んでないけどね。
「ねえ、ジェフ! ジェフってば!」
いくら揺さぶってもジェフは死んだふりを続けた。
(あっそう。そういうつもりなら、私にも考えがあるわ)
「そして私が殺しに来たのはジェフだけじゃない! ヨハンナ! あなたもよ!」
リゼットが銃を構えた。
予想していた展開だ。
「あなたが憎くてたまらないのよ! 死ねぇ!」
パァン!
銃声がして私の体に衝撃が走った。
パァン!
パァン!
パァン!
パァン!
銃声と衝撃が私に何度も届いた。
だがやがて収まった。
弾が切れたらしい。
「ヨ、ヨハンナ……。あなた、人としておかしいわよ!」
リゼットはそう言ってワナワナと震えていたけれど、銃を持ったまま走り去った。
「もう。泥棒猫の上に人を撃っておいて何て言い草かしら」
私はムッとしながら呟いた。
「ひ、人としておかしいと、リ、リゼットが言ったのも、無理はないんじゃないかな。き、君は僕のことを思いっきり盾にしたんだもの。たとえ死体だと思っていても、盾にしたらドン引きでしょ」
後ろ襟を掴んで盾替わりにしたジェフが苦しそうに言った。
「あら? ジェフったら生きてたの? 衝撃が伝わってきたから盾のあなたに銃弾は命中したはずなのだけど」
私は意外に思いながらジェフを地面に横たえた。
「あ、ああ。生きているよ」
ジェフが内ポケットから懐中時計を取り出した。
銃弾が五発めり込んでいる。
「どうやら守ってくれたみたいだ。君の懐中時計が」
冷たい風がびゅーっと吹いた。
見事なまでに感動ゼロだわねぇ。
「ところでリゼットと浮気していたのに、どうして私が贈った時計を持っているのよ?」
「今日は結婚記念日だからこの時計のことを思い出してね。質屋に入れてリゼットとのデート費用の足しにしようと思って内ポケットに入れておいたら幸いにも────」
ぶちっ
頭の奥で血管の切れる音が聞えた気がした。
私はジェフの手から懐中時計をひったくった。
もう一つのリゼットから贈られたものも胸ポケットから抜き取って立ち上がる。
「ど、どこに行くんだい? 弾は体にめり込んでこそいないけど凄い衝撃だった。動けないから助けて欲しいんだけど」
ジェフが不安そうに見上げてきた。
「いいからそのまま寝ていらして。街に行って結婚記念日のプレゼントを買ってくるから」
「いや、そんな場合では」
「銃を買ってきて鉛玉をプレゼントするわ。あのリゼットという女に撃たれたことにできるでしょうしね」
ジェフが目を見開いた。
「いっ、要らない! そんなプレゼント要らない!」
「そんなことをおっしゃらないで受け取って下さいな」
私は街へと歩き出したたけれど、途中で足を止めて振り返った。
「ああ。お金のことなら大丈夫ですわよ。傷はついているけれど、この懐中時計2つを質屋に入れればなんとかなりそうだもの」
私は横になっているジェフに向かってニッコリ微笑んだ。